ふたりめ

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   7 「あれぇ? お婆ちゃんもいない……?」  アカネに連れられて訪れたのは、魔法堂から歩いて十五分ほどの場所に建つ、どこにでもありそうな普通のマンションだった。  そのマンション七階の端の部屋。外から見た感じ、そんな所に部屋があるようなスペースなんてなかったような気がするのだけれど、他の部屋と同じように、そこにはちゃんとした扉があって、何度もアカネがインターホンを鳴らしたというのに、誰も応答する様子はなかった。 「おっかしーなー。どこへ出かけちゃったんだろ」  それから「あっ」と口にして、 「そうだった。今日明日は婦人会で居ないって言ってたんだっけ……」  ごめんなさい、と謝るアカネに、俺は小さくため息を吐いてから、 「もういいよ、大丈夫。とりあえず、シモハライの奴が部長と何とかしてくれるみたいだし」  ここまでの道中、俺はアカネに、自分に今何が起きているかを軽く話して聞かせていた。 「いえいえ、大丈夫です」  何が大丈夫なのか解らないけれど、アカネはにっこりと微笑んで、 「かくなるうえは、私が何とかしてあげますよ!」 「……本当に大丈夫なのか? 魔法使いって言っても、まだ弟子なんだろ?」 「弟子ですけど、魔法使いですから」 「で? いったいどんな魔法が使えるんだ?」 「とりあえず空中に文字が書けます。ついこないだ覚えたんで」 「……それが何の役に立つんだ?」 「どこにでもメモができるでしょ?」 「……それは、便利だな」 「でしょ?」  とアカネは空中に人指し指を突き出すと、さらさらとそこに『那由多茜』と虹色の文字で本当に書いてしまう。 「す、すごいじゃないか……」  感心したのだけれど、 「でも、風で消えちゃうから、すぐに何かに書き写さないといけないんですよね」  茜がそう言っている矢先から、あっという間に文字は風に吹かれてさらさらと消えていった。 「ダメじゃないか。っていうかそれが俺にとって役に立つとは思えない。他には?」 「そうだなぁ」  両腕を組むようにして、唇に人指し指をあてて考え込むアカネ。 「あとは、風を利用して普段より少しだけ高くジャンプする魔法、感覚を研ぎ澄ませて遠くの音をちょっとだけ聞きやすくする魔法、それから暑い日に自分の周りだけちょっと気温を下げる魔法くらい?」 「なんだそれは。全然役に立たないじゃないか」 「え~っ?」  アカネは不満そうに唇を尖らせて、 「そんなことないですよ! 体育の体力テストでずるしたり、遠くの悪口を聞き取ってあとから言った相手を驚かせてやったり、これから夏になるのに向けてちょっとでも涼しくするために必死に覚えた魔法たちですよ!」 「もっと派手なのはないのか? 傷を治したり、相手を炎で倒したり、風で吹き飛ばしたり。そうだ、呪いの魔法とかも当然あるはずだろう? ああいうのが一番手っ取り早いだろ」 「そんなゲームや漫画みたいな魔法、ぽんぽん使えてたら今頃世界はめちゃくちゃになってますよ」 「……いや、まぁ、確かにそうだろうけれど」 「でしょ?」  とアカネは腰に手をあてて、 「一応、空を飛ぶ魔法を応用して風で人を吹き飛ばしたり、人を呪う魔法もありますけど」 「お。あるんじゃないか! それであの女を黙らせられるだろ」  ふっふっふ、と悪い笑みを零してやると、アカネは深いため息を吐いてから、 「でも、私は空を飛べるほど風の魔法を使えないし、呪いの魔法なんて使ったらあとあとトンでもないことになりますよ?」 「とんでもないことって、なんだよ」 「呪いって、色々準備も必要だし、何より自分の体力を削ってしまうらしいですよ。人を呪わば穴二つ。自分も穴に落ちる覚悟があるんなら、って感じかなぁ。渋谷さんは、その女の人と一緒に穴に落ちたいんですか?」 「……それは絶対にイヤだ」 「なら、他の方法にした方が良いと私は思うなぁ」 「他の方法ってなんだよ」 「ほら、例えばですよ。いっそその女の人に好かれてしまえば、何も言われなくなるんじゃないかなって」 「何言ってんだお前」  頭は大丈夫か? とまでは言わなかったけれど、思わず胡乱な目で見てしまう。  アカネは「ほら」と手のひらを上にして俺に向けて、 「大抵の人は好きになった相手には甘くなっちゃうものじゃないですか」 「そうかもしれないけど」 「なら、その女の人が渋谷さんのことを好きになれば問題解決」 「なんで俺があんな女と」 「でも、面倒くさい人なんでしょ? 渋谷さんが体調を崩しちゃうくらいに」 「うん、そうだな。面倒くさい」 「だったら、とりあえず試してみても良いんじゃないです?」 「良くないだろ、好かれたあと俺はどうすりゃ良いんだよ」 「そのまま付き合っちゃうとか?」 「なんでだよ、嫌だよ!」 「渋谷さん、ご結婚は?」 「してない」 「彼女は?」 「いない」 「じゃ問題ない」 「だから、なんでそうなる!」  思わず声が大きくなる。  そんな俺に、アカネはへらへら笑いながら、 「大丈夫ですって。薄めて調整すればたぶん、いけるはずだから」 「薄めて調整? 何の話だ」 「惚れ薬」 「ほ、惚れ薬?」  そ、そんないかにもな薬があるのか? 「お婆ちゃんの得意な魔法薬なんですよね。私もしょっちゅう魔法堂に配達に行くくらい、たくさんの魔法使いに売ってるみたいです。他にも色々な魔法薬を作ってて、私も魔法を習うっていうより、そっちの方がメインの修行になってる感じかな」 「もしかして、お前も作れるのか?」 「一応? 簡単なモノなら」  試してみます? と微笑むアカネに、俺は少しばかり考え込んでから、 「――そうだな、ちょっと試してみようか」  別に山田に好かれたいわけじゃないけれど、それでアイツがぎゃーぎゃー騒がなくなるって言うんなら、まだそっちの方が良いに決まってる。 「それじゃぁ用意しておくので、明日の朝、またあのコンビニの前辺りで」 「あぁ、わかった」  俺はこくりと頷いた。
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