ウォルター編 3

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ウォルター編 3

 事の起こりは、数時間前に遡る。  いつものように荷運びの仕事に従事していたウォルターの元に、マイケルがやってきたのだ。 「ウォルターさん、今晩予定ってありますか?」 「特にないが」 「やった! じゃあちょっと、オレに付き合ってもらえませんか?」  マイケルとはあれ以来、頻繁に会うようになっていたウォルターは、また飲みの誘いだろう考え、諾と答えた。 「じゃあ十八時頃に迎えに来ますから!」  絶対ここで待っててくださいよ!! と言うと、マイケルは走り去って行った。  相変わらず、落ち着きのないやつだなと苦笑した後、ウォルターは荷運びを再開したのだった。  そして約束の十八時。  仕事を終えたウォルターの元に、マイケルが迎えに来た。いつもは徒歩でやって来るマイケルが、今日に限ってなぜか馬車に乗っている。 「お待たせしました。さあ、乗ってください!」  そんなことを言われるとは思わず、ウォルターは内心驚いた。 「どこへ行くつもりだ?」  そう聞いてしまったのも、仕方ないだろう。  二人は普段、波止場からほど近い繁華街にあるパブで呑んでいるのだ。そこは徒歩で行ける距離のため、わざわざ馬車を乗りつける必要はない。  それなのに、マイケルは馬車に乗れという。  違和感を覚えたウォルターは、警戒心を顕わにした。  ウォルターの緊張が伝わったのだろうか。マイケルは眉をヘニョリと下げて 「ある方に会っていただきたくて……それが誰かは、今はまだちょっと教えられないんですけど……」  と申し訳なさそうに呟いた。 「で、でもっ! 変な場所に連れて行くわけじゃないんです。信じてください。むしろウォルターさんの助けになるっていうか、メリットになる提案ができるっていうか」 「俺にとって、メリット……?」 「はい! 聞いて損はないと思うんです」  鼻息荒く語るマイケル。  どうするべきか……と、ウォルターは思案した。  メリットと言われても、どんな内容かわからない状態で付いていく気にはなれるほど、ウォルターは軽はずみな人間ではない。  言ったのがマイケルでなければ、一蹴して帰ったことだろう。  だが、相手はマイケルだ。  かつて同じ職場で働き、今ではしょっちゅう呑みに行くようになったおかげで、彼の為人(ひととなり)はある程度把握している。  明るくて、やや落ち着きのなさが目立つものの、素直で裏表のない善人だ。この性格を気に入り、外商に彼を指名する顧客は多いそうで、その話を聞いたときは充分納得したのを覚えている。  そんなマイケルが、どうしても自分を連れて行きたいのだという。  しかも、メリットになる話を提案してくれるのだという。 「……わかった。行こう」  ウォルターはマイケルを信じて付いて行くことにした。  マイケルの話す“ある方”が誰かわからず、どんな話をされるのかも不明だ。もしも自分にとっていい話どころか、悪い話を提案されたときは、隙を見て逃げ出せばいい。  そう考えて、マイケルと共に馬車へ乗り込んだのだった。  移動すること数十分。  馬車は郊外にある病院の前で停車した。 「ここは……?」  てっきりどこかの屋敷か、レストランのような場所に連れて行かれると思っていただけに、思わず唖然とするウォルター。  しかもここは、南部一と名高い病院ではないか。 「さあ、中へ」  ウォルターを促し、マイケルは病院内に入っていく。  受付はすでに終了している時間。それでも誰にも咎められることなく進んでいけるのは、恐らく事前に話を通してあるのだろう。  ――そこまでするなんて。一体誰が、俺に何の用があるというのだ?  訝しげに思いながら、マイケルの後に続いていく。階段をしばらく上って最上階に到着すると、そこからさらに奥へ。  ようやく到着したその部屋の扉は、ほかの病室よりも立派な装飾が施さている。どうやら特別室のようだ。  病院に連れてこられたことで、自分と会いたいのは病院関係者だとばかり思っていたが、相手は病人なのかもしれない。病人が、医者でもない自分になんの用があるのだろう。  ますますわけがわからず、ウォルターは首を捻るしかない。 「こちらへ」  そう言って扉を開けたマイケル。  かなり広い病室内。アイボリーを基調とした壁紙のおかげか、夜だというのに明るく感じる。床には微細で美しい模様が織られた絨毯が敷き詰められ、その上に置かれたテーブルやソファなどの調度品も、全て最高級の品であることがわかる。  病室の中央に置かれた天蓋付きベッドの上では、一人の男性が身を起こしてウォルターたちを見つめていた。  年の頃は六十前後といったところだろうか。  病のためか、げっそりと痩せこけて顔色が悪い。  けれどその目に宿った生気は決して弱々しいものではなく、むしろ百獣の王のような力強ささえ感じられる。  もしも健康な状態であれば、覇気に溢れる人物だっただろうと、ウォルターは想像した。 「ウォルター・マクレガンくん」  男性はウォルターをまっすぐ見ながら、名を呼んだ。  その声はやや擦れてはいたものの、思いの(ほか)力強かった。 「ご足労いただいて申し訳ない。私の名はバーナード・オールドマン。ここ南部で名の通った商会を営んでおり、南部商人連合会会長を務めていてね」  オールドマンといえば、南部にいくつも支店を持つ大商会である。その長たる人物は、雲の上の人物と言っても過言ではない。  そんな人がなぜ、しがないポーターである俺を……? ウォルターが疑問に思ったのも無理ない話だろう。  マイケルがベッド脇に椅子スツールを持ってきてくれたが、ウォルターは座ることをためらってしまった。  背もたれもない簡素なスツールですら、明らかに高級であることがわかるのだ。仕事終わりで汚れた格好の自分が座っていいものか迷うのも、仕方ないことだろう。  そんなウォルターの様子にバーナードは「遠慮しないでくれ」といい、着席を促した。  ならばとウォルターが腰掛けると、バーナードは再度来訪の礼と謝罪を口にした。 「本来であれば、私のほうから出向くのが礼儀だと思うのだが、生憎とこんな状態でね。外出もままならないんだ」 「お気になさらず。それで、俺を今日ここに呼んだ理由は?」  その問いにバーナードは深く息を吸い込むと、真剣なまなざしでウェルターを見つめながら口を開いた。 「ウォルター・マクレガンくん。君に南部商人連合会支部長を任せたいんだ」 「……は?」  言われたことの意味が、とっさに理解できない。  商人連合会とは、商人同士の相互扶助や情報交換を目的として作られた組織である。連合会は各地に存在しており、入会することで様々な優遇措置が受けられるなどのメリットがあるため、大抵の商家は連合会に所属しているというわけだ。  複数の商家を取り纏め、指導する立場にある支部長は、相当な権力を持ち合わせる存在とも言える。何しろ所属する全商家に対し、どんな命令でも下せることができるのだから。  悪い言い方をすれば、どんな我が儘も理不尽な行いすらも、押し通すことができるというわけだ。  例えばあの、ザカリー・キャンプスのように……。  そんな、会員であれば誰もが望む立場にある支部長の職だが、そう簡単になれるわけもない。  地域によって違いはあるが、大体の場合はその地区で一番の売り上げを誇る商家が、支部長職に就くことが多い。  もしくは前支部長の支持を受け、さらには全会員の賛同を得た者が、支部長になる場合もある。  それなのに、バーナードは支部長職をウォルターに任せたいと言った。  現在は商人でもない、しがないポーターであるウォルターに。  通常であれば絶対にあり得ない提案である。バーナードの真意がわからないだけに、なんと答えたらいいかわからない。  絶句するウォルターに、バーナードは目を細めた。 「突然の申し出でさぞ驚いただろう。けれど冗談などではないんだ。実は君のことをいろいろと調べさせてもらってね。そこで、南部連合会支部を任せられるのは、君しかいないという結論に至ったというわけだ」 「ご冗談を」  思わず吐き捨てるように言うウォルター。  自分の身辺を勝手に調べられていたと思うと、決していい気はしない。 「調べたと言うならわかるでしょう。俺は何度も商家を首になった男です。そして今は、商人でもない。そんな男が支部長を受け継ぐと言ったところで、誰も賛同しませんよ」 「そんなことはない……と言ったら、どうするかね」 「あり得ません」  キッパリと答えたウォルターに、バーナードは言葉を続けた。 「君の言うとおり、通常であればあり得ないことだろう。だが今は、非常時なんだ」 「非常時?」 「実は私は、余命幾ばくもない身でね」  戯けたように首をすくめて言うバーナードだったが、彼の容貌を見るにその言葉は嘘偽りではない気がした。 「病が完治しないことがわかって、身辺整理を行うことにした」  本来であればバーナードの長男が家を継ぎ、店と支部長職も引き継ぐはずが、残念ながら数年前に事故で亡くなっている。  そのためバーナードは、長男の一粒種である孫に家や店を相続させることにし、手続きを進めていた。  孫は隣国の商会で修行中の身だったが、相続のため帰国することが決定。戻り次第、バーナードの全てを受け継ぐことになった。  そこには当然、南部商人連合会支部長の職も含まれている。  しかし孫は商人として経験が浅いため、不安が残ることもたしかだ。  そのためバーナードは側近や懇意にしている商家に、孫を支えてもらうよう頭を下げ、みんな快く引き受けてくれたのだが。 「これに異を唱えたのが現れたのだ」  それは、バーナードの次男だった。  彼は実直で堅実な長男とは違い、軽薄で奔放な性格をしていた。  学生時代から酒と賭博に明け暮れて、店の金をこっそり持ち出して散財するなど、目に余る行為が続いたため、アカデミー卒業と同時にバーナードから勘当を言い渡されたのである。  父の決断に激昂した次男は、捨て台詞を吐いて家を出たまま、長い間行方知れずとなっていたのだが、それが突然やってきて、バーナードの遺産を全て受け継ぐと宣言したのだ。  バーナードは念のため、商売をしたことがあるのか次男に問うた。  が、次男は商売など一度もしたことがないと言う。  したことはないが、なんとかなるはずだと言ってのけた次男の申し出を、バーナードは一蹴した。  商売の経験が皆無な次男に、店や連合会を任せられるわけがないとはねつけたのだが、次男は父の言い分を鼻で嗤った。 『たしかに俺は、商売なんてしたことはない。だがな、俺には大きな後ろ盾があるんだよ』 『後ろ盾ぐらいでなんとかなるほど、商売は甘いもんじゃない』 『そう言っていられるのも今のうちだ。俺の背後に誰がいるか、知って驚くなよ』  高笑いする次男の姿に一抹の不安を感じたバーナードは、次男の背後に潜む人物を探ることにした。 「そのために、次男のこれまでの足取りを綿密に調査したのだが、そこで浮かび上がったのが西部の商人であるザカリー・キャンプスだったんだ」 「……っ!」  まさかここでその名を聞くとは思わず、ウォルターは身を固くして話の続きに耳を傾けた。
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