彗星降る夜

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「俺、寒いから服着るぞ。」  ブランケットをはだけてアイの胸から身体を離すと、急に身震いが出た。それでもまだ雲のない夜空を見上げて飽きない。  秋の空にはあまり目立つ星がないけれど、私は意外にそれが気に入っている。冬が巡ってきて、どの角度からも完璧な星座であるオリオン座や、真っ白なシリウスがぐるぐる回り出す前の序曲。  私達が季節を実感するのは、ファッションでもなければ食材でもない。いつだって空の星々だった。大学のサークル棟の屋上に寝そべって、並んで夜空を眺めた頃から。  あの頃、それが世界のすべてだった。主流の天文部からはぐれた少人数の天文サークル。ちっぽけな校舎の屋上と落っこちそうな空と。  あれから社会に出て時間が流れ、私達は天体に関することだけでは到底生きてゆけなくなった。たった一人、リュンだけを除いて。  彼だけがあの場所に留まることを許されている。夜空が世界のすべてだった場所に。 「それにしても明るくなったもんだな。」  アイの言葉が、彗星のことだとわかるのに少し時間がかかった。空を眺めたまま物思いに耽るのはいつものことで、私は深く息を吐いた。  振り向くと、長袖のTシャツにブラックジーンズという格好に戻ったアイが、間接照明の淡い明かりの下で簡易な望遠鏡を組み立てている。  手際良く三脚を開きネジを締め、レンズを覗く。そのまま空に向けるのかと思ったら、壁を背に座る姿勢になっていた私の方へ焦点を合わせる素振りをしながら、鳳凰座だ、とおどけてみせたので、私は苦笑しながらブラと薄手のニットを拾って身につけた。  胸の谷間に七つほくろがある。この場所に固まっているのが嫌で気にしていたのだけれど、アイはこれを初めて見た夜に、フェニックスとおんなじ並びじゃん、と繁々眺めてから唇をつけた。  フェニックス。和名で鳳凰座。南半球の空に輝くその星座を、私は実際には見たことがない。アイはフェニックスの星一つ一つに舌を押しつける。アルファ星、ベータ星と呟きながら。  そのうち私は我慢できなくなって、アイの頭を抱え込む。そのときアイの頭蓋は腕の中でなんだか小さく思える。フェニックスを舐めとられると思うと、私は行為の前からぞくぞくしてしまう。  ほくろが密集しているのは今でも好きじゃないけれど、アイにそうされるこの部分を、疎ましくは思わなくなった。
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