ウォルター編 2

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ウォルター編 2

「ウォルター・マクレガンさんですよね!」  茶髪の男の確信めいた口調に、ウォルターは警戒を強めた。  ここ南部では、誰も自分を知らないはずだ。  ――それなのに、なぜこの男は俺の名前を知っている……?  ウォルターが剣呑な眼差しを向けると、男はやや焦ったように 「覚えてませんか? マイケルですよ。ヘイウッドさんの店で見習いをしていた、マイケル・メリガンです」  ヘイウッド、という名を聞いて、ウォルターはハッとした。  それはフォレット領からやや離れた場所にある商店で、店主のヘイウッドは小さいながらも堅実な商いをしていると周辺では評判の人物だった。  そしてヘイウッド商店こそ、ウォルターが初めて務めた店だったのだ。 「マイケル? まさか、あのマイケルか?」  ウォルターの脳裏に、当時のことが克明に蘇る。  身寄りがなく、孤児院を出てすぐにヘイウッドの店で見習いとして働き始めたマイケル。ウォルターは彼より先に店で働いており、雑用などの仕事を教えていた。  年がそう離れていなかったこともあり、あっという間に仲良くなった二人は、ヘイウッドの店ではいつも一緒に過ごしていたのだ。  そんなある日、マイケルの親戚を名乗る夫婦が店を訪れ、彼を引き取りたいと申し出た。  彼らは駆け落ちして行方不明になった妹の所在を探しており、残念ながら妹は流行病で病没していたが、マイケルという子どもがいたことを知ったのだという。  突然現れた親戚に戸惑っていたマイケルだが、彼らが南部で高名な商人だったことと、肉親という存在に強い憧れを抱いていたこともあり、最終的には彼らについていくことに決めたのだった。  涙ながらに別れて以来、十数年。  言われてみれば確かに、あの頃のマイケルの面影が薄ら重なって見える。 「あの頃よりも随分と立派になったじゃないか。見違えたよ」    ウォルターがそう言うと、マイケルは照れくさそうにヘラリと笑った。 「こんなところでウォルターさんに会えるなんて、思いもしませんでしたよ!」 「ああ……そうだな」 「よかったら今夜、飲みにでも行きませんか?」 「今夜?」 「はい! この鞄のお礼がしたいんです」 「礼なんて、別にいいよ」 「そういうわけにはいきません! 中に入ってるのは重要な契約書で、これをなくしたらうちの店は一体どうなったことか……鞄を取り戻してくれたウォルターさんは、店の恩人ですよ!」 「大袈裟だな」 「何が大袈裟なもんですか! それに久々に会えたんです。フォレットのこととか、聞かせてくださいよ」  ニコニコと笑うマイケルを前に、ウォルターは一瞬言葉に詰まった。  フォレットのことなんて……と思い、断ろうと口を開き駆けるも、マイケルはハッと気づいたように腕時計を見て「いけない!」と叫んだ。 「すいません、もう店に戻らなきゃ。夕方またここに来ますから、待っててくださいね!」 「あっ、おい、マイケル!」 「約束ですよー!」  そう言うとマイケルはウォルターの答えも聞かずに、走り去っていった。  後に残されたウォルターは、遠ざかっていくマイケルの姿をポカンとした表情で見つめながら「困ったな」と呟いた。 「フォレットのことなんて……聞いて面白い話なんて、一つもないのに」  数時間後、ウォルターは迷いながらも、結局は波止場に留まりマイケルを待った。  マイケルは夕日が海に沈む間際にやって来て、二人は繁華街にある一軒のパブへと向かった。 「ここ、安いわりにいい酒が置いてあるんですよ。料理も美味いから、じゃんじゃん頼んでくださいね!」  今日はオレの奢りです! と言ってマイケルは胸をドンと叩いた。 「いや、そこまでは」 「気にしないでください。上司からも、丁重におもてなししろって言われたんです」  聞けばマイケルは、昼間の顛末を上司に報告したらしい。すると上司は「そういうことなら、これを持っていけ」と言って、食事代を渡してくれたのだとか。 「なんてったってウォルターさんは、店の恩人ですからね!!」  そう言ってマイケルは、店で一番高い酒を二人分注文した。 「じゃあ遠慮なく、いただくよ」  マイケルの勢いに苦笑しながら、ウォルターはご馳走になることにした。  程なく運ばれて来た酒は、マイケルが言うようになかなかの味だった。  久方ぶりのアルコール。フォレットを出てからずっと、酒なんて口にしていなかった。グラスを重ねるごとに、張り詰めていた心が少しだけ解れていく気がした。  そうなると自然と口も軽くなる。  促されるまま、ウォルターは自身がなぜ南部にいるのか、その理由をマイケルに語っていた。 「しっかし酷い話ですねぇ。理由もいわずに解雇だなんて、南部じゃあり得ませんよ!」  ウォルターが次々と店を解雇された話を聞き、マイケルは我が事のように憤慨した。 「謎の経営難なんて、そんなの経営者が杜撰だっただけでしょうに。優秀なウォルターさんをクビにするなんて、絶対に間違ってる!」    マイケルはグラスに残っていた酒を一気に呷ると、勢いでお代わりを注文した。 「おいおい、そんなに飲んで大丈夫か?」 「大丈夫です。明日は休みなんで、少しくらい飲み過ぎても平気です。それよりウォルターさん、解雇続きが嫌になって、南部に来たんですか?」 「……まあ、そうだな」  さすがにジュディのことを話す気にはなれず、ウォルターはそう言葉を濁した。 「でもまあ、気持ちはわかりますけどね。あまりに立て続けじゃ、やる気もなくなりますよ。それにしても、さすがはウォルターさん。南部に来たのは大正解ですよ」 「そうなのか?」 「ここの人たちは他の地域に比べて多少気は荒いけど、サッパリとした性格の人が多いし、情が厚いから受けた恩義は絶対忘れないんです。最近はちょっと嫌な奴も増えてきましたけど、住みやすさで言ったら、どこにも負けません」  マイケルには、よほど南部が合っていたようだ。  親戚に引き取られたときは、本当に大丈夫だろうかと密かに心配していたウォルターだったが、幸せそうに語るマイケルを見て、あの頃の不安が杞憂に終わっていたことがわかり、内心安堵した。 「ウォルターさん、もうフォレットには帰らないんですか?」 「ああ……そのつもりだ」  少なくとも、ジュディを助け出すまでは帰らない。  ウォルターはそう固く心に誓っていた。 「ずっとポーターの仕事を? 商家では働かないんですか?」 「しばらくは、そうだな」 「勿体ないなぁ。ウォルターさんだったら、名うての商人になっただろうに」 「そう言ってもらえるのは嬉しいけど」 「でも、ポーターなんて長く続けるような仕事じゃないですよ? 仕事はキツいし、賃金は安いし、事故や怪我も多いって言うじゃないですか。将来のこととを考えると、別の職に就いたほうがいいと思いますけど」  たしかにマイケルの言うとおりだ。  ポーターの仕事は、いつ何があるかわからない。ウォルターも仕事中に大怪我をして運ばれていく人を大勢見ているし、怪我をしたからといって治療費や入院代などの保障は出ない。体力勝負の肉体労働なので、長く続けている者はあまりいないという話を聞いたこともある。  ――第一ポーターの仕事では、ジュディと二人で食ってはいけないだろうな。  自分一人で暮らすのにも、やっとの賃金しか稼げないのだ。このままではジュディに苦労をかけてしまう。  今まではザカリーに対する復讐だけを考えていたため、その後のことなんて考える余裕もなかった。 「もし。もしも、ですよ」  思わず考え込んだウォルターに、マイケルが声を潜めて語りかけてきた。 「南部の商家から声をかけられたら、もう一度商人として働く気はありますか?」 「魅力的な話だが……今はまだ、考えられないな」 「何でです? ポーターの仕事に未練があるとか?」 「そういうわけじゃないが」 「オレなら絶対、すぐにでも商家の仕事に飛びつくけどなぁ」 「いつかまた商人として働きたいとは思うが、今の俺にはどうしてもやらなければならないことがあるんだ。そのために、今の状況を変えるつもりはない」 「じゃあ、その“やらなきゃいけないこと”ってのが終わったら、ポーターはやめます?」 「ああ。そのつもりだ」  ウォルターの答えを聞いたマイケルは、意味ありげににんまりと笑った。 **********  それから約一ヶ月後。  マイケルから突然の呼び出しを受けたウォルターは、予想外の出来事に唖然とした。  目の前に現れた、南部商人連合会の支部長を名乗る人物。  簡単な挨拶を済ませた後、彼は厳かにこう言った。 「ウォルター・マクレガンくん。君に南部商人連合会支部長を任せたいんだ」
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