提供者

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「あの、あまり面白いかどうかわかりませんけれど、本当にどんなお話しでもよろしいんでしょうか?」  喫茶店のテーブルを挟んで、妙に緊張した面持ちで私と向かい合っているSさんは、20代中頃の女性である。怪談の提供者として知人から紹介されたのだが、お会いするのは今回が初めてである。 「ええ、勿論。全然構いません。もう、どんなお話しでも結構ですから、どうぞ、お気軽に話してください。大体、ご自分ではつまらないと仰る人に限って、とても良いお話しをして下さるケースがとても多いんですよ」  私はわざとらしい笑顔と、自分に出来る最大限のフレンドリーな会話で彼女の緊張をほぐそうとした。 「わかりました。本当に、つまらないと思いますけど、それでよろしいなら、お話ししますね。簡単なお話しですし、すぐに終わります」  あらたまって軽い咳払いをすると、彼女は話し始めた。 「私は子供の頃、日本海側のとある町に住んでいたんですが、そこは毎年冬になると、結構な量の積雪があったんですね。自宅の周りなんかも、雪の多い日は、自分たちで雪かきや雪下ろしをしなければなりませんでした。私もまだ小さい頃から、雪かきとか手伝わされて、本当に冬が来るのが嫌でした」  そう話す彼女の眉が少し顰められる。憂鬱な冬の記憶を思い出しているようにも見えた。 「その頃私の家は、専業主婦の母と私と、そして父の三人家族で、私と母が家で待っていると、父が仕事から帰って来るわけですが、この雪の季節になると、まず、玄関の外で、”ばさっ、ばさっ”という音がします。つまり、父が家に入る前にコートに着いた雪を払うわけです。それから玄関扉が開く音がして、父が入ってきます。そして私は上がり框で、”お父さん、お帰りなさい”と迎えるんです」 「なるほど。ちゃんとお出迎えをするんですね、偉いですね」 「ええ、まあ。幼児の頃からそう躾られておりましたので。だからこの季節になると、あの”ばさっ”という音が聞こえると、”あ、お父さんが帰ってきた!”ということで、すぐに私は玄関に走っていくような条件反射の様な癖がついていました」 「その頃Sさんはおいくつくらいだったのでしょうか」 「幼稚園の年長くらいだったと思います」 「なるほど」  小さな子供の律儀とも言えるその習慣が、何やら微笑ましいような気もした。 「ある雪の日のことです。その日は父は会社で飲み会があったようで、母と私は先に夕飯を済ませていました。夜も遅くなってから、私が子供部屋で漫画を読んでいると、あの”ばさっ”という音が聞こえました。”お父さんが帰ってきた!”と思った私は、例によって玄関に走りました。ところが、いつもならすぐに玄関扉が開いて、父が入ってくるのですが、いつまでたっても、扉が開きません。どうしたんだろう。私がぼんやり立ち尽くしていると、母が二階から降りてきました。  ”どうしたの?なんでここに突っ立ってるの?”と母が問うので、今、お父さんの音が聞こえたと伝えたところ、母は首を傾げて”お母さんは何も聞こえなかったわよ”と言いました。そうこうしている間にも、相変わらず玄関扉はぴくりともしません。外はしんしんと雪が降り続けているだけです。結局、私の空耳ということになり、子供はもう寝なさいということで、私はベッドに入って寝てしまいました」  そこまで話した彼女はグラスの水を一口飲んだ。 「ところが、翌日知ったのですが、実は、父はその晩亡くなっていたのです」 「え、お亡くなりになっていたんですか?」  少々急な展開に、私は驚いた。 「ええ。事故で亡くなっていたんです。ところが、後から母から話を聞くと、丁度、例の”ばさっ”という音を私が聞いた時、そのころに父は亡くなったらしいんですね。だから、私としては……」  そこまで話した彼女は、顔をあげると何となく居心地が悪そうな表情を浮かべた。 「あの時、多分、父の魂か何かが、私達の家にお別れを言いに来ていたのじゃないか……そんな気がしてるんです……あの、これで終わりなんですけど、いいですか。すいません、なんか全然簡単な話で」  彼女の話は少々唐突に終わった。 「いえいえ、有難うございます。なるほど。お父様は、Sさんとお母様に最後のお別れを言いに来たんでしょうねえ。とってもいいお話しだったと思います」  私は思い切り感心したように頷いてみせたのだが、彼女は妙に慌てた様子で帰り支度を始めた。 「そうですか。なら良かったです。あの、すみません、次がありますので、これで失礼します。今日はどうも有難うございました」  そう言って、一つお辞儀をすると、そそくさと帰ってしまった。  後に残された私は、ぽつねんと今の話を振り返る。  玄関に、家族が帰って来たような音がする。出迎えると誰もいない。後で、丁度その時刻にその家族が死んでいた、ということがわかるってパターンだ。まあ、ぶっちゃけ、昔からよくある話なんだよなあ、これ。うーん、これじゃ、ちょっと陳腐だなあ……あれ、ひょっとして、俺の感想が顔に出ちまってたのかな。それで怒って帰っちゃったのか。だったら、まずかったな。後で紹介者のBさんから聞かれたらなんて言おうかな。うーん、どうしようかな、これ…… 「本当に陳腐ですよね」  あれこれ悩んでいた私のすぐ後ろで、突然、男の声がした。自分の思っていたことをずばりと言い当てられた私は、びくっとして、座ったまま背中越しに後ろを振り返った。  私の席のすぐ後ろに二人用の席があり、そこに、一人の男性客が、こちらを向いて笑いながら座っている。 「いや、すみません。立ち聞きするつもりはなかったんですけどね、でも、結果的に聞こえちゃいましてね。へへ」  まだ、比較的若く見える、三十がらみ、といった感じの男性客が浮かべるにやにや笑いが、私には妙に不快に思えた。また、その気持ちを見透かしたように男は慇懃に頭を下げた。 「いや、大変失礼しました。私も怪談が好きなものでして。そうだ、お詫びのしるしに、私からも、一つお話しを提供させて頂きましょうか」 「あ、お話しを頂けるんですか?それは有難うございます」  降ってわいたような展開に、思わず乗ってしまった。 「ええ。今の話よりは多少面白いかもしれませんよ、ふふ」  相変わらず不愉快なにやにや笑いを浮かべながら、男が話し始める。 「今の話より、といいますか、実は今の話に関するものなんですがね。先ほど彼女が話したストーリーには、多くのディテールが欠けているんです。そこを補うために色々と考察しながらお話しさせて頂きたいと思います」  たった今聞いた話から抜けていたディテール?思わず私は興味を惹かれた。 「例えば、こんなのはどうでしょう。まず、一番大事な点ですが、彼女が例のばさっ”という音を聞いた時間に、父親は亡くなっていたという話でしたね。でも、どこでどんな風に亡くなっていたのでしょう?」  それは私も聞きたかった点だ。というか、私が色々これから質問しようと思っていたら、そそくさと彼女が帰ってしまったのだ。 「父親は、玄関扉のすぐ前で凍死していたんです」 「え?」  思わず、私の口から甲高い声が漏れてしまった。 「つまり、こういうことなんです。彼女の父親は、その日、外で飲んで帰ってきた。かなりの酩酊状態で、それでも何とか家に帰りつき、習慣的にコートの雪をばさっと払った。その直後、軒先に降り積もっていた大量の雪塊が、彼の頭上に滑り落ちてきたんです。酩酊状態だったうえに、重い雪塊が脳天に直撃したため、父親は一瞬気が遠くなり、その場に倒れこんだ。既に玄関先にも雪が降り積もっていて、彼は丁度雪の布団に音もなく崩れ落ちるような形で横たわり、そのまま気を失ってしまった。雪はその後もしんしんと身体に降り積もり、体温はどんどん奪われていく。そして翌朝、父親は自分の家の玄関先で凍死しているのを発見されたというわけです」 「そういうことですか」  あまりにも意外な話に私は呆然とした。  それにしても、それが本当だとしたら、幼いSさんがその事情を知った時、彼女は……そう思っていると、またしても、私の気持ちを見透かしたように男が話を続ける。 「だが、もしも、先ほどの彼女がその事情を知ったとしたら、どうなるでしょう。お父さんが帰ってきたのには、一旦気づいていた。結局母親の言葉に従って、そのまま寝てしまったのだが、その時父親は、すぐ扉の向こう側で雪の中に倒れていたのです。もしもあの時、自分が念のために、扉を開けて確認していたら、父を助けることが出来た筈なのに……父親は自分のせいで死んでしまったんだ、とショックを受けるでしょうね。そうです。だから、母親はこの辺の事情は、彼女には伏せておくことにしたのです。お父さんは、会社からの帰りに事故にあって亡くなったと、彼女には話した。そして、その後間もなく、母と娘はその地を離れ、別の場所で暮らし始めた。成長しても、あの時の状況を彼女の耳に入れるような余計なことをする人も周囲には無く、そのまま彼女の中では、父親はあの日会社帰りに事故で亡くなったが、その時刻に例の”ばさっ”という音で報せに来た、という話になっているわけです」  彼女の話の裏にはそういう事情があったのか。私は妙に納得した。 「なるほど、お母様の思いやりで、彼女にはそういう説明がされたわけですね」  これは、やっぱり、どちらかと言えば「いい話系」のお話しなのかなあ、と漠然と私が思っていると、 「麗しい母親の愛情をご想像されていますね?ふふ」  相変わらず、男はあの不愉快な笑顔を浮かべたまま、面白そうに話しを続けた。 「この話、まだ大事なディテールがありましてね。実はこの父親は、家族に対してDVを繰り返していたんですよ」 「DVですか」  またもや出てくる新事実に、私は思わず唖然とする。 「酔って帰ってくると、母や、彼女に殴る蹴るの暴力をふるうこともありました。さらに、まだ幼ない彼女については、毎日必ず自分がお風呂に入れることとし、そのお風呂の中で……つまり、ここではちょっとお話しし難いような悍ましいこともしていたんです。まあ、結局、この父親は、家族を支配し、コントロールすることに喜びを見出していたんですね。さっき彼女が話していた時の”あ、お父さん帰ってきた!”という言葉。あれは、喜びの声ではなく、恐怖と緊張の言葉だったわけです」  嬉々として忌わしい事実を語り続ける男の語り口に、私はだんだん吐き気を催してきた。 「ところで、さっきの彼女の話について、細かい点ですが、覚えておられますか?例の”ばさっ”と言う音を聞いた彼女が慌てて玄関に駆け付けたが、いつまでたっても扉は開かない。そうこうしているうちに、母親が”二階から降りて来た”って言ってましたよね?」 「言ってましたね」  不快感のため、私の相槌もだんだん無愛想になってくる。 「先ほどお話ししたように、父親は、軒先から滑り落ちてきた大量の雪塊に脳天を直撃されて、気を失い、その結果凍死したわけです。でも、その雪塊って、どうやって滑り落ちたんでしょうかね。自然に滑り落ちたんでしょうか。それとも誰かが、そう……例えば二階にいた人間が然るべきタイミングで滑らせたんでしょうかね……ひひ」 「まさか……」  でも確かに、Sさんの話では、母親は、ばさっと言う音を聞いたというSさんを、何事も無かったように、そのままベッドに帰らせて、寝かせてしまった。父親が扉の外にいたかもしれないが、自分もそれを確認しようとはしなかった。何故なら……それを考えると、また新たな寒気が私の背中を這い上り始める。 「まったくねえ。いくら酷い父親だからって、殺さなくってもいいじゃありませんか、ねえ。ひひ」  次々と出てくる不気味なディテールに、私の頭はもはや混沌とし始めていた。それに、上体を後ろに捻じ曲げたまま、男の話を聞いているので、なにやら脇腹も痛くなってきた。それにしても、彼はなんでこんなにディテールを次から次へと話せるんだろう? 「あの、すみません。ちょっと整理したいので、メモを取らせてください」  そう言って、一旦上体を戻して自分のテーブルに置いてあったメモ帳を取り上げると、私は立ち上がって、後ろの席を振り向いた。  誰もいなかった。  コーヒーの一杯も、水さえも置かれていない、無人の席がそこにあった。 [了]
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