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2、心の傷を癒すといいよ
私に魔法の才能があるとわかったのは、5歳のときだった。
才能があると言われて喜んだ私は、それ以来、魔法の鍛錬や研究に明け暮れた。そして、気付けば宮廷魔法使いになっていた。
幼い頃から婚約していた侯爵子息のレイファンは私に会うたびに「魔法の研究より刺繍でもしたらどうだ」とか「可愛げがない、生意気だ」とか言っていた。私たちは気が合わなくて、会うたびにお互い嫌な思いをしていた。
「だからって他の令嬢と婚前交渉して婚約破棄する? これだから男はっ」
レイファンは、遊び人貴公子に育った。複数人の令嬢たちと関係を持った。それはもう派手に遊んだ。そして、婚約は破棄された。
『俺のハーレムにお前はいらない』
そんな開き直った言葉まで捨てセリフとして吐いたのだ。
「婚約破棄されて名誉が大きく傷ついてしまったなぁ。次の婚約はどうしようか、娘は男なんて嫌いだってなってしまっているし……」
父、シュアファルカ伯爵は、悲しそうに私をなぐさめた。
「アシュリー、パパがもっと良い相手を探すから、もう嫌な思い出は忘れてしまおう?」
「お父様。私、もう相手とかいらないです」
そんなことは、通常の貴族の娘は言えた身分ではないけれど。涙目で言えば、優しいお父様は許してくれた。
「うん、うん。しばらく心の傷を癒すといいよ。あんな相手を選んだパパが悪かったよ。パパ、見る眼がなかったな。ごめんよアシュリー」
「……ごめんなさい。お父様……」
「謝らなくていいんだよ、アシュリー」
「私、家門に泥を塗ったわ」
「アシュリーは才能があって、宮廷魔法使いをしていて、パパの誇りだよ。貴族の娘だからって、結婚が義務だと思う考えは古いよ。パパはそう思うよ」
父は私をあたたかに抱きしめて、優しく言った。
「世界中が義務だと言っても、パパはそれを否定するよ。パパの娘は、子供をつくるだけの政略道具ではない。したいことをして、生きたいように生きて、幸せになるためにアシュリーは生まれたんだ。……愛しているよ」
父が甘やかしてくれる。心の傷が癒えるまで、好きにしていいよって言ってくれる。
だから私は、仕事に打ち込むことにした。
「魔法使いの仕事があるから大丈夫。結婚しないで仕事人として生きていくわ! もともと、殿方ってあまり好きじゃないのよ」
すると、上司が極秘任務をくれた。
「第二王子派による暗殺計画を入手した。ゆえに我々は、これより厳戒態勢で第一王子殿下を護衛する。ちょうどいいので、お前は変身の魔法を活かして殿下の一番近くで護衛するように」
そんなわけで、猫生活が始まったのだ。
「メイメイ。専用ブラシを買ったんだよ。おいで」
ウィリアム殿下の寝所で猫として過ごす日々は、平穏だ。
暗殺者はこないし、真面目で優秀な殿下は品行方正で、護衛をはらはらさせるようなことがない。
日中の殿下は忙しそうに政務をこなし、休憩時間は読書やヴァイオリンを楽しまれることが多い。夜は猫を愛でて、たまに恋愛ポエムのようなものをおつくりになってからお休みになる。
「月が欠けていくけれど私にはどうすることもできない。この手が届けばいいと願っているうちに、ああ、月は消えてしまうではないか」
ポエムのよしあしはわからないけど、殿下はそういうポエムを好まれるようだった。
朝は早起き。規則正しい生活だ。
「すやぁ……」
殿下は寝つきが良い。
ひと月、ふた月と時間が過ぎたけど、この殿下は酒も嗜まれないし、女性遊びもしないようだった。
必要な睡眠を摂取して、朝になると過密気味のスケジュールをこなす日常をお過ごしになる。
猫の私は、ちょこちょこと殿下のあとを追いかけたり、寝かしつけられたりしながら護衛をする日々だ。
「もう暗殺者とか、来ないんじゃないでしょうか」
3か月が過ぎた頃、私は上司に申し出て、ちょっとしたお休みをいただいた。
「あんまり長く猫生活していると、自分が人間だと忘れてしまいそうです」
実家に顔を出すと、父であるシュアファルカ伯爵がとても心配してくれていた。
お忍び令嬢ルックで王都をお散歩してお買い物をすると、人間らしい気分になった。
任務前にあちらこちらで聞かれていた私の醜聞をささやく声は、すっかり落ち着いたようだった。
(人の噂ってそんなものね。本人が姿を見せなくなって時間が経てば、忘れられていく……)
ああ、空が青い。
カラフルな建物の屋根の上を、のびのびと鳥が飛んでいく。
平和。とても平和――
焼きたてのパンの香りにふらふら誘われるようにして、私は王都で人気のパン屋さんでライ麦パンを買った。
小さなカフェスペースでライ麦パンをいただいていると、ふわっと花の香りがした。
「こんにちは。お隣、いいですか」
ちょっとチャラい感じの青年の美声。ナンパって雰囲気だ。
私は一応、伯爵家の令嬢だ。周囲には使用人も伴っている。
チャラいナンパ男の接近を許して声をかけさせるとは何事? と使用人に思ったのも束の間。
「あっ……」
その相手を見て、私は驚いた。
そこにいたのは、第一王子ウィリアム殿下だったのだ。
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