雪と墨

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「いや、男同士とか普通に無理だろ」  雪透(ゆきと)に初めて告白した日のことをよく覚えている。  俺なりに必死に愛を伝えたつもりだ。  もやもやとした気持ちを言語化する為に少女漫画を姉貴に借りて、女友だちと恋愛映画を観に行って、辞書をひきながら雪透への気持ちを文章にしたためた。告白のシミュレーションも何回もして、想像上の雪透は照れながらもOKしてくれた。  準備万端。  授業終了のチャイムが鳴り響く中、すでに帰り支度を始める雪透を引き留めた。バイトに遅刻するから早くしろと冷めた目で見下ろしてくる雪透。教室ではさすがに気が引けたので、自転車置き場のそばまで移動した。  気だるそうにスマホをいじる雪透は今日もかっこいい。  夕日に照らされてキラキラと光るセピア色の髪。恐ろしく整った顔立ちを際立たせる印象的な瞳。雪透に見つめられると、その目に吸い込まれそうになってしまう。薄い唇はどれほど柔らかいのだろうか。節くれだった大きな手に、自分の手を重ねてみたい。あの腕に抱きしめられてみたい。 俺も触れたい。 「ごめん、急に」 「ん、良いから。何」 声までかっこいい。 小学生の頃から、ずっとずっと雪透だけだった。雪透だけが俺の特別。  心臓が口からまろび出そうになるほど、緊張していた。今年一番寒い日を観測しているのに、うっすらと汗をかいている。 「俺さ、ゆ、雪透のこと、好きなんだ」 「そう」 一瞬、雪透の指が止まった。だが、何でもないことのようにまた動き出す。 あ、ダメかな。 「うん……こんなこと急に言われても困るよな。でも、俺本気だからっ。雪透への気持ちも手紙にしてきたんだっ」 「いや、男同士とか普通に無理だろ」 雪透の言葉が氷のように突き刺さった。息がうまく出来ない。 「今のは聞かなかったことにする。あのさ、いくら幼馴染だからって、友情と愛情を履き違えるなよ。よく考えろ。今日雪降るらしいし、早く帰れ、バカ」 雪透は自分のマフラーを俺に巻き付けると、自転車に乗ってさっさとバイトに向かってしまった。恋文は受け取ってもらえなかった。俺の気持ちも。なんもかんも。 「なんでだよっ。勝手に決めんなよっ」  滝のように涙と鼻水が溢れてくる。心が痛くて痛くてたまらない。  自転車置き場にやって来る人々が心配そうに俺を見て来るけど、俺は雪透のマフラーが涙で濡れないようにするのに必死だった。    そんな高校時代の淡い青春の日々もあったなと、草臥れた身体を何とか動かしながら思い出す。  あの日結局雪は降らなかった。翌日からの雪透の態度も、何にも知らない頃のままだった。 「あ〜、マジか。終電、おい。俺が乗るまで終わるなよぉ」  目の前を爆速で通り過ぎていく電車を見送る。とぼとぼ駅を出てみれば、予報通りみぞれが降ってきやがった。雪透から拝借したマフラーに顔を埋める。すっかり雪透の香りはなくなってしまったけれど、10年経った今でも愛用している。 「あ、やっぱりそれお前が持ってたんだ」 「へ?」 聞き慣れた声が頭上から降ってきた。  黒い帽子を被り、大きなマスクで顔の大半を覆っていても誰だかわかる。  俺の初恋の相手にして、幼馴染。 「雪透?! なんでここに?!」 「近くで撮影だった。で、お前、それ、俺の」 「はっ?! 違うぞ! 俺のもんだ!」 マフラーは渡さん! と、距離を取れば、雪透はいつものようにため息を吐いた。 「そんな古臭いマフラー捨てろよ」 「捨てるもんか! 雪透との大切な思い出のマフラーだぞ!」 「何も思い出なんかねぇだろ」 ちくっとまた胸が痛む。雪透の中であの告白はなかったことにされている。あの日の告白だけじゃない。俺はこの10年間、ずっと雪透に愛を伝えてきた。読まれないラブレターは確実に降り積もっている。なのに、全てスルーされてきた。解せぬ。 「いつまでそうしてんだ。来い。どうせ終電逃したんだろ」 「えっ、雪透ん家泊めてくれんの?! やった!」 「そんなゾンビみてぇな顔してる奴ほっとけるかよ。さっさと乗れ」 「ありがとう! 雪透!」 「うるせぇ」 雪透の運転する車に乗って、雪透の住む高級マンションに泊めてもらう。ごくたまに、ばったり雪透と会えた時の特権だ。  そして、雪透の夜食のついでに俺の夕飯も作ってもらい、臭いからさっさと入れと風呂に入れられ、雪透が呑みきれないからとビールやら日本酒やらを呑まされ、風邪を引かれたら困るからと雪透と同じベッドに入る。 「雪透のファンの子たちには悪いな〜」 「お前、普通に俺のファンクラブイベントに来るのやめろよ」 「えっへへ、やだぁ。やめなぁい」 雪透は当たり前のように学生時代に芸能事務所からスカウトされ、当たり前のようにイケメン俳優としてブレイクし、今も尚最前線で実力派俳優として活躍している。  『芸能人』をやっている時の雪透はまるで別人で、王子様のように爽やかで優しい。プライベートとは大違いだ。 「つーか、お前まだあのブラックにいんのかよ。さっさと辞めろって言ったろ」 「あはは……皆辞めちゃって今、人少なくてさ。俺まで辞めたら、誰が仕事すんの? って感じだし」 「んな会社倒産させとけよ」 「うーん、でもなぁ」 「……あのさ、お前が幸せになってくんなきゃ困るんだわ」 「へ?」 「俺、事務所からそろそろ結婚とかしねぇのって聞かれてんだ」 思わず、ガバリと起き上がった。眠気なんかどっか吹っ飛んだ。雪透はいつも通り涼しい顔で、腕を枕にして天井を見上げている。 雪透が結婚? 「なんで、今そんな話すんの?」 寝不足とか疲労とか、いっぱいいっぱいな中、それでも雪透とこうして少しでも会えれば元気チャージ出来て頑張れた。 だけど、やっぱり心のどこかでずっとずっと片想いが苦しかった。 雪透に好きになってもらいたかった。 雪透に愛されたかった。 俺だけが雪透の特別でいたかった。 ほろりと、涙が溢れる。雪透はおもむろにこちらに顔を向け、俺の頬を撫でた。指で涙を拭ってくれる。 「俺、この10年お前が俺を諦めるように努力してきただろ」 なんて、むごい。 「最低だっ」 こんな時だけ、蕩けるほど優しい眼差しを向けてくる。雪透はベッドから起き上がり、俺の頭を撫でた。 「俺が結婚したらもう俺のこと愛せなくなるか?」 「なんでっ……そんなのっ」 どうして雪透の運命の相手は俺じゃないんだろう。俺が選ばれる日は来ないのか? 一体何回失恋すれば、この恋は雪のように溶けて消えてくれるのだろうか。  その日は答えが出ないまま。泣いていたらいつの間にか眠っていたらしい。目が覚めるともう隣に雪透の姿はなかった。早朝からまた撮影なんだとか。  テーブルに置かれた合鍵は、ポストに戻さず、コートのポケットに入れてしまった。 「はぁ、終わんないなぁ」 ほぼ真っ暗なオフィス。俺のデスクだけスタンドランプとPCの明かりが煌々と光っていた。これ以上は飲んではいけないと栄養ドリンクを戒め、パサついたサンドウィッチを夜食に貪る。雪透の手料理が恋しい。昔から自炊していたから、雪透は料理が上手いのだ。  あれから雪透とは全く会えていない。それに、先日ついに大人気女優との熱愛報道も出てしまった。 『俺、事務所からそろそろ結婚とかしねぇのって聞かれてんだ』 あれって、もう相手がいるってことだよな。もしかして、噂の女優さんと本当に付き合ってて、結婚まで秒読みとかなのかな。横からパッと出てきた人に大事な雪透を盗られるんだ。そもそも俺のものじゃないけど。 「なんだ、それ」 そう言えば、今日だった。 有名な映画の祭典、栄誉ある授賞式。雪透の出演した映画がノミネートされ、煌びやかな会場にお呼ばれされているはずだ。  一旦仕事から離れ、休憩室のテレビをつけた。中継で授賞式の様子が映し出される。ちょうど、テレビの中から雪透の名前が呼ばれ思わず立ち上がった。 「えっ?! うおおおおっ! やったな! 雪透!!! すっげぇええ!!!」 雪透は一瞬ぽかんと目を丸くすると立ち上がり、監督や共演者達と喜びを分かち合った。壇上に上がり、トロフィーを授かりスピーチする。  対して俺はあまり年収も良くない、顔もぼちぼちの平凡なブラック企業の会社員。  あまりにも世界が違う。 「もう……やめるか」  雪透はあまりにも遠い。もう足掻くのはやめよう。 『この感動を今誰に伝えたいですか?』 司会者が雪透に問いかけた。 『私の幼馴染に、伝えたいです』 「え?」 今、幼馴染って言った? あの大女優さんではなくて? 雪透は少しだけ王子様の仮面を外して、まっすぐカメラの向こうを見つめた。 『彼は純粋でまっすぐで、人が困ってると放っておけなくて、お人好しで鈍感で、誰にでも優しい。私のヒーローです。私の存在のせいで両親が困っている時、彼の笑顔に救われました。私に両親というものがいなくなった時も、彼がそばにいてくれることで、どれだけ支えられたかわかりません。私には彼が眩しくて……いつも心から幸せになって欲しいと思っていました』 明かされる本音はどれも優しくて、甘くて、くらくらしてくる。いつもはぶっきらぼうなくせに。 『彼が私のことを慕ってくれる度に、早く夢が醒めれば良いと思っていました。私は彼にふさわしい男ではありません。ですが、本日この賞をいただけたことで、少しは彼の隣に見合う男になれたのではないかと思います。やっと……腹を括れます。 嘉墨(かすみ)』 名前を呼ばれて、ハッとする。初めて家族以外で俺の名前を素敵だと褒めてくれた人。 『合鍵使って待ってて』 俺は自分のデスクから荷物を引っ掴むと、走って会社を飛び出した。その日は雨の予報だったのに、ほろほろと雪が舞っていた。マフラーを再度首に巻きつけて、転びそうになりながら闇夜をひた走る。 会いたい。 会いたい。 黒いスーツに雪が絡まり、黒い髪にも白が被さってくる。 なあ、雪透。 俺たち結婚しよっか。
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