ひとりめ

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   6  それから数日後、わたしはまたおばあちゃんのお使いで真帆さんのお店を訪れていた。  バラの咲き乱れる中庭を抜け、引き戸を開けて中に入ると、 「――あら、いらっしゃい、茜ちゃん」  笑顔でいった真帆さんとカウンターを挟んで、 「……こんにちは」  山田さんの姿が、そこにはあった。  カウンターの上には、例のイヤホンが置かれている。 「えっと、うまくいきました?」  わたしが訊ねると、山田さんは首を横に振って、 「いいえ、全然。いろんな人の声が一斉に聞こえてきて、どれが彼の声か解らないんだもの。こんなもの、使い物にならないわ」 「あ、あぁ、そうですか……」  まぁ、そんなことを真帆さんも言ってたからなぁ。  真帆さんは「そうなんですよ」と|(わざとらしく)困ったように眉を寄せて、 「私もそこまでは誤算でした。まさか、周りの人たちの声まで聞こえてくるだなんて思ってもいませんでしたから……」 「ねぇ? 他に何かないわけ? もっと手っ取り早く彼の気持ちを知りたいんだけど」  どこかとげのある言い方で山田さんは言って、ぎろりと真帆さんの顔を睨みつけた。  うわ、こわぁっ!   なんて思っていると、真帆さんは「そうですねぇ」と腕を組んで首を傾げ、瞼を閉じて考え込むような仕草をみせてから、 「もう、いっそ魔法に頼るのを辞めて、直接聞いた方が早いかも?」 「はぁっ?」  山田さんは今にも食ってかかりそうな勢いでカウンターをバンッと叩いた。  わたしの身体が、思わずびくりと跳ね上がった。 「そんなことできたら、最初から悩んでないわよ!」 「ですよねぇー」  真帆さんはニコニコと微笑みながら、けれど棒読みのように返事して、 「わかりました。それでは、最後の手段といきましょうか」  ――最後? 何が? 「最後って――どんな手段よ」  すると真帆さんはごそごそとカウンターの下から薄水色の液体が入った小さな瓶を取り出すと、それを山田さんの前に差し出しながら、 「告白薬です」 「こ、告白薬? なによ、それ」 「惚れ薬を加工精製して作った、心に秘めた想いを吐露する薬ですね。これを飲ませれば、飲んだ方は自分の恋する想いを口に出さずにはいられなくなる、そんな薬です」 「な、なによ! そんな便利なのがあるんなら、早く出してくれればよかったじゃない!」 「ごめんなさい、こちらの商品、結構作るのに手間がかかるので、それなりの料金になってしまうんです。それでも使ってみられますか?」 「それなりって、いくらよ」  真帆さんは、何故かわたしに向かってにやりと笑むと、再び山田さんに視線を戻して、 「あの子、商売敵のお店の子なので、知られたくないんです。お耳を拝借してよろしいですか?」 「……べつにいいけど」  山田さんもわたしの方をちらりと見てから、真帆さんへ右耳を突き出して、 「で、いくら?」  再び訊ねる山田さんの耳に、真帆さんは左手で口元を覆うようにして、 「ごにょごにょごにょ」  ……ん? ごにょごにょごにょ?  ちょっと真帆さん、ふざけてんの?  また怒られちゃうよ?  わたしがそんな心配をしていると、 「――うっそ! 高過ぎよ!」  どういうわけか山田さんにはちゃんと値段が伝わったらしく、わたしは茫然としてしまう。  これは、あれか。他人に話してる声が聞こえないように、『ごにょごにょ』としか聞こえなくなる魔法を使ったとか、そんなところか? 「けれど、このお値段で彼氏さんの本当の想いが解るんですよ?」  どうなさいますか? と真帆さんは狼狽える山田さんにニコニコと笑顔を向ける。  山田さんはしばらくの間、深く悩むように店の中を行ったり来たりうろついていたけれど、やがて意を決したように、 「――いいわ。その告白薬、売ってちょうだい」  その途端、真帆さんは待ってましたとばかりにパチンッと両手を打ち鳴らして、 「まいどありがとうございます!」  と嬉しそうに微笑んだ。  そんな真帆さんに、山田さんは眉間に皴を寄せながら、 「けど、いい? これにも意味がなかったら、もうあなたには頼まないから!」  ぷんぷん怒り気味に口にする。  真帆さんは「いいえ、ご安心ください」と小さく頷くと、「ぷぷっ」と吹き出すような笑みを漏らしかけて、 「――必ず、彼氏さんの想いがわかりますから」  どこか不自然に微笑み、そう答えたのだった。
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