第11話「君の颯、いつまでも」

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第11話「君の颯、いつまでも」

 俺が「ドキドキ☆ハレンチ・ツイスターゲーム」というゲームを知ったのは、刑事課に入りたての頃だった。  違法営業している風俗店摘発のための潜入捜査で、俺は風俗店で働く女性達とそのゲームを行ったのだが……まあ、破廉恥というだけあってそれなりに破廉恥だった。  ルールは既存のツイスターゲームと同じ。四色の丸い点が書かれたシートの上で、ルーレットの指示に従って色のついた丸い点の中に手足を置いていく。ゲームを行っていく中でルーレットの指示以外で手足を丸から離したり、膝や尻をついたら負けだ。  簡単そうに見えるが、いかにして自分の体を柔軟に動かし、そして対戦している相手が膝や尻をシートにつかせるまで耐え忍んで戦うかが肝のゲーム……それがツイスターゲーム、なのだが。  ドキドキ☆ハレンチ・ツイスターゲームというのは、くじ引きで引いたセクシーなコスチュームでゲームに挑まなければいけないのである。  例えばナース服と書かれたくじを引いたらナース服でツイスターゲームをやらなければいけない。それは男女共通のルールで、俺が潜入捜査でこのゲームをした際にはチャイナ服を着て戦った。めちゃくちゃ恥ずかしかった。  何故こんな破廉恥なゲームを提案したかと言えば、これは別に様々な罪を犯してきた桜華に辱めを受けさせたいからというわけではない。そして俺が単に見たいからという訳でもない。  桜華は秀才として噂されているものだが、こういう低俗な戦いに関しては不慣れだと思ったからである。これはあまり良くない事だとはわかっているが、少しでも勝負を有利にしたかったのだ。こんな豪邸に住んでる人間が、友達とセクシーな衣装でツイスターゲームなんてどう考えてもやる訳がない。やってたら困る。  これは賭けだ。桜華に少しでも勝てる機会があるなら……俺は恥を捨てるッ!  ……そう思って引いたくじ引きには、「ミニスカポリス」と書かれていた。  絶望しそうになるのを堪え、俺の指示通りに財閥が用意したコスチュームを着る。安っぽいラバー素材で出来た真っ青なスーツにタイト過ぎるスカート……網タイツを穿き、警官帽を模した嘘くさい帽子を被ると、俺は再び部屋に戻る。  部屋にはしっかりとツイスターゲーム用のシートが引かれ、審判になるであろう和服姿の黒髪の使用人が手にゲーム用のルーレットを持っている。 「……ってあれ? 桜華、まだ来てないのか」  別室で着替えている桜華の姿がない。そんな手間のかかるコスチュームなのだろうか? 桜華が一体どんなコスチュームを引いたのか俺は知らないのだ。  まさか桜華のやつ、恥ずかしがって逃げ出したのか。もしそうなれば、俺の勝ちだが……プライドの高そうな彼女のことだし、恥を捨てて部屋に戻ってくるだろう。いや、戻ってきてくれないとただ俺が女装してるだけになるから早く来てくれ。 「お……お待たせ、致しました」  声が聞こえ、襖の方を見る。だが、桜華の姿はない。どうやら襖の後ろに隠れているようだ。 「桜華、準備が出来たなら部屋に入ってくればいいじゃないか」 「だ、だって! その、こんな……こんな格好で人前に出るなんてっ!」 「俺だって今とんでもない格好で人前に出てるんだよ! それとも桜華、勝負もせずに逃げるのか君は? 財閥の命運を賭けた戦いなのに!」 「……逃げるわけッ! 無いでしょうッ! この黄金原桜華が!!」  スパーン!俺の煽りに火のついた桜華が襖をぶち壊さん勢いで開けた。そして、豪快な歩きで部屋に入って来て、俺の目の前に立った。  桜華のコスチュームは……何の変哲もない真っ白いビキニだ。着物で隠されていた、日焼けの一つもないスラリとした美しい肉体に思わず目を奪われる。まるでモデルのようだ。こんな美しい女性が海を歩いてたら真っ先に振り返るだろうし、グラビア雑誌で彼女が表紙だったら絶対買う。 「な、何をそんなにジロジロ見てらっしゃいますの⁉」 「いや、その……綺麗だなと思って」 「そんなお世辞は結構ですッ! というか貴方こそ何なんですかその格好! 最低! 恥知らず! 羞恥の欠片もない!」 「和室で水着を着てる君に言われたくないッ!」  まあ、圧倒的に俺のほうが変態度は高いんだが。負けてはならぬと言い合いをしたが、逮捕されるなら完全に俺である。警察官なのに。 「もう! 早く終わらせましょうこんな低俗なゲームは!」 「そうだな。とっとと決着をつけてお互い楽になろう。じゃあ、まずは定位置につくぞ」  俺と桜華がシートの端に向かい合うように立つ。それじゃあ……やるか。と、ちらりと和服の使用人に合図を送る。すると使用人は「では、始めさせて頂きます」と一言俺達に告げると、ルーレットを弾いた。クルクルと針が回り、止まる。 「三代木様、左足を赤」  使用人の指示通り、俺は足を赤い丸へと移す。次に桜華の番になり、桜華は左足を緑の丸へと乗せた。次に俺が右足を青。桜華は左手を黄色に置く。  黄色い丸に手を置くために前屈みになった桜華の胸に完全に目が行ってしまったが、今はそれどころではないと邪心を振り払う。桜華も真剣な顔してるし、俺も真剣な顔を作らないとな、ムフフ。 「殺します」 「エ⁉」  突然の殺害予告に俺が驚いていると、桜華が氷河のような無表情で言う。 「今完全にいやらしい顔をしていましたよね三代木さん。このゲームが終わったら絶対に殺します」 「ふん、それは君が俺に勝ってからの話だぞ? まだ勝負は決まったわけじゃないからな」  俺の余裕そうな態度に、桜華が怒りを露わにする。「絶対勝ちますから……!」と今にも俺を呪い殺さん勢いで睨みつける桜華の視線を受けながら、ゲームは続いていく。  ゲームが進むにつれて、段々と俺と桜華の物理的な距離が縮まっていくことになる。そもそもツイスターゲームというものは、組んず解れつしいかに相手を脱落させるかが重要だ。もちろん直接的に肉体を攻撃して妨害するのはルール違反だが、無理な体勢をわざと取って相手の進行経路を塞いだり邪魔したりするのはオッケーなのだ。自分の身体の限界を超えながら、相手としのぎを削って戦う……それがツイスターゲームッ! ああ、なんて激熱なゲームなんだ! 「いやーッ! 三代木さんッ! 足を開かないでくださいませッ! 見えてますから!」 「仕方ないだろ!君が目を逸らせ!」  ルーレットの指示に従った結果、年若い女の子の前で大開脚を繰り広げる俺。三代木信彦26歳、警察官。どうしようもないくらい最悪過ぎる状況だが、勝つためにやってるんだぞ俺は! これは蘇芳の命運を賭けた決戦なんだ! 「次、桜華様が……」  無慈悲に続いていく審判の指示に、粛々と従う俺達。しばらくしてから俺が開脚ポーズから脱する道筋が立ち、指示された色に手を置いたのだが……その結果、桜華の尻に顔を近づける体勢になってしまう。 「……桜華、これは俺が生き残るための生存戦略であって決していやらしい目的があるわけでは」 「そこで喋るなーッ!」  桜華の絶叫。彼女の白い肌がみるみる赤くなっていくのが分かる。きっと桜華からしたらとんでもない羞恥プレイだ。俺からしたら褒美でしかないが、そんな事言ったら俺はどうなるかわかったものじゃないのでそれ以上は黙っておいた。  体勢が幾度となく変わっても攻防は続いた。じりじりとした持久戦になってくると、桜華の身体能力の高さを感じるようになる。戦いが長引くにつれて、俺は足や腕が攣りかけていた。しかし、彼女の手足は震えている様子はないし、どんな動きにもそれなりに対応している。頭の良さもあるが、戦略に耐えうる柔軟な肉体を持っているのだ。 「桜華、君は……強いな」 「これくらい、どうってことありません。というかいい加減、三代木さんこそ負けを認めたらどうなのですか? もう、限界なんでしょう」  どうやら俺の身体の限界を見抜いていた桜華。俺は「なんの、まだやれるさ」と笑った。完全にハッタリだが、ここで弱音を吐くわけにはいかない。  次の指示に従って、俺は更に身体を動かす。足が悲鳴を上げ始めたが、今は無視だ。 「……本気で私に勝つ気なんですのね」  桜華の呟きには答えられなかった。今はそれどころではなかったから。俺達の会話も気にせず、再び指示を出し始めた使用人の声に桜華が動く。 「……!」  桜華が俺と距離を縮めてくる。距離が縮まるという事は、俺の進行経路が狭まるということだ。桜華も段々とどうすればこの戦いに勝てるかについて理解してきたようで、恥を捨てて俺を蹴落としに来たのである。  すぐ近くに桜華の顔。端正で美しいその顔は……嵐に似ている。彼女と嵐は、やはり姉弟関係なのだ。なのに、彼女は嵐を憎んでいる。もし、嵐が生きていたら……二人が和解するように俺が促せなかったものか……なんて考えながら、なんとなく、本当になんとなく! ちらりと視線を桜華の胸元に移した時だ。 「あの、桜華……水着の紐、緩んできてないか?」 「……とかなんとかいえば、私が反則負けすると思っているんですね?」 「いや違う! 本当なんだ! ちょっとずつズレてきてるっていうか……隙間が出来始めているというか……!」  指摘するかどうか迷ったが、指摘以前に何と言っていいのか言葉が見つからない。だが、確実にビキニが解けそうになっている。紐が緩み、胸と布の間が開いてきている! まずい! 本当にまずい! 「桜華頼む! 流石に年下の女性の胸を直視する訳には!」 「ふざけないで下さいッ! さっきからずっとじろじろ見てた癖に!この期に及んでそんな嘘ついて!負かそうたってそうはいかないんですからねッ!」 「だから嘘じゃないんだーッ!」  なんでわかってくれないんだ! と俺が嘆くと、桜華は言う。 「た、例え本当に水着が脱げた所で! 勝てればいいのです!私は勝たねばいけないのです! 財閥のために……ッ!」  言っているうちに水着はどんどん緩む。あと一秒で、完全にアウトだ。 「くっそおぉーッ! 蘇芳の皆ッ! 許せーッ!」 「えっ……⁉」  俺は様々なものを天秤にかけたうえで……シートから手を離し、桜華の両胸に素早く添えた。はらりと白いビキニがツイスターゲームのシートに落ちる。  間一髪で、桜華が俺の前で胸を晒すことを防いだ。今、俺の手は完全に桜華の胸にダイレクトに触れてしまっており、いわゆる「手ブラ」というやつになっているが、胸が露出するよりマシだろう。……え? マシだよな?  俺と桜華、そして使用人の人の時間が止まる。誰も何も言葉を発しない。もしかして、無の空間に飛ばされてしまったのか……などと考えていると、桜華が何かを言った。  ん? 今なんて言ったんだ? と俺が聞き返そうとした直前。 「死ねえぇえええええええーッ!!」  俺の頬に桜華の怒りの鉄拳がぶち込まれる。俺はその力強い殴打に吹っ飛んだ。めちゃくちゃ痛い。ハチビット―に吹っ飛ばされた時より痛かった。  それでも俺が頬を押さえながらよろよろと起き上がると、腕で胸元を隠した桜華がふらりと立ち上がったのが見えた。 「……アルケマイズ、テンイ」  その言葉が聞こえた途端、桜華の耳元から黒いリボンが吹き出した。そのリボンは桜華の身体を余すことなく包み込み、桜華をミイラの様な状態に変える。その光景はあまりにも見覚えがあって、俺は驚愕した。  俺が驚いている間に、黒いミイラとなった桜華の身体に瑞々しい緑色が咲いていく。漆黒から鮮やかな色が生まれるその姿は……ガデンの時とほとんど同じだ。  もしかして、ガデンの戦闘記録から生まれた新兵器というのは……彼女のことなのか? 「テンイをこんな下劣な人に使うなんて……本当に最悪です!」  俺がじっとその姿に目を奪われていると、桜華ことテンイが言う。美しい緑の仮面に身を包んだテンイの両手には、簪に似た短剣のような武器が握られていた。あれは確か、釵というやつか。 「絶対許しませんからッ! 貴方は私が徹底的に処分致します!」  恐ろしい程の怒りを滲ませながら、テンイがこちらに歩いてくる。俺は自分がテンイによってハチの巣にされる姿を想像してゾッとした。逃げようにも、手足がツイスターゲームで痺れて思うように動かない。  もう終わりだと、俺は死を覚悟した。俺は闇を暴けぬまま、終わってしまう。蘇芳に住む皆、嵐、すまない……。 「さようなら、三代木さん……いえ、この不埒者ッ!」  俺の目の前まで来たテンイが、俺を目掛けて釵を振り下ろす。俺は思わず、襲い来るであろう激痛を想像し目を閉じた。  俺が目を閉じてすぐ、ギィンと金属と金属がぶつかる鈍い音がした。何が起こったのか、わからない。想像していた痛みも降りかからない。 「……え?」  ゆっくりと目を開く。俺の直ぐ目の前には、とある人物の背中があった。  それは、先ほどまで俺達のツイスターゲームの審判であった使用人の背中だ。よく見れば、使用人は手に持っていたルーレットでテンイの攻撃をガードしている。それ、金属製だったのか……。  いや、それよりも何故財閥の使用人が俺を守ったのだろうかと使用人の背中を見つめる。 「生きていたのですね」  テンイの忌々しそうな声。生きていた……って、なんだ? 俺が呆然としていると、テンイが素早く距離を取る。使用人はテンイの釵でへこんだルーレットを置くと、ゆっくりと立ち上がって……自らの黒髪を剥ぎ取った。 「なっ……」  黒髪の下から現れたのは、栗色の髪だ。少し長くふんわりとした見覚えのあるその髪型に、俺は目を瞠る。まさか。 「あ……あ、嵐?」  思わず声が情けなく震えた。俺の声に、使用人がゆっくりと振り返る。 「三代木、待たせたな」  言葉と共にルビー色の美しい瞳が向けられた時、勝手に涙腺が緩んでいく。  嵐だ。俺を見つめるその男は間違いなく嵐本人だ。もう二度と会えないと思っていた男に会えたのが嬉しくて滲んだ涙を拭う。 「遅いぞ、馬鹿」 「悪かったな、少し遠回りしていた。怪我は?」  嵐が俺に手を差し伸べる。俺はその手を握って立ち上がった。またこうして嵐の手を握れることを幸福に感じながら「……なんともないよ」と笑って見せた。 「あとは任せておけ」  嵐の微笑みに、俺は頷いた。嵐は俺に背を向け、再びテンイの方を向く。 「久しぶりだな、姉さん」  嵐の声に、テンイが釵をぎゅっと握り締めたのがわかった。 「貴方に姉さんなどと……呼ばれる筋合いはありません」  恨めしげな声は低く凍てついていた。それだけで、どれほどテンイが……桜華が嵐を憎んでいるのかがわかる。 「俺はアンタとは戦いたくない」  嵐はそれでも臆せず言葉を続けた。するとテンイは大きく溜息をつき、「戦いたくない、ですって……?」と呟いた。 「ふふ、おかしなことをいうのね。戦いたくないなんて、そんな訳ない。貴方は財閥を……家族を憎んでいるはず。戦わない、なんて出来ないでしょう? 自分を束縛していた全てを壊してしまいたい癖に……」  テンイの言葉の節々から滲む憎悪に、俺は顔を顰める。俺は嵐がテンイの言葉に何を思うのか、気になった。嵐は俺に背を向けているから、どんな顔をしているのか分からない。 「俺は家族を憎んでいないし、全てを壊したいと思ってる訳でもない。失った時間を追う気も、ない。俺は……今を生きたいんだ。やり直せない事ばかりを数えるより、今目の前にあるものを掴みたい。俺の目の前にあるものは、真っ新な未来だ。そこに……アンタとの戦いは必要ない」 「…… 戯言をッ!」  テンイがこちらに向かってくる。だが嵐は逃げる事も戦う姿勢をとることもない。俺は息を呑んだ。このままでは、きっと嵐は……!  俺が嵐の前に出ようとした時、テンイの持った武器が嵐に突き出される。危ない、と声に出す事も出来なかった。  テンイの釵が、嵐の頬を掠めた。尖った切っ先が、嵐の頬に一筋の傷をつける。傷口から  静かに血が滴り落ちるのを見て、俺は血の気が引いた。本当に、彼女は嵐と戦う気なのか。 「ガデンになりなさい。次は目を狙います」  テンイの鋭い声が響く。嵐はしばしの沈黙の後、小さく「……どうしてもか」と呟いた。 「どうしても、ですわ。私は、貴方と戦わなければ気が済まない。貴方を、壊さないと……私は……」 「……そうか」  嵐はテンイの言葉を聞き、ゆっくりと自分の首元へと手を伸ばした。 「アルケマイズ、ガデン」  囁きと共に、嵐が漆黒のリボンに包まれていく。全身が黒く染まった嵐の肉体に鮮やかなマゼンタが咲き乱れる姿は、いつ見ても美しいと思った。だが、今はその美しさに浸っている場合ではない。  嵐がガデンへと姿を変えると、テンイは満足そうに「ふふ」と小さく笑った。 「それでいいのですわ。貴方と戦えば、テンイの戦闘データを回収できます。そして、更にこの兵器をグレードアップ出来る……財閥の富を築く新たな柱、それがテンイ。貴方を壊して、私はもっと高みへ行く」  テンイが釵を構えた。対するガデンは、いつの間にか出現したハンマーを片手に佇んでいる。 「……三代木、離れていろ」  ガデンの言葉に素直に頷いて、俺はなるべく二人から距離を取る。この先、何が起こるか分からない。俺は固唾を呑んで様子を見守った。 「来い、テンイ」  落ち着いたガデンの声。辺りがしんと静まり返り、張り詰めた空気が部屋に満ちる。心臓の鼓動が聞こえていやしないだろうかという程の静けさに息が詰まる。俺は息苦しい静けさに耐えかねて、ガデンの方に声を掛けようとした。その時だった。  テンイがガデンへと素早い足取りで突進する。ガデンの間合いに入ると、テンイは目にもとまらぬ速さで身をひるがえし、舞うようにして釵をガデンに振り下ろした。  ガデンは持っていたハンマーの柄で振り下ろされた釵を受け止める。キーンと甲高い音がして金属がぶつかり合う。テンイとガデンが至近距離で睨み合って、ガデンが勢いよくテンイの釵を弾き返した。しかし、テンイはすぐに体勢を整えてガデンに素早い攻撃を繰り出していく。ガデンもまたそれに対応し、ハンマーや身体を上手く使って攻撃をかわしては自身もテンイに攻撃を仕掛ける。だがテンイはそれを華麗な身のこなしで避けていく。  両者、一歩も譲らぬ実力といった所か。二人共、自分の隙を見せないように戦っている。俺はその目にもとまらぬ高度なバトルをただ呆然とした気持ちで見つめていた。 「ふ、そんな旧型装備でよくもまあ頑張れますこと……!」  戦いの合間、テンイが嘲笑った。話をする余裕が、テンイにあるということはやはりテンイの方が有利なのだろうか? 一方のガデンは、何も言わずに攻撃を避けては自身の打撃を放つ様子を窺っているようだ。 「話す余裕も、ないのですね……そうですわよね、貴方は失敗作ですもの。テンイの方が……私の方が上なんですから……! 私が一番、誰よりも優秀なの!」  テンイの身のこなしが更に速くなる。ガデンはテンイから繰り出される斬撃に耐えてはいるが……あまり状況はよくなさそうだ。  段々分かってきたが、ガデンは攻撃こそしているがあまり決定的な攻撃を仕掛ける気がない。つまり、テンイを倒す気がないのだ。致命傷を負わせてダウンさせるいつもの方法を取ろうとしていない。  きっと戦いたくない気持ちの方が強いのだろう。テンイを倒す、それはすなわち実の姉を打ち倒す事となる。ガデンはそれをやりたくないのだ。だから、どうするべきかをきっと考えている。それに、テンイは気づいていない。 「私が、私が優秀なの……愛されるべきなのは私なの! 父も母もなんにもわかっていなかった! 私の事なんて誰も見てくれなかった! だからテンイを使って見返すの! 私がテンイの開発を成功させれば……きっと……!」  きっと、誰かが私を見てくれる。  激戦の中で紡がれる言葉に、俺は胸が締め付けられた。それは、彼も同じだったのか……一瞬だけ、ガデンの動きが鈍る。  テンイはその隙を見逃さず、ガデンの腹に思い切り蹴りを入れた。ガデンはその蹴りに吹っ飛び、壁に激突する。ミシリと壁が軋む音がして、ガデンが膝をついた。  まずい、と思ってすぐにガデンの持っていたハンマーが弾き飛ばされる。部屋の隅に転がったハンマーを取る事は出来ない。状況は最悪だ。 「貴方なんか、いなければよかった」  テンイが呟く。そして、一気に手に持っていた釵をガデンの脳天目掛けて振り下ろした。 「ガデンッ!」  叫んだとの同時に、パキリと音がして……ガデンの面が真っ二つに割れた。仮面が割れて床に落ちると、仮面の下から現れた嵐の額から真っ赤な血が一筋伝う。俺は自分の顔が青くなるのを感じながら唇を震わせた。  嵐は微動だにせず、テンイを見つめ続けている。テンイもまた、嵐を見つめていた。互いに次の一手を考えているに違いない。  でも……そんなのどうだっていい! 「もうやめてくれ!」  俺は震える足で走り出し、二人の間に割って入った。もうこんな事には耐えられない。 「……三代木さん、退いて下さいませ」 「……三代木、危ないから下がっていろ」  ほぼ同じタイミングで、テンイと嵐が言う。だが俺は退く気はなかった。 「誰が退くか! いい加減にしろ、どいつもこいつも! こんな事して何になるっていうんだ! こんなつまらない姉弟喧嘩の所為でどちらかが傷つくなんて……! 」 「つ、つまらない、姉弟喧嘩……ですって?」  テンイが言葉を詰まらせ、怒りに震えるのがわかった。俺はそれでも話すことをやめなかった。 「そうだ! こんな喧嘩をして……二人が傷ついて、誰が幸せになるんだ⁉ テンイ……いや、桜華! 嵐を傷つけたって君は幸せにはなれない! 君が幸せになる方法はもっと別にあるんだ!」 「そん、なの、ある訳が……」  俺の勢いに戸惑うテンイの手を掴んだ。危険は承知である。けれど、桜華には教えてやらなくちゃいけないのだ。 「君はずっと財閥の責務や過去に追われていて、外の世界を知らないんだ。君の視野は、今限りなく狭くなっている。でも桜華、君が知らないだけで、君の周りには沢山の幸福が溢れているんだよ。君が幸せになる道は、いっぱいあるんだ。それなのに、憎しみだけが君の人生なんて……俺は勿体ないと思う。君は、こんなに綺麗なのに」 「っ、馬鹿なことを言わないでくださいっ!」  テンイが身を引こうとするが、俺は手を離さない。むしろテンイを引き寄せて言った。 「君はもっと、自分の人生を楽しんでいいんだよ。君が、楽しく人生を謳歌すること……それこそが、過去に対する最大の復讐になるとは思わないか? どうせなら、楽しく見返してやろう。君の好きなものを食べて、好きな洋服を着て、好きな場所に行こう。君は、自由なんだ。財閥の歯車でも、道具でもない。君は桜華という、尊くてかけがえのない人間の一人だ。それを……君自身が忘れちゃいけない!」  テンイが息を呑んだのがわかった。彼女の手が震えているのを、俺は強く握りしめる。気持ちが伝わって欲しいと強く願いながら。  きっと桜華も、嵐と変わらないのだ。何も知らずに生きてきている。嵐は俺と出会い、様々な事を知っていった。沢山の人と交流してきた。桜華にもまた、そういう出会いや交流が必要なのだ。責務でも何でもない、ありふれた触れ合いが。 「……服装の割にはいい事を言うじゃないか、三代木」 「嵐。水を差すな」  今めちゃくちゃカッコいい事言ってる自覚はあるから、服装の事は無視してたのに。本当にミニスカポリスじゃなければ、俺はもっとカッコいい男に映っていた筈なんだがな。自分で自分を呪いたくなってきた。なにがドキドキ☆ツイスターゲームだよ。 「……楽しく人生を、謳歌する……」  俺が恨めしい気持ちで自分の提案を思い返していると、テンイの白い武装がゆっくりと解除されていく。武装の解かれた中から水着姿の桜華が再び現れ、俯いた彼女が言った。 「楽しく生きてきたことなんて、ないから……わからないです」 「わからないなら、俺が手伝うさ。まずは、そうだなあ……遊園地とか、ショッピングとかに行かないか? 君が悲しい事を忘れられる場所に、俺が連れて行くよ」 「……本当に?」 「ああ、約束する」  俺が笑うと、桜華が顔を上げる。目じりに涙が小さく滲んでいた。拭ってやろうとしたとき、そっと横から皴の無い綺麗な薄桃色のハンカチが差し出される。  ハンカチを差し出したのは、嵐だった。俺が驚いていると、嵐は静かに微笑む。まるで、慈しむように。 「嵐……」  嵐の優しい眼差しに、胸がじんわり熱くなった。桜華もまた、震える声で「……ありがとう」と言って嵐のハンカチを受け取った。 「……にしても、姉さんも三代木も早めに着替えた方がいいな」 「それは同感だ。特に桜華、君には上着かなにかを……」  俺と嵐がそんな話をしていた時だった。  大きな音を立てて、廊下側の襖が開く。全員の視線が襖の方を向くと、開いた襖の向こう側から……よろよろと誰かが入ってきた。 「……誰だ?」  入ってきたのは使用人でもガードマンでもない、くたびれた薄緑の作業服の男だ。  薄い髪は乱れ、まるで幽霊のようである。品のあるこの部屋には似つかわしくないその薄汚れた風貌に目が釘付けになっていると、男がこちらを向いた。 「……黄金原……」  酷くしわがれた声。その顔に見覚えがある気がしたが、すぐには思い出せなかった。 「お前、のせいで……お前が……!……す、け、を……!」  俺がその顔を思い出そうと目を凝らした途端だ。  男が何かをぶつぶつ言った後、懐から黒い何かを取り出してこちらに向ける。それが何なのか……そして誰を狙っているのかを瞬時に理解した俺は、ハッとした。 「……ッ! まずい、拳銃だ!」  叫び、咄嗟に桜華を庇ったのと同時。バンッと大きな発砲音が響き渡った。  数秒後、俺は目を見開いて自分の胸元を見る。青く安っぽい服に、赤いシミがひとつ。自分が撃たれたのだと頭で理解する前に、身体から力が抜けていた。 「三代木ッ!」 「三代木さん……ッ!」  嵐と桜華の悲鳴にも似た声が響く。俺がその場に倒れると、ドタドタと誰かが部屋に入ってくる音がした。激しい痛みに耐えながら、男がいた方向を見る。銃声を聞きつけたガードマン達が部屋に入ってきて、男を取り押さえている。 「離せぇえッ! 俺は、俺は雄介の仇をとらなくちゃあならないんだ!」  くたびれた男の絶叫を聞いて、俺は思い出す。彼は……黄金原財閥の管理する部品工場の責任者で、怪物となって死んでしまった雄介君の父親だ。写真で見た時より痩せこけていたから気が付かなかった。  どうやってここまで来たかはわからない。だが、彼が雄介君の仇を取りにここまで来た執念を思うと堪らない気持ちになる。俺が雄介君を救えていれば、彼はこんな暴挙には出なかった筈だ。 「三代木、しっかりしろ!」  嵐が俺を抱き起す。まったくなんて顔をしているんだと笑い飛ばすことも出来ず、喉元にせり上がってきた血が口から零れ出る。その横で、顔を青くした桜華が俺を見ていた。 「嫌……そんな、三代木さん……っ!」  唇を震わせて泣いている桜華に、大丈夫だと声をかけたくて口元を動かすが、上手く喋れない。桜華が「はやく救護を!」と泣き叫ぶ。嵐は俺を見つめて絶望的な表情をしている。  視界が霞み、考えが上手くまとまらなくなってきた。しかし二人にどうしても言いたい事があって、俺は必死に呼吸を繰り返して言葉を紡いだ。 「ふ、たりとも……も、う……喧嘩、する……なよ?」  精一杯笑って見せると、嵐が顔をくしゃくしゃにした。そして俺を抱き寄せて「死ぬな、絶対に……!」と震えて声を漏らす。  死んでたまるか。俺は二人と、色んな、景色、を。  ……微かな希望を胸に、意識は静かに水底へと沈んで行った。  ****  数か月の月日が経った。  銃撃を受けた後、なんとか一命を取り留めた俺は何週間も昏睡状態になっていた。目が覚めた時、一番に目に入ってきたのは妹の誠子だ。泣きながら俺に抱き着いてきた誠子の温もりに、俺も涙した。生きている事がこんなにありがたいことだったなんて、思いもしなかった。  昏睡状態から目覚めて暫くしてから知ったのだが、あれから雄介君の父親は逮捕され、それをきっかけにして黄金原財閥は兵器開発をしていた事実を自ら公表して謝罪したようだ。同時に、圧力でもみ消してきた数々の不祥事についても公表され、蘇芳は混乱の渦に包まれた。  日夜テレビや新聞で黄金原財閥の事件が報道され続け、大騒ぎとなった状態の中……財閥のトップである桜華が会見を開き事態の鎮静化を図った。  今まで姿を現さなかった桜華が姿を現したとなって更に報道はヒートアップしたが、桜華の何者も恐れない凛とした佇まいと精確な言葉選びによって、事態は少しずつ落ち着いていった。  病室のテレビ画面に映る桜華は「必ず信頼を回復出来るように、誠心誠意この都市の為に尽くしていく」と力強く説明していた。そこには、過去に執着し後ろ向きだった彼女の姿はない。彼女は前に進み、自らの未来の為に生きると誓ったようだ。  一方、嵐は俺が目覚めた後……姿を現さなかった。まさか彼に何かあったのかと不安になったが、術後のリハビリなどに必死になっているうちに「きっと何処かでまたふらついているのだろう」とか「そのうち急に姿を現すのだろう」などと思うようになった。そう思う事によって、俺はリハビリを頑張れた。嵐が突然俺の前に現れた時に、元気な姿を見せたくて。  だが、退院するとなった時も……俺が警察を辞め、桜華からのお願いによって財閥が運営する地域支援ボランティアに所属することになった時も、嵐は俺の前には現れなかった。  一体、嵐は何処で何をしているんだろう。そんな事を考えながら日々が過ぎていく。嵐がいない日常は少し寂しくて、物足りなかった。それでもいつか戻ってきてくれるだろうと淡い期待を抱く。また二人で同じ景色を見たいと……そう願っていた。  どこか心に穴が空いたような感覚を抱えながら、今日もボランティア活動の一環で町のゴミ拾いをしている。道端で地域の人にたまに声を掛けられながら平和になった町を見渡していると、少し心が満たされた気分になった。  ふいに、ひゅうと強い風が吹く。塵が舞い上がり、思わず目を閉じる。  微かに、誰かの気配がした。 「……?」  目を開けてもそこには誰もいない。……気の所為だったか。  遠くで雷の音がする。どうやら、嵐が近づいているようだ。雨が降らないうちに戻らなければ。俺はゴミ袋を片手に走り出した。  嵐はまだ、やってこない。
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