シロクマさん

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 久々にその下らない用事の通知が回ってきたのも、似たような時間だった。  期末テストも無事終わり、もうすぐ冬休みが始まる頃。「冬休み中は教科書を持って帰るように」だとか、今日のこのタイミングじゃなくていいような、他愛もない伝言だ。  担任が新任の若い先生で、ゆえに色々と空回りしてるっぽい事柄の、見本のようなパターン。きっと生徒たちだけの裏グループで、また適当な話題になっているだろう。  僕はいつものように、シロクマさんに電話する旨だけを表に書き残して、だけどスマホを内ポケットにしまって自転車を走らせる。  テスト期間以来のゲーム談義に花が咲いて、気づけばこんな時間だ。この時期にイベントは勘弁してほしいだとか、好きなキャラの再録だからなおさらだとか。中身のない話だったけれど。ずいぶん遅くなっていた。  とにかく。生憎、スマホからイエ電へ繋げると通話料がかかるから、シロクマさんへの伝言は帰った後だ。  正直面倒で、だけど、少し楽しみにもしている。僕だけが担う繋がりで、特別、だなんて思うつもりもないけれど。なんだろう、嫌いでもない。  白い息をついて、家路を急ぐ。帰ったらどう話そうか、だなんて考えたりしてみて。  そして。すぐに思い立って自転車を止め、スマホを確かめた。  新着通知の一つもないホーム画面に映る時計は、八時、少し。  雑談に耽った帰路、メッセージに気付くのが少し遅れた。指がかじかんで簡素なレスにすら手間取った。それから少し走って、だからこの時間だ。  ちょうど、この前のレジでの時間より少しあと。そして、ふとした思いが頭をよぎる。  直感のような些細な疑問。普通のスーパーは何時ごろまで開いているものだろう、と。  買いたい物は特にない。そもそも手持ちがジュース代程度で、店が開いていたとして、中に入るつもりはない。  思っていたことは、むしろ逆の話で。  近辺でしか見ないチェーン店の一つ。駅や大学が近くにあるわけでもない。なのにコンビニが見える場所にあって、これくらいの時間から採算が合わなくなりそうな。だから。  閉まるなら、今ぐらいじゃないだろうか、と。  気まぐれに囃し立てられ、気付けば、僕はスーパーの方へ進路を変えていた。  もしも八時に閉店して、それからエプロンを片付けて帰るなら。もしかすれば、ちょうど今くらいの時間になりはしないだろうか。  頭の片隅で、多分起こらないと分かっている偶然。だけど、何か少しでも、きっかけに恵まれたならば。  早い方がいいだろうか、遅い方がいいだろうか。頭の中では迷うのに、自転車は自ずとスピードを上げる。  偶然通りかかって、ちょうどいつもの用事があったから、だとか。伝えるべき言葉を選んで、少しわざとらし過ぎる自覚もあって。  どうしよう。どうしようと悩みながらも視界の端にスーパーを捉える。そして、普段は寄らない裏口へ向かう道へと折れる。  ややあって。 「……まあ、ねぇ」  裏看板すらまだ明るく、駐車場には見えるだけで三台の車。まだ、閉店する気配が見えなかった。  だけど正直ホッとしつつ、少し、徒労感に足が止まる。そう、確かジュース代くらいならあったはずだと思う頃には、自転車が最寄りの自販機に引き寄せられていた。  道路の本線や店内から視界の届かない位置にあって、定価より安目の価格設定。従業員用の自販機だろうかと思い気が引けるも、指が痺れて小銭を探るのにも手惑うくらいだ。暖を取るのも仕方ないだろうと自分に言い聞かせる。  ボタンの同時押しで落ちてきたのはホットココア。口に含めば温いのに、かじかんだ指先には熱すぎるくらいだ。  それでも、これ以上冷やしてあかぎれしないよう、指先を押し付けるようにして暖めながら。ふと思うのは、絆創膏の赤い色。  シロクマさんは、どうだろう。  居るかどうかも分からないレジの方へ向けて視線を配す。結果、自販機の横腹を眺めながら、遅くなったし用件の話は明日でいいかな、だなんてことを考える。  僕は何をしているのだろうと、浮かべた白い息を見上げる。自販機の光を乱反射して、いつもより白んだ溜め息は、モヤモヤそのものだった。 「――えっ……と」  そんなボンヤリした意識だったから、一瞬、誰の声だか分からなかった。  そして分からないまま、とっさに声の方、裏口へと顔を向ける。そもそも『その声』に聞き慣れていないことは、顔を見てから思い出した。 「…………こん、ばんは」  大人しげな困惑を絵に描いたような表情で。真っ白に着ぶくれた女の子……シロクマさんが、そこに立っていた。  珍しい、受話器を通さない素の声色。だから普段より明瞭なはずのその声は、だけど僕の耳を右から左に流れる。  今しがたの溜め息なんて比じゃないくらいに。頭の中が真っ白になっていた。 「ぁ……その、ちょうど通りかかったからさ……ほら、それに先生から通知があって、大したことない用事なんだけど!」  とっさに言葉を紡ぐも、ダメだ、釈明どころか待ち伏せしていた言い訳みたいな響きになった。必要以上に怪しい感じに、焦燥だけが余計に募る。  だけど言葉は続かず、とてつもなく気まずい沈黙。まともに目も合わせられないまま、白い息だけが呼吸を数えて、 「……ごめんね、いつも面倒ばかりかけて」  先に口を開いたシロクマさんが、まさか、向こうから謝ってくる。  正直、意図が掴めなかった。考えども機微を図りきれないまま――自宅にかけて繋がらなかったと誤解されたらしいことには随分と後で気付いて――僕は曖昧な笑みと一緒に、目線をシロクマさんへ。  マフラーの外に落とした黒髪をかき揚げながら、彼女もまた、ぎこちない微笑みで。 「……えっと、それで先生、何言ってたの?」 「ああ、うん。冬休み前に荷物持って帰れって、それだけで……」  互いにしどろもどろ、また微妙な笑みを浮かべ合う。  それきり、二言振りの沈黙。折角だから話題でも用意しておけばよかっただとか、今さらに後悔するも、それ以上に空気が冷たい。居たたまれない。  でも。  そんな風に黙り込んでしまったからこそ、気付けたのかもしれない。  時おり表通りを走る車のロードノイズに、傍らに佇む自販機の唸るような駆動音。 「……ねえ、熊代さん」  そして、思わず溢れる僕の声に。  サラサラと響く、金属音のような軽い音が寄り添って揺らぐ。  髪を分けたままのシロクマさんの指先にかかる、真っ白なイヤフォンの方から。 「えっと…………それ、何聞いてるの?」  だけど考えた末の言葉すら相変わらずぎこちなく、気まずい。シロクマさんがなかなか答えないものだから、尚更に。  うやむやにして逃げ出そうかと迷うような間を置いて。 「……みんなには、黙っててね?」  少し、思ってもいなかった答えが先に。そしてシロクマさんは、はにかんだまま視線を下げて、耳元のコードを手繰り寄せた。  ある程度引っ張って、それからマフラーを緩めたかと思えば、そのままコートの襟元までをもはだけさせる。  ドキリとする間もなく。  イヤフォンから響いていた金属音が、より鮮明に響き始めた。  そもそも、イヤフォンは耳から外されているのに、シャカシャカとシンバルの音ばかり聞こえていたのが、おかしいことだったんだ。  色々ありすぎて、それどころじゃなくて。でも今も、音量をあげてなお、目立つのはその音ばかりで。  シロクマさんがコートの内から覗かせたのは、持っていないはずのスマホだった。手帳型のケースを開いて、ディスプレイに表示されていた音符の映像は、きっと今流れている音を再生しているアプリの映像だ。 「どう……聞こえる?」  はにかみ笑顔で、上目使いに。耳元、コードを絡ませた手は、髪を分けたそのままに。  いつか見た、赤い絆創膏を、指の中腹に飾り付けたまま。
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