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シロクマさん
シロクマさんが指を擦りむいていた。どれくらいの人が気付いて、どれくらいの人が気にしただろう。
町外れのスーパー、レジの向こう側。名札付きのエプロンを掛けたその人は、クラスメイト、熊代 雪風さん。彼女からお釣りの手渡しを受けた後、去り際に振り向くとまだ目が合ったから。なんとなしに手を振っておく。
長い黒髪の奥に揺れる大きめな瞳が、どこか困ったように泳いだ。
年相応に高校の図書室が似合いそうな顔立ちに、淡い苦笑いを携えて。だけど、彼女も僕に手のひらをヒラヒラと見せてくる。
指の腹に巻いた赤い絆創膏が、少しかわいそうで、可愛らしかった。
そして自動ドアを抜けた先は、息も白く色づく冬の夜。自転車のロックを外そうとして、その冷たさに鍵を落としてしまうほど。
ぼんやりしていると指先からしびれてきそうな寒さだ。肌が弱い子なら、あかぎれだってするだろう。
だけど。
前カゴに突っ込んだ買い物袋を揺らさぬようフラフラと走る家路の途中。僕は今しがた――僕が勝手にシロクマさんと呼ぶ――その子のことを思い返す。
僕に向けて曖昧に振り返す手のひら、赤い絆創膏。
きっと、あかぎれじゃない。まるでオトナのアクセサリーみたいに、指の中腹に巻かれていた。
その意味に背伸びした匂いを感じてドキリとするけれど、すぐに、それは彼女らしくないと思い返す。熱っぽさを白く吐き出して、僕は少し自転車の速度をあげた。
シロクマさんが指を擦りむいていた。その意味を、僕は知らない。
きっと心当たりのありそうな人すらいない。絆創膏の色ですら、明日には多分、僕以外に誰も覚えていない。
スマホのアプリで、たった一人だけ、同じクラスのグループにいない女の子。
それ以上のことを知っている人が、クラスにどれだけいるのだろう。少なくとも僕はまだ、彼女について詳しい方だ。
グループに入っていないのはそもそもスマホを持っていないからだとか、アプリの代わりに公表されている自宅の電話番号だとか。何かあった時は学級委員がその番号に通話をかけるという暗黙の了解だとか。
よく授業の終わり際になったら寝たフリを始めるだとか、お昼休みはすぐ自転車に乗って居なくなるだとか。
通学の時にはコートにマフラーにニット帽にと大袈裟に着込んでいて、しかも全部が揃って白で。それはもう、『シロクマさん』ってくらいの真っ白さだとか。
別に僕だって彼女と親しい訳じゃない。学校の用事以外でまともに話をしたこともないのだけれど。
僕が件の学級委員で、だからその『用事』で彼女と話すことは、それなりで。親近感というか、気にかかっていたせいだろうか。
きっかけがあれば、仲良くなれそうな気がしていた。
そして、何より。
そのアプリで拡散する下らない用事で僕が彼女の自宅に通話をかけた時。出るのは、決まってシロクマさん自身だった。
普段なら、僕が習慣にしているテレビ番組の合間だから、夜八時の少し前。
それは、ちょうどスーパーのレジで出会した頃のことだった。
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