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終焉への導き
日曜日。この日は父の休日出勤もなく、久しぶりに家族そろって夕食をとった。
「お父さん、大学のことなんだけど」
父はテレビから視線を外し、美海の方を向いた。
「あぁ、もうそんな時期か」
「この前の進路希望調査で、第一志望は国都大の情報理工学部II類にした。先生は、このままいけば合格圏内だって言ってた」
「そうか。あそこは知り合いの教授もいるが、良い環境で学べると思うぞ。頑張ってな」
そう言って父が視線を戻した瞬間、プツッとテレビの電源が切れた。
「……え? 停電?」
「電気はついてるわよ?」
「空星の皆様、こんにちは。この放送は全世界にリアルタイム翻訳で配信しています」
ピエロをかたどったような不気味な人物が、テレビ画面に映し出された。
テーブルの上に置いていた美海のスマートフォンからも、同じ映像と音声が流れていた。
「私の名前はZAB。ここ空星を救うためにやってきた、ヒーローとでもいいましょうか。
非常に残念ですが、今のままだとこの星は滅びます。それを阻止するために、一週間後のA地区11国時刻AM0:00に、この世界の人口を半分にします」
「何言ってるの? 気持ち悪い……」
母の語尾は微かに震えていた。
「それでも足りない場合は、その一週間後、更に半分消えてもらいます。それでも足りない場合は再び……わかりますね。そうやって続いていきます。
いなくなる人間は、法則性があり、ランダムではありません」
静寂が辺りを包む。窓に当たる雨音が、やけに大きく響いた。
「なお、君たちの声は全て私の耳に届いていますよ。まったく、人間とは愚かなものだ。くだらない質問ばかりなら終わりにしますが……」
「待て!!」
父は勢いよく椅子を引いて立ち上がった。
「お父さん!?」
「お前は、消す人間はランダムではないと言っていたな? しかし、その基準を知らないなら、こちらにとってはランダムと同じものだ。そう思わないか?」
「……」
5秒ほど、沈黙が流れた。
「なるほど、面白い質問がありました。それでは一つだけ答えます。いなくなる人間はどうやって選ばれるか。確かに、基準を知らなければそちらにとってはランダムと同じようなものですねぇ」
「えっ……!?」
美海は背中から足の先まで悪寒が走った。
「いなくなる人間は、この星に必要のない奴らだ。
ここ空星を『持続可能な社会』にするため、私はこの使命を全うしようというわけです。
不要な人間を排除し、この世界の存続に必要な人間だけ残す、それが私の使命です」
——人間が、不要? 必要? いったいなんなの、これは!?
「それでは、また一週間後に会いましょう。健闘を祈ります」
そう言うと画面の中のピエロは消えて、真っ暗になった。美海のスマートフォンにいつもの待ち受け画面が表示された瞬間、父の携帯電話の着信音が鳴った。
「桜井です。……はい、はい。そうですね。はい……至急向かいます」
父は通話終了ボタンを押すと、母と美海の方に向き直った。
「悪い、仕事ですぐに行かなければ」
「そ、そう、だよね」
まだ情報処理をしきれていない頭の中をぐるぐると迷走し、必死に言葉を紡ぐ。
「霞ヶ咲の庁舎?」
「いや、山長県のセキュリティ本部だ。これから車で向かう。しばらく泊まり込みになるだろう」
父は速やかにスーツに着替え、ジャケットを羽織る。
「そうだ」
父は、両手で母と美海の肩を強く掴んだ。
「いいか、戸締りをしっかりして、窓のシャッターは全部閉めるんだ。そして、絶対に家から出るな。とち狂った人間なんて、何をしでかすかわからん。これから相当治安が悪くなる。食料や水は俺の部屋にたくさんある。わかったな」
そう言い残すと、父は玄関のドアを開けた。
「お父さん!!」
振り返った父は、今まで見たこともないような、神妙な面持ちだった。
「頑張ってね」
「……あぁ。俺が絶対に解決するから。それまで辛抱していてくれ」
父が出て行くと、全身の力が抜けてその場にへたり込んだ。目を閉じると、不気味なピエロの残像が何度も暗闇を駆け巡った。
結局その日は一睡もできず、朝を迎えた。つい長時間SNSを見てしまったが、どうやらイタズラや愉快犯のようなものだという見方が有力だった。
父は「治安が悪くなる」と言っていたが、今のところはまだ世間にそんな様子はなかった。
「おはよう」
今日は月曜日だ。いつも学校に行く時間に居間に行くと、母が朝ごはんを用意してくれていた。
「おはよう、美海。いつものパンで良い?」
「うん。ありがとう」
テレビのチャンネルを回すと、どの局も先日のZABの件で持ちきりだ。
「今回の騒動は、大規模なハッキングの可能性が高いとみています。政府はA地区11国と電話会談をし、双方の専門家の協力のもと、調査を進めています。国民の皆様におかれましては、政府からの公式な発表があるまで、落ち着いた行動をお願いいたします」
白いスーツに身を包んだアナウンサーが、表情一つ変えずに話す。次のニュースは、都内のコンビニで買い占めが起きている、という内容だった。
「美海、学校行くの?」
「うーん、休校の指示もないし、今日課題の提出日だから」
「そう。気をつけてね」
8時開店の駅前のスーパーは、まだ開店5分前だというのに、長蛇の列ができていた。
電車の乗り換え案内をスマートフォンのアプリで開く。特に遅延はなさそうだ。
ホームに向かう階段を上がると、そこには陸久の姿があった。
「おはよう、今日は早いね」
「あぁ、おはよう」
目が合うと、瞬時に逸らされた。何か言いたげな陸久の表情に、美海は黙って続きを待った。
「……見た、よな。昨日の」
「うん」
「ハハッ、いやー、誰があんなことしたんだろうな! 噂じゃ、11国の緊急放送システムがハッキングされたって話だけど」
「あぁ、世界的な緊急事態が発生した時に、全世界の政府機関に連絡できるっていう……」
「まぁ実際に使われたのは、700年も前のパンデミックの時だけで、今じゃ本当に存在してるのか? なんて言われてるけど、11国の政府もそのシステムはあるって認めてるみたいだからな」
電車が到着するアナウンスが流れる。陸久と美海はそれぞれ左右に分かれて降車する人々を避け、電車に乗り込む。
「実際こういうことがあると、美海が俺のことSF好きって言ったのが、なんかわかる気がするわ。だって現実的に、一週間後に人口を半分にするなんて、どうやるんだよなぁ? 翻訳だってAI使えばできるだろ。世界同時配信とか俺らの声聞こえるとか言ってたけど、普通に録画なんじゃねぇの? 俺だって『なんのためにこんなことするんだ?』とか『どうやって人口を半分にするんだ?』って質問したけどシカトされたし」
「陸久、そのことなんだけど……」
なんとなく周りに聞かれたくなくて、美海は声をひそめて言う。
「あの質問したの、うちのお父さんなの」
「えっ……!?」
電車のガタンゴトンという音が車内に響き、美海の発言を気にする人は特にいなかったようだ。
「だから、単なるイタズラだと、私は思えない。もちろん本当にそんなことが起こるとも思えないんだけど」
「そ、そうなのか……」
それきり、二人は言葉を発することなく、学校の最寄駅に着いた。
美海が教室に入り、席につくなり、窓際で話が盛り上がっていた男女数名が周りを取り囲んだ。
「ねぇねぇ桜井さん、昨日のやつ、どう思う?」
その中の、髪を茶色く染めてマスカラとリップをしっかりと塗った女子生徒がキラキラした目で話しかけてきた。
「どうって、ZABのこと?」
「そう! 桜井さんのお父さん、官僚なんでしょ? なんか私たちが知らない情報とかないのかなって」
美海の次の言葉に期待する数名の視線に、どうも居心地が悪くて俯いた。
「父にとっても、急なことだったみたいで……私には何もわからないな。それに」
父がした質問のことは、多くの人にベラベラと打ち明ける気にもなれず、何故陸久にはあんなにすんなりと話ができたのだろうと、美海は不思議に思った。
「父は、しばらく泊まり込みで仕事だって、あの後すぐに出て行っちゃったから」
周りの空気が一瞬止まる。
「じゃあ桜井さん、しばらくお父さんと会えないってこと?」
「ご、ごめん、俺ら空気読まずにこんなこと聞いて。そうだよな、こんな時に……ほんと大変な仕事だよな」
まるで潮が引くように、美海の机から数名の男女が後ずさりした。
「ははっ、ほんと、誰がこんなことしたんだろうね? 早く犯人が見つかってほしいよ」
無理にでも声のトーンを上げ、笑顔を作った。これで少しは彼女たちの罪悪感(?)も薄れただろうか。怒ったり気を悪くしたわけではないのだが、感情表現が乏しい美海は、誤解を受けやすいタイプなことも自覚していた。
始業を知らせるチャイムが鳴った。英語の先生が教室の引き戸を閉める。
「今日締め切りの課題を集めますね。後ろの席から、前の人に渡して……」
キャアアアァァ!!!
その瞬間、悲痛な叫び声と共に、何かを叩くような大きな物音がした。
ガラガラガラッ
教室の引き戸が開き、野球のバットを持った40〜50代くらいの男性が二人現れた。
「な、なんですか!? あなたたちは!」
小太りな女性の先生は、うろたえて首を左右に激しく振る。
「食料はどこにある」
「えっ? 食料?」
「こういう場所には備蓄品があるんだろ? それを出せって言ってるんだ!」
「あ、あの、私はそんなこと知りませんが……」
「あぁっ!? つべこべ言わずにさっさと出せや! ここにいる奴らがどうなってもいいのか!?」
男は持っていたバットを床に叩きつけた。ドンッ! と大きな音がして、皆一斉に目をつむった。
「わわわ、わかりました! ほ、本当に私は知らないので、責任者のところにご案内しますから、どうか、どうかこの子たちだけは……!!」
先生はへっぴり腰で、男たちを教室の外に追いやる。他にも仲間がいるのか、遠くから怒鳴り声や悲鳴が聞こえ、取り残された生徒たちは息を呑んだ。
間もなくして、パトカーのサイレンが窓の外から聞こえた。その間は数分だったか、もっと時間がたっていたのかはわからない。ただ、教室の時計の秒針が動く音が、これほど長く感じたことはなかった。
男たちは全員警察に取り押さえられ、慌てて自分で転んだ者以外、生徒も教職員も怪我はなかったという。
午前11時過ぎ、生徒には帰宅指示が出された。
全校生徒が一斉に帰宅することはまれで、入口の下駄箱はいつもより混雑していた。
「美海!!」
聞き慣れた声がして、美海は後ろを振り向く。
「よかった、まだ帰ってなかった」
「陸久!」
「こんな物騒なこと起きた後だし、送る」
駅に着くと、自動販売機の飲み物は全て「売切」の赤いランプが点っていた。すれ違う人々もどこか不安げで、警戒心の強い兎のように見えてしまう。
たった数時間。それなのに、急激に世界の色が変わった気がした。
「……なんか、怖いね」
「目の前であんなことがあったら、仕方ないだろ。家帰ってゆっくり休め」
陸久の大きな手が頭の上に乗せられた。心地よい。
——そういえば、お父さんが頭を撫でてくれたのはいつが最後だっけ?
思い出そうとしても、美海の記憶からそれは掘り起こせなかった。
家のドアを開けると、目を真っ赤に腫らした母が駆け寄ってきた。
「美海、大丈夫!? びっくりしたわよ、学校に強盗が入ったって連絡があって」
「大丈夫だよ。怪我人もいなかったし」
「あっ、陸久くん、ここまで送ってくれたのね? ありがとう」
「いえ。たぶん、怖い思いしたと思うんで、今日はゆっくり休ませてあげてください。
それじゃ帰りますね」
「待って! 陸久」
美海は教科書や参考書でいっぱいのスクールバッグを置くと、急いで階段を駆け上がった。
「これ……」
玄関に降りてきた美海の手には、いくつかのカップラーメンと缶詰とペットボトルがあった。
「えっ? いや、大丈夫だよ。うちにも何かしらあると思うし」
「お父さんが夜食用にって、たくさん買い込んでたの。でももう、必要ないから」
「親父さんは?」
「山長県のセキュリティ本部に行ってる。たぶん、あのことが解決するまでは、戻って来れないと思う」
「そっか……」
陸久は、自分の無力さに拳を強く握りしめた。
「何かあったら電話して。すぐに駆けつけるから」
「うん、ありがとう。
食べ物、見つかって誰かに襲われたら怖いから、かばんにしまって」
「そうだな。それじゃ、また」
そう言って去った陸久の背中は、気づかぬうちに父の背中より大きくなっていた。
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