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帰り際、フクヨさんがアスカちゃんを手招きした。何かを告げ、そして今度こそアスカちゃんの頬を涙の粒が滑り落ちた。
「おばあちゃん、なんて言ったの」
帰りの車、後部座席でわたしはアスカちゃんに聞いた。うちの父が、アスカちゃんを最寄駅まで送ってくれることになったのだ。
「お母さんの言葉を、ずっと伝えられなくてごめんねって」
アスカちゃんは思い出したのか、鼻を啜った。目元が少し赤くなっている。
「本当はお葬式のときに伝えたかったんだけど、あの時は自分も気が動転しちゃってたからって。その後は栄治が勘当してしまって、ずっと会う機会がなかったから、十三年も伝えられなくてごめんって」
「そっか」
「お父さんのことを許してやって欲しいって言われたけど、まぁ難しいかな」
「何を許すんだろうね」
「頑固さじゃない?」
「頑固だからって自分の息子の生き方を左右できると思えるなんて、おこがましいわよ」
助手席の母が口を挟む。
「紘子おばちゃんがアスカちゃんの幸せが一番って言ってるのにさ。頑固ってほんといやね、あなたは頑固じゃなくて良かったわよ」
母がこれまで静かに運転していた父に振る。父が口を開く。
「頑固な人は、自分の想定外の物事を理解して受け入れるのに、時間がかかるからな」
「十三年経ってるのに?」
「一生かかっても理解できない人もいるよ、きっと」
車内で、なんとなくみんな、口を閉ざした。
フクヨさんは許してくれたけど、肝心要の栄治おじさんが許してくれないなら、アスカちゃんは実家に帰ることがままならないだけじゃなく、向こうの親族に会うことも変わらずに難しいわけか。
「仕方がないよ、お父さんはずっと頑固だからさ。いきなり理解が高まって息子が娘になったことを受け入れたら、逆に何か策略でもあるんじゃないかって疑っちゃうから」
アスカちゃんが力なく笑う。自分の父親に、自分のありのままの姿を認めてもらえないなんて、本当は一番辛いはずなのに。
「アスカちゃん、今度ショッピング行こうね」
わたしはアスカちゃんの腕にぎゅっとしがみついた。
「どうしたの、急に」
「アスカちゃんにセンスのいい洋服見繕って欲しいし、メイクも教えて欲しい。
かわいいものたくさん見て、素敵なカフェでお洒落なスイーツ頼んで、映え写真たくさん撮ろうよ」
わたしは伝えたかったんだ。ありのままのアスカちゃんが大好きだよって。男の子に生まれたかもしれないけど、今は素敵な女性になっているアスカちゃんは、わたしの自慢のいとこだよって。
「じゃあ、お仕事の予定を見て連絡入れるね。あ、そこの角の手前で降ろしてください」
アスカちゃんはわたしの腕をそっと外すと、頭を優しく撫でてくれた。お父さんが、アスカちゃんが指定した場所に車を止める。
「じゃあ、また連絡するね。ありがとうございました」
アスカちゃんが車を降り、手を降って駅につながる階段へ向かっていく。
ワンピースの裾が風にあおられて翻る。一般的な女性が履くサイズよりも大きめのパンプスが、軽やかに階段を駆け上がっていった。
了
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