疑問

1/1
前へ
/1ページ
次へ

疑問

この世に生まれて、何が悪いというのだ。 はきっとそう嘆くことだろう。 できればの記憶は消したいし、自分がやってしまったことを誰にも知られたくない。 けれど戒めという意味を込めて、ここに記しておこうと思う。 今から10年前、僕はまだ幼い小学生だった。 その時から、僕は自由な人間だった。 今も高校生として、それなりに自由な学校生活を送っている。 昔も今も、自由というのは崩れることはなかった。 しかし、自由には限度がある。 例えば人を殺めたり、何かしらの物を盗んだりするというのは、明らかに限度を超えているし犯罪だ。 僕も友達も、人を殺したり、物を盗むということは決してやっていない。 ……物は盗まなかったけど、なら殺したことがある。 小学生の頃だった。 僕は、を飼育していた。 何故を飼っていたかというと、自分の意思で飼いたかったというわけではなかったのだ。 僕は別に限定で欲しい、飼いたいという要求はしなかったのだ。 を飼う日は突然やってきて、父親がが入った籠を、鞄から取り出した時に始まった。 当然僕は欲しがっていたわけではなかったから、素直には喜べなかった。 きっと父親は、僕が喜ぶだろうとわざわざ買ってきたのだろう。 そういうことを考えていた僕は、自分の感情を削り落として、その場しのぎに作った感情を父親に見せた。 そうすると父親は僕に笑顔を見せ「良かった」と言った。 それを聞いた僕は心を痛めた。 嬉しくもないのに、喜びもないのに、父親を悲しませないように僕はそれらの感情を捨てたのだ。 この頃から僕は、自分の中にあるもう一つの顔を作り出していたのだ。 きっと今も、そしてこれからも作り続け、騙すことだろう。 斯くして、僕はの世話をすることになった。 正直な所面倒だった。 小さいせいか、はよく暴れていた。 特に夜がうるさかった。 それが耳障りで、慣れるまで眠れなかった。 餌を与える時など、暴れるんじゃないかという疑惑が僕の心の中にあって、しばらくは父親が手伝ってくれていた。 きっと慣れたら楽しいのだろう。 そんな小さな希望を、僕は持っていた。 けれど、そんなことはなかった。 そもそもを最初から拒絶してる時点で愛着が持てなかった。 いずれは愛着が持てるなど、そんなものはなかった。 そして僕は考えてしまう。 何故、自分は感情を殺してまで飼った? 何故、父親に預けなかった? 苦手だと自白すれば、こんなことにはならなかったのに。 自分にとっては苦手なのに、耳障りなのに、世話をするという苦痛は分かりきっているはずなのに。 自分は最低だ。 それらの疑問をずっと心の中で反芻し、僕は死んでしまったを公園の隅に埋めた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加