ふたりめ

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   4  瞼を開くと、何やら古めかしい茶色の天井が見えた。  太い梁から視線を下ろし、辺りを見回す。  ここは――どこだっただろうか。  ぼんやりとした意識の中で、記憶を手繰った。  すぐ横には大きなのっぽの古時計が立っていて、カチカチと時を刻む音が聞こえている。  窓の外から差し込む光は綺麗な橙色で、店の中を淡く照らし出していた。  ――そう、店。  魔法百貨堂。  通勤途中に出会ったアカネという女の子に連れられて訪れた、魔法を売っているという怪しいお店だ。 「あ、よく眠れましたか?」  店の奥の暖簾から顔を覗かせたのは、長い黒髪の女性だった。  真帆さん、だったか。  真帆さんのあとから、アカネも顔を覗かせながら、 「おはよう、大丈夫?」  微笑みを浮かべている。  俺は頭を抑えながら、眉間に皴を寄せて、 「……どれくらい寝てた?」 「八時間、きっかりですね」  真帆さんが、時計を指さしながらそう言った。 「そう設定しておきましたから」 「設定って、何を」 「眠る時間を」 「そんなこと、できるのか?」  真帆さんは「みたいですね」とあいまいな返事をしてから、 「なにせ、新しくできた不眠用の魔法なので、そのあたりがまだよくわからなくて」 「ちょっと真帆さん?」  そんな真帆さんに、アカネは胡乱な目を向けながら、 「そんなあやふやな魔法、渋谷さんに使ったの? どうするつもりだったの? 一生眠り姫になってたら」 「まぁ、その時はその時で。よく眠れたんだから、よかったじゃないですか」 「よくねーよ」  思わず突っ込みを入れてしまう。  でも実際、眠気はすっかりなくなっていた。  あれだけ眠たかったのがウソのように、頭の中もすっきりしていた。 「これが、魔法なのか?」 「はい」と真帆さんは頷いて、「これまで魔法の眠り薬や眠り魔法はたくさん作られてきたんですけど、不眠に対する睡眠魔法っていうのはちゃんとしたものがありませんでした。眠らせすぎたり、眠りが浅かったり、うまくいかなかったんです。それがようやく開発されたので、今回、試しに使わせていただきました」  何故かにっこり微笑む真帆さんに、俺は眉を寄せながら、 「……俺を実験台にしないでくれよ」 「でも、しっかり眠れたでしょう?」 「まぁ、そうだけど」 「それなら万事OKじゃないですか!」  右手の親指を立てて、ウィンクを投げかけてくる真帆さん。  なにが万事OKなのか、わかりゃしない。 「でも、一応お礼は言っておくよ。ありがとう」 「いえいえ、とんでもない。お礼なら茜ちゃんにどうぞ」  そうだな、と俺は頷き、アカネに顔を向ける。 「ありがとな、アカネ」 「よかったね、ちゃんと眠れて」  俺は座っていた籐椅子から立ち上がり、大きく腕を上げて伸びをした。  どうやって俺の身体を椅子に座らせたのか解らないけれど、きっとふたりがかりでやってくれたのだろう。或いは魔法か。  おかげでちょっとばかり腰が痛いが、ここ最近の眠気はすっかりなくなったようだった。  本当に魔法のおかげだったのかどうかまでは、俺には判らないのだけれども。 「……さて、それじゃぁ、俺は帰るよ」  ふたりに背を向けたところで、思い出したように振り向く。 「あ、いや、魔法を使ってもらったんだから、金払わないといけないのか」  すると真帆さんは「いえいえ」と手を振って、 「実験台にしてしまったので、お代は結構ですよ」 「もし次に来るときは、実験台にするなら事前に教えてくれよ?」 「そうですね、そうします」  なんともふざけたやつだ。  けど実際、頭はすっきりしたのだから、まぁ、いいか。 「じゃぁ、ありがとう」 「はい。またのお越しをお待ちしてますね」 「じゃね、渋谷さん」  ふたりに見送られながら、俺は魔法堂をあとにした。  バラの咲き乱れる中庭を抜けて古本屋の中を通り、表通りに出る。  と、そこで携帯電話が鳴り響いた。  慌ててポケットから取り出して表示を見れば、あの女からの電話だった。 「――あぁ、もう」  今日休んでしまったことに対する文句でも言われることになるのだろう。  根本的な原因を解決しない限り、どうにかなってしまいそうだと俺は思った。
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