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朝。
エレベーターの中で偶然、顔を合わせた。
お互いに無言なまま。はりつめた空気が包み込み、エレベーターが上がっていく音だけが響く。
昨日あんな風に肌を合わせた事にはお互いに触れない。
朝目覚めたら隣のベットはもぬけの殻だった。
いつの間に沢井さんは帰ったんだろう。俺は同じ服のままあのホテルから出勤してきたけれど、沢井さんはちゃんと別の服に着替えてた。
寝ぼけ眼な俺と違って、沢井さんはなにもなかったようにシャキッとした表情でまっすぐ前を向いてる。何もなかったような顔をして。
エレベーターのなかですぐ横に立って俺の視線に多分気づいてるその沢井さんの横顔がさっきからこっちを気にしてる。その緊張した瞳がチラチラ視線だけ俺に向けてるのは俺だって気づいてる。
だけどお互いに何も話さない。
話せない。
だって、何て言えばいいんだよ…。
これって、昨日のことは無かったことにしようって事、だよな?
沢井さんはあのあと、眠る俺を置いて一旦家に帰ったんだろう。
朝からちゃんとメイクもしなおしてるのが沢井さんらしい。
やっぱりこんな風にしたって、元の真面目な部分は少しも変わってない。
オフィスのあるフロアにつくと扉があくのを待ちきれずに沢井さんが開き始めた扉の隙間から体を滑り込ませるようにして急いで先に出ていってしまった。
なんだよ、そんな逃げるようにしなくたってさ…。
ノコノコと後ろから着いていくように俺もエレベーターを降りると向こうから来たウルちゃんとすれ違った。
俺と目があった瞬間にハッとした顔で先を歩く沢井さんを振り返ってた。
なんか言いたげな視線が刺さってくるような気がした。
「おはようございます」
「あ、おはよ」
ウルちゃんとは普通に挨拶を交わしたつもりだけどなんだか全てを見透かされてるみたいで居心地が悪い。
思わずすぐそばのトイレに逃げ込むように滑り込む。
『紺野さん、なんか最近変わったね…、もしかしてあの人のせい?最近入った派遣さん…』
そのウルちゃんの言葉が脳裏に浮かぶ。
そうだよ、俺は変わった。
変わったはずの俺が段々、元の俺に戻っていく…。
そうだよ、全部沢井さんのせいだ…。
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