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玄関から物音が聞こえた。彼女がドアの鍵を開ける音だ。気づいたボクは、すぐに『本体』の待機モードを解除した。
(えっと、何の曲にしようかな)
少し考え、彼女が最近好んで聞く女性歌手の曲に決めた。伸びやかな声と明るい曲調はボクも気に入っている。『頭脳』に記録されているものの中から、ボクのセンスと気分で条件に合った曲を選び出す。もちろん音量は近所迷惑にならない程度で、これは常識だ。
小さな作動音のあと、スピーカーから軽やかな演奏が流れ出す。
普段と同じ、でもボクにとっては最高に大事な儀式。
「ただいま~」
上着を半ば脱ぎながら入ってきたのは、彼女――――ボクのご主人様だ。
「お帰りなさい!」
ボクは元気に彼女を迎える。この声は、『頭脳』に蓄積された歌のデータから選び出したものだ。彼女の好むように、と少しずつトーンを調整した声。多少話し方がぎこちないけど、そのぐらいは勘弁して欲しい。
「あー、今日も疲れたわ」
ぺたんと畳の上に座り込んだご主人様。このところ、学校とバイトですっかりくたくたの様子だ。
「うん、いい感じ。今日も有難うね」
ご主人様に褒められると、ボクの身体も心もぽわぽわと温かくなる。不思議。
「ボクちゃん、こっちおいで」
ご主人様が手招きする。甘やかしたくてたまらない、って感じの甘い声。
「はあい」
ボクは『本体』を離れ、ぴょいっと床に飛び降りた。彼女の傍らへと駆け寄り、上目遣いでその顔を見つめる。
「うふふ。良い子ねー」
ご主人様はいつものようにボクを膝に抱き上げ、頭を撫でてくれた。
「今日は帰るの早かったね。嬉しい」
ボクは彼女の首っ玉にぎゅうと抱きついた。
ご主人様の髪はお花の匂いがして、柔らかい。こうしてるのが一番幸せ。
長く使われた品には魂が宿る、と昔からよく言われる。
具体的にどのぐらいの月日が必要なのか、ボクは知らない。でもきっと、それは途方も無く長い時間のはずだ。短い期間に魂が宿るのならば、世間は魂入りの物だらけになっちゃうもんね。
ボクの場合はたった十年だった。
扱いが丁寧だったからか、ご主人様との相性が余程良かったのか……ともかくいつの間にか、ボクはボクという意識を持つ存在になっていた。最初は曖昧だった意識が次第に明確なものになり、ついには人間の形まで持ってしまった。
初めて話しかけた時、彼女はとんでもない悲鳴をあげたっけ。そりゃそうだろう、学生時代から愛用してたコンポから子供が飛び出してきたんだから。気持ちが悪いと思われても仕方が無い。場合によっては、そのまま捨てられちゃったかもしれない。
でも、ボクのご主人様はそんな事をしなかった。
さすがに、すぐ信じてはもらえなかった。だからボクは、姿を現したり消したり、本体のスイッチを触らず入れたり切ったりしてみせたんだ。ボクはこのコンポそのものなんだ、って彼女に証明するために。
難しい顔でボクのやる事を見ていたご主人様は、やがて聞いてきた。
「つまりボクちゃん、きみはこのコンポの精、みたいなもんなの?」
「……よくわかんない」
「う~ん、幽霊じゃないんなら、まあ、いいか」
そのまま、彼女はあっさりとボクの存在を受け入れてしまった。
間もなくご主人様は進学で実家を離れ、アパートで一人暮らしを始めた。もちろんボクも一緒だ。彼女が学校に行ってる間、ボクは部屋でお留守番。ちょっと寂しいけど、我慢しなくちゃいけない。いい子にしてご主人様の帰りを待ってるんだ。
「ボク、お掃除とかごはんの支度とか、したい」
何か役に立ちたいと思ってそう言ったら、怒られてしまった。
「子供のくせして、一人の時に怪我でもしたらどうするの!」
怪我なんかするもんか、と思ったけど、ボクは渋々諦めた。ご主人様がますます怒ったら大変だもの。
だから、昼間こっそりと部屋をホウキで掃くだけにしている。あ、あとは窓際に置いたビオラの鉢植えの水やり。あいつ、ボクと何となく波長が合うんだよね。『本体』に水がかかりでもしたら大変だから、水やりの時は十分に気をつけている。
小さくて可愛いビオラは、ボクのたったひとりの親友だ。
こいつもボクと同じぐらいにご主人様が大好きで、一日も花を絶やすまいと張り切ってつぼみをつける。
「私が帰るまでの間、このお花と仲良くお留守番しててね」
ご主人様にそう言われた日から、ボクとビオラは親友になった。
ボクはビオラと日向ぼっこをしたり、窓の向こうに見える雲を眺めたりして過ごす。
寂しい時は音楽を流して、それからビオラに話しかけるんだ。もうすぐご主人様が帰ってくるからね、って。
「ボクちゃん、ちょっと背が伸びたんじゃないの?」
夕食の後にお片づけを手伝ってたら、ご主人様にこう聞かれた。お皿を両手に持った彼女は、不思議そうにボクを見下ろしている。
「そうかなあ。気のせいじゃないの?」
どきりとしたけど、ボクはどうにかとぼけてみせた。それ以上追求されたくないから、ご主人様を追い越して台所に急いだ。持っていた茶碗を流しに置く。
そうだよね、コンポが成長とかまさかね~、なんて、背後から呟きが聞こえた。
ホントはね……ご主人様には秘密、なんだけど。
ボク、少しずつ、背を大きくしてるんだ。だってご主人様より大きくなりたいんだもの。
子供のままなんてつまんない。ボクは大人になって、ずうっとご主人様と一緒に暮らしたい。大きくなったらお掃除だってごはんの支度だってきっとできるようになる。今は子供のボクだけど、大きくなればきっとご主人様の役に立てるんだ。
だけど、ホントの事を言ったら、彼女はきっと言うだろう。
「子供はそんな事考えなくっても、いいの!」
だから、これはボクだけの、秘密だ。
機械に疎いご主人様は、ボクが古い型でもまるで気にしてないみたい。
「CDやラジオが聞ければ、それで十分よ」
そう笑って、相変わらずボクの奏でる音楽やDJのお喋りに耳を傾けてくれる。そんな時、ボクは隣に座って彼女にもたれる。ご主人様はあったかくて優しい。頭を撫でてもらいながら、ボクはいつまでもこうしていたいって思う。
お布団に入ったご主人様に、子守唄を歌ってあげるのもボクの大切な役割。
一日が終わる度に、ボクはもっとご主人様を好きになる。
ご主人様とボクとビオラ、ずっとこうして暮らせれば、いいな。
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