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水野君
定時を過ぎると人があっという間に捌けた。ガヤガヤと連れだって出口に向かう社員さんたちの声を見送り、パソコンに向かう。
誰もいなくなったオフィスで、一人作業をしていると向こうから同僚の水野君がやってきた。
「あ、沢井さんお疲れ…」
水野君は私を派遣さんとは呼ばない。
派遣さん、名前は何て言うの?
って、最初に訊かれて。それ以来…。
名前で呼んでくれるようになった。
「あ、お疲れ様です。」
「今日は残業?」
穏やかな笑顔で近づいてくる。
「はい、頼まれちゃって…。」
作業を中断したくなかったから目線はパソコンの画面を見たまま、声と意識だけそちらに向ける。
「なんか手伝うことある?」
画面に顔が近づいてくる気配がする。すぐ隣に立ってそっと画面を覗いてきた。
「いえ…、大丈夫です…。」
思わずのけぞり、近づいた顔から離れた。
もー。近いってば。
「週末なのに残業なんてな。デートで忙しかったんじゃない?」
さりげなく肩に手を置かれた…。
「そんなこと、ないです…。」
なんて、はぐらかした。
彼とは別れたなんて言いたくない。
「彼氏が寂しがってんじゃない?」
肩に載った手のひらが二度三度、肩の上で跳ねる。
「どうかな…。」
あー、もう。集中したいんだけどな…。
「どうかなって?なにそれ…」
さらりとその肩を撫でたあと静かに離れた。
「いえ…、別に…。」
「え?なんか、意味深?」
彼の顔が視界に入ってきたからようやく画面から顔を上げそちらを向いた。
「そんな。水野君こそ、待ってる人いるんじゃない?」
「俺?いたらさっさと帰ってるし。
いいよなぁ。
紺野みたいに好かれ放題なやつはさ。選び放題で羨ましいよ。俺もあんな風に囲まれてみたいわ。時々、アプローチされた女の子をお持ち帰りしてるって噂だし。」
空いてる隣のデスクの椅子に手を伸ばし腰かけた。コロコロその椅子を転がして私のそばに引きずってきて隣に並んだ。
「いいですよねぇ~、そんな風に出来たら…」
わたしはそんなの無視してまた画面に顔を向けた。水野君は最近なんとなく私との距離を縮めて来ようとしてるように感じたけれど、はっきりいってわたしは水野君なんか興味ないし、そもそも眼中になかった。
「え…?」
「え?いえ、別に深い意味はありません。」
「へぇ、沢井さんでもそんなこと、思ったりするんだ…」
適当に相槌を打ったつもりだったけど水野君が話を掘り下げてきた。
「やだ、ほんの冗談です…。」
「紺野がホント羨ましいよ、ああやって勝手に周りが寄ってきてさ。あんなかわいいウルちゃんみたいな子にまで言い寄られてたし…」
「そうなんだ…。」
「そうかぁ、それじゃ…よかったら…。今日は俺たち寂しいもの同士…」
水野君がそういいかけたところで割り込む声がした。上の階から部長との打ち合わせを終え降りてきた紺野君がいつの間にかそこに立っていた。
「俺がなんだって?」
「あ、いや。なんでもないよ。
モテる紺野が羨ましいって話。」
「別に俺は嬉しくもなんともないけど?」
「うっわ、言ってみたいわ、その言葉。」
「それで?沢井さんにちょっかいだしてんのか…」
「は?ちょっかいだなんて人聞きの悪い、寂しいもの同士で慰めあってただけだし。
だよな?沢井さん…。」
「あ…、あたしは別に…。そんな…寂しくなんか…。」
なんて紺野くんの前だから強がってみせる。
「ほら、沢井さん迷惑がってるぞ?
お前、随分と暇そうだな、水野もいくか?」
「え?どこに?」
「どこって小畑さんたち、いま近くの居酒屋で飲んでるってさ。呼ばれてる。」
「え?俺もいいの?」
「いいだろ別に…。沢井さんは?」
「あたしはいいです。誘われてないし。あたしは派遣だから…」
「え、俺も…誘われてないし…?」
「なんだよ水野、めんどくセェな。
行きたいんだろ?行っちゃえば何とかなんだろ。」
水野君が座っていた椅子を座ったまま私のそばから引き離しくるっと回転させて私に背中を向けさせた。
「さぁ、行くぞ!ほら…。」
紺野君が水野君の腕を掴んで立ち上がらせた。
「うん…。じゃあね、沢井さん…、お先。」
「お疲れ様でした…。」
紺野くんは水野君を半ば強引に連れていった。
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