39 道具

1/1
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/51ページ

39 道具

 七月の下旬、蒸し暑い日だった。あたしは雅さんに、神仙寺さんの店で会おうと誘われた。 「蘭ちゃーん! 会いたかったぁ」  雅さんは、キャミソールにミニスカートという露出の高い服装だった。そんな彼女にまずは抱きつかれた。 「こら、雅。蘭ちゃん、いらっしゃい」  雅さんはハイボールを飲んでいた。あたしはいつもビールを頼むところだが、彼女に合わせたくて同じものを頼んだ。 「蘭ちゃん、この前彼氏とここ来てんて?」 「はい。卒業までの彼氏ですけどね」 「卒業したら別れるんや?」 「ええ。東京で就職したいらしいんで」  あたしと雅さんはハイボールで乾杯した。彼女は大学に行っていないらしく、どんなものなのかと聞いてきた。あたしはゼミの話をした。 「友達に合わせて適当に入ったんで、ちょっと苦戦してます。卒論とか心配ですね」 「そうなんや。大学生って大変なんやな」  グループワークが始まってから、さすがに色々な小説に目を通すようになった。気に入ったものもできた。戦後を生き延びた一人の女性の物語だ。あたしは彼女の生き方に共感していた。 「坂口安吾っていう作家がおるんですよ。色んな女を書いてるんです。卒論、それにしようかなぁって漠然と考えてます」 「アタシ、本とか読まへんから全然わからへんわ。マンガは読むけどな!」  それから、雅さんは神仙寺さんにマンガの話を振った。彼もよく読むらしい。しばらくは、あたしそっちのけでマンガの話が続いた。  その日の店はとても空いていた。あたしと雅さんの貸切状態だった。雅さんは本当によく話し、よく飲んだ。すっかり機嫌の良くなった彼女に、こんなことを聞かれた。 「なあ、蘭ちゃん。アタシんち、この近くやねん。寄ってかへん?」 「いいですよ」  一階がクリーニング屋になっている古い建物の二階へあたしたちは上った。雅さんの部屋は狭く、ドレスが何着か壁にかかっていた。 「蘭ちゃんに見せてみたいものがあるねん」 「何ですか?」  雅さんはクローゼットからゴトリといくつかの道具を取り出した。それがただの玩具ではないことはわかっていた。 「アタシ、こういうの好きやねん。蘭ちゃんは?」 「試したことないです」 「ほなやってみる?」  あたしはそこにあった道具全てを使われた。雅さんはとても手慣れていて、楽しそうにあたしをいたぶった。終わってから、シャワーを浴び、互いの長髪を乾かしあった。 「蘭ちゃん、楽しかった?」 「はい、すっごく。またしてください」 「よっしゃ。新しいの買おうかな」  雅さんはベッドに寝転がり、スマホを操作した。あたしに、どんな刺激が欲しいのかと聞いてきた。あたしはそれにきちんと答えた。 「蘭ちゃん、素直なええ子やな」 「楽しいことは、いくらでもしたいんで」 「良かったら、一つ持って帰り。一人でするとき使い」  あたしは最も興奮を味わえた道具を指差した。これなら他にも使い道がありそうだ。雅さんは満足そうに笑った。 「前から、蘭ちゃんはアタシと同類やと思っとってん。期待通りやったわ」 「同類、ですか」 「何にでも興味あるやろ? アタシも蘭ちゃんくらいのときはそうやった。高校生のときから、パパ活やっとったもん」  雅さんには父親がいないとのことだった。それで、父親くらいの年齢の男にどうしても惹かれてしまうのだと語った。 「色んなパパがおったで。お金もようさんもらった。アタシ、高校ではめっちゃいじめられとったけど、辛なかったし、最後は全員にやり返したったわ」 「凄いですね」 「蘭ちゃんはほんまのパパがおってええなぁ。なあ、どんな感じなん?」  あたしは家庭のことを話した。父親は、あたしにとっては、お金をくれるだけの存在だと説明した。 「でも、小さいときはどうやったん?」 「小さいとき……小さいときですか」  保育園の送迎は祖父母だった。父親はあたしが寝た後に帰って来た。旅行なんかもしたことがない。唯一出かけたのは、喫茶店でケーキを食べることくらいだった。 「ケーキは、美味しかったです。珈琲の青山。よう行ってました」 「あそこ、無くなったもんなぁ」  あの店はもう無い。ならば、他の喫茶店にでも行ってみるか。来月にはお盆だ。言い出すには、いいタイミングかもしれないと思った。あたしは雅さんに身を寄せた。 「蘭ちゃん、可愛い。男なんてやめてアタシんとこくるか?」 「それ、玲子さんにも言われましたけど、断りました」 「嘘っ、マジで? 玲子さん、アタシにはそういうの言うてくれへんかったなぁ」 「あっ、やっぱり玲子さんとやっとったんですね?」  翌日、雅さんの家を出てから、あたしは父親に連絡した。お墓参りに行きたいと。就職のことも告げていない。父親と向き合ういいチャンスだ。お盆に、母方の先祖がいる高槻にある霊園まで、二人で行くことになった。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!