世界の半分がいなくなる日

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世界の半分がいなくなる日

 美海と陸久が通う学校に強盗が入った次の日、授業はオンラインでの開講になった。  昨日の恐怖感が残っているのか、ゆっくり風呂に入ってもなかなか眠れず、美海はいつもの通学の時間には目が覚めてしまった。 「おはよう。いつものパンで良い?」 「うん、ありがとう」  いつものテレビのチャンネルをつけると、見慣れた女性のアナウンサーが淡々と原稿を読んでいた。 「先日より、各地で強盗事件が相次いでいます。  食料や備蓄品を狙ったものが多く、学校や病院、ガソリンスタンド、介護施設、障がい者施設、避難所に指定されている施設などが被害を受けています。  また、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの配送トラックが襲撃される事件も起きています」  窓ガラスやドアが破壊された施設がいくつか映し出される。 「一昨日、世界中の放送機器から流れた『ZAB』の動画に関して、政府は、A地区11国の緊急放送システムが何者かにハッキングされた可能性が高いとの見解を示しました。  ここからは、11国の情勢に詳しい阪京大学政治経済学部教授、松笠さんにお話をお伺いします。よろしくお願いします」 「よろしくお願いします」  白髪で眼鏡をかけた60代くらいの男性が喋り始める。 「まず11国の緊急放送システムですが、こちらは国際的な緊急事態……例えば世界的な災害や感染症などが起きた時に、各国の政府機関に連絡を取れる機能、および全ての電子機器に優先して放送する権利を持っています」 「優先して放送、とは、具体的にどういうことでしょう?」 「電子機器を介して映像や音声を届けているのは『電波』です。テレビやラジオに例えるとわかりやすいかな。今、この放送をご覧になっている皆さんは、皆さんのご自宅のテレビが『電波』を受信して、私たちの映像と音声が流れているわけです。  しかし、皆さんのテレビは一つで色んなチャンネルが見れますよね? それは何故かというと、『周波数』なんです。チャンネルごとに『周波数』というのが割り当てられていて、チャンネルを変えれば、その放送の周波数に応じた電波を受信できる仕組みになっています。  11国の緊急放送システムは、全ての『周波数』に優先して受信させることができる電波を使用しています」 「そのような仕組みで、全ての電子機器にあの映像と音声を流した可能性が高いのですね。  動画の中で触れていた『リアルタイム翻訳』についてはどうお考えですか?」 「リアルタイム翻訳については、既に11国の緊急放送システムの中に組み込まれています。AIを使用して瞬時に各国の言語に翻訳できるようになっています。緊急時、通訳を介さずとも、各国の政府関係者と対話するためのものですね。おそらくそれを使用したと思われます」 ——11国の緊急放送システム、詳しいことは知らなかったけれど、これなら全世界に配信することは可能、ということね。 「しかし、この11国の緊急放送システムは厳重に管理されており、アクセスできる人間もたった十数人だと聞いています。そのため、捜査は難航しているようです」 「内部犯、という可能性は……」 「可能性は、現状ないとは言い切れないでしょう。それも含めて捜査の対象になっているようです」  最後の一口を食べると、牛乳で流し込む。オンライン授業までまだ30分以上あった。  午後3時半。全ての授業が終わり、美海はパソコンの前で伸びをした。 「あー、疲れた!」  通学時間がないのに、普段よりも疲労がたまっている気がした。きっと友人と休み時間に話したり、お昼ご飯を一緒に食べたりというのが、良い息抜きになっていたのだろうな、と実感する。  オンライン会議ツールを閉じようとすると、陸久からメッセージが届いていた。 「大丈夫?」 「うん、大丈夫だよ。そっちは?」  キーボードをカタカタと鳴らし、文字が送信される。 「特に問題なし。弟休校、親父もリモートになって、母親がイライラしてるくらいかな。笑」 「そっか」 「そういえば、うちの前コンビニじゃん? 今シャッター閉めて休業してるんだけど、誰かがガラス割って侵入したみたいで、警察来てた」 「物騒だね」 「マジでこれ、今外出るの危険だわ。美海も気をつけろよ」 「うん。ほんと何かあるとこの国、すぐ買い占めが起こるよね」 「まぁ、カロリーベースで食料自給率38%だしな。エネルギーもほぼ輸入に頼ってるから、ガソリンスタンドも長蛇の列だってよ。他の国でも暴動が起き始めてるらしいし、今後もし貿易に何か影響あったらって考えると、結構危機的状況だよな」  陸久は、こういう事情に精通している。将来そっち方面で何かやりたいことでもあるのだろうか? 「だからといって、犯罪は良くないよ」 「そりゃそうだ。まだ何も起きてないのに、こんな状態だもんなぁ」 ——まだ何も起きていない。そうだ。実際に人が死んだわけでもない。ただ何者かのハッキングにより、変な動画が流された。それだけのことだ。 「人間って、愚かなものね」  enterキーを押す指が止まった。どこかで聞いたことのあるせりふだ。  美海はあの時のように、背中に悪寒が走った。  急いでbackspaceキーを連打する。 「そうだね。お互い気をつけよう」  無難な返事をして、美海は大きくため息をついた。その時、明日も授業はオンラインになると学校からのメールが届いた。  都内の犯罪件数は、この5日間で前月より上回ったとニュースで言っていた。  高校の授業は全てオンラインで行われた。校内の修復にも時間がかかるため、通学の目処は立っていなかった。  例の動画に関しては、犯人はおろか、ハッキングされた経緯や手口についても何一つ解明されていない。  そして、ついにこの日を迎えた。そう、ZABが世界の人口を半分にする、と言った日だ。 ——A地区11国のAM0:00ということは、C地区69国だとPM1:00ね。  日曜日のお昼の生放送では、ZABの件については一切触れていない。 「ごちそうさまでした」  母が作ってくれたオムライスを食べ終わり、食器をシンクに片付けると、時計の針は12:55を指していた。  スマートフォンを取り出しSNSのアプリを開こうとすると、やはり多くの人がアクセスしているのか、サーバーダウンしていた。 ——大丈夫。あんなのただのイタズラよ。そもそも、どうやって人口を半分にするっていうのよ。  しかしそれでは、父の質問に答えたのは? あれも、単なる偶然だったのだろうか。  父が急いで家を出て行ったあの日から、連絡はない。仕事に忙殺されているのだろう。体を壊していなければ良いが……  待ち受け画面の時刻が12:59に変わった。美海は、秒針付きの時計のアプリを開く。母は特に気にした様子もなく、皿洗いをしていた。  55……56……57……58……59……  美海は無意識に、ぎゅっと目をつむった。 ——何も、ない……?  恐る恐る目を開けると、そこにはあの不気味なピエロの姿があった。 「「きゃああぁぁぁ!!」」  美海と母の叫び声が被る。 「空星の皆様、こんにちは。約束通り、今、この星の人口を半分にしました。しかしまだまだ、減らさなければいけない人間がたくさんいるようですね。  この星が持続可能になるために、何が必要なのか。各々がしっかりと考えてください。そうじゃないと、このまま人口が減り続けて、この星よりも先に人間の方がいなくなっちゃいますよ。  それでは、また一週間後に。健闘を祈っています」  そう言い残して、ZABは消えた。その瞬間、家族のグループチャットに父から「無事か?」と連絡が来た。  美海は震える親指でなんとか「私もお母さんも無事」とだけ返信した。  生放送中だったお昼の番組はパニックで、出演者やスタッフの声が飛び交っていた。 「……江藤さん? 江藤さん!!」  テレビの中から一際高い声が響く。出演者の中で一人、全身の力が抜けたように腕をだらんと下ろし、動かない人がいる。 「おい! 止めろ、急いで!!」 「いやあぁぁぁ!!」 「救急車!」 「江藤さん! 江藤さん!」  同時に多くの声が響き、複数人がその人物を取り囲んだところでスタジオの映像と音声は切れて、「しばらくお待ちください」と書かれた画面が表れた。 「い、いったい……何が起きたの?」  母はへなへなとその場に崩れ落ちる。 「お母さん!」  美海はキッチンに駆け寄り、母をぎゅっと抱きしめる。美海の背中に回された母の腕は、ぶるぶると震えていた。 「お母さん、さっき、家族のグループチャットにお父さんから連絡来てた。お父さんも無事みたい」 「そっか……そっか……」  余程ショックが大きかったのか、いつも穏やかな母が息も絶え絶えに涙を流していた。  無音の中、美海のスマートフォンからはチャットの新着メッセージを知らせる通知音が鳴り響いていた。家族チャットでは、美海の送信メッセージに既読は付いていたが、父からの返信はなかった。  母が落ち着くまで、ゆっくりと背中をさすった。母は自分のスマートフォンで父からのメッセージを確認すると、また一粒涙を流し、そのままスマートフォンを額に当てた。そしてゆっくりと立ち上がると、おもむろに洗い物の続きをし出した。美海は「えっ、今、それ!?」と思ったが、自分だってこんな状況は初めてで、どうしたら良いのか戸惑っていた。  母を一人にするのも不安で、美海はリビングのソファに腰掛け、スマートフォンを開いた。チャットの新着メッセージが50件以上と、着信履歴が10件ほどあった。 「ごめん返信遅れた。無事です」  何度もチャットのメッセージと着信履歴があった陸久に送信した。すぐに既読がついた。 「良かった! これ、マジでやばいやつだな」  テレビはまだ「しばらくお待ちください」の画面で止まっているが、それがまた、ただ事ではないと言っているようなものだった。  美海はSNSを開く。そこはまさに阿鼻叫喚の状態だった。 「おじいちゃんが急に倒れて、救急車呼んでも全然来ない! どうなってるの!?」 「救急要請ヤバい。ZABって本物だったの? しばらくSNS離れます。一人でも多くの命を救いたい」 「ほら見ろ。やっぱり地球を滅亡させたZABの再来だったんだ。終わったな。最後に食いたいもんでも考えとけオマエら」 「現在死亡が噂されている著名人一覧 ・真波 謙吾(俳優) ・江藤 宗能(俳優) ・獅子寺 学(政治家)……」 「え? え?? ZABマジなの? 私たち死んじゃうの? やだやだやだやだやだ!!」  頭の奥がズキンと痛み、美海はSNSのアプリを閉じた。洗い物を終えた母が、無言で隣に腰を下ろした。  テレビの画面が「しばらくお待ちください」になってから、30分ほど経過した頃だろうか。緊急放送が始まった。 「緊急放送をお送りいたします。本日午後1時頃より、各地で突然死が相次いで報告されています。こちらは先週流れた『ZAB』の動画の、A地区11国時刻での午前0時となり、政府は動画との関係を調査しています」  アナウンサーが原稿から視線を外すと、緊急速報の不協和音が流れた。テレビ画面の上部にテロップが流れる。 「たった今、入ってきたニュースです。大手芸能事務所RiRiRiRoグループの元代表取締役、角衣芳輝氏72歳が、搬送先の病院で死亡が確認されました。RiRiRiRoグループは主に20歳以下の女性アイドルを育成する芸能事務所で、角衣氏は多数の性加害が報告されており、元所属タレントにより……」  再び、不協和音が流れる。 「速報です。大手ゼネコン会社蒼馬建設の代表取締役、蒼馬秀夫氏58歳が、自宅で死亡しているのが発見されました。蒼馬氏は……」  間髪を入れずに、不協和音が鳴り響く。 「えー、再び速報です。元スポーツ選手で覚醒剤取締法違反の疑いで起訴されていた……」  絶え間なく流れる緊急速報の音と、次々移り変わるテロップに、アナウンサーはフリーズしてしまった。 「——っ」  母は無言で耳を塞ぎ、俯く。 「お母さん、見ない方が良いよ」  美海はリモコンでテレビの電源をオフにした。 ——許せない。こんなこと、あって良いはずがない……!!
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