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洞窟の外は吹雪だった。
スマホの電波は入らないので救助は勿論期待できない。
水は500のペットボトルが二本。
食べ物はインスタントラーメンが一袋に、チョコレートが少々。
人間社会のあれこれに疲れて一人登山を計画した私が馬鹿だった。
「神様、どうか吹雪を止めてください……毎日残業でも文句言わないのでどうか……」
火はどうにか枝木を集めて起こせたので、凍死は免れている。
けど、どう頑張っても……今日か明日の夜あたりが命日になりそうだ。
だって、私はしがない会社員。
大自然の脅威になんてかないっこない。
「神様仏様山の主様、このさい悪魔でもバケモノでもなんでもいいから、助けてください死にたくないんで……」
パチパチと爆ぜる焚火を前に私にできることは祈ること。
天気さえ回復すればきっと下山できる。
きっと、たぶん、おそらく、あるいは……。
洞窟の外は相変わらず白い嵐が吹きすさび、一寸先は真っ白だ。
「ん?」
嵐の向こうに何か吹雪以外の動きが見えた気がした。
ふらふらと動的に動く影だ。
ドサリ……。
「音まで聞こえたってことは幻覚じゃないわね」
ここから見えたのだから、洞窟のすぐそばに倒れているだろう。
神様か? 山の主か? それとも悪魔?
このさい何でもよかった。
私は洞窟から顔を出して、べしゃべしゃと顔面に当たる大粒の雪と戦いながら積もり積もった雪の上を見渡す。
数歩先の雪の上に、明らかに雪と違う若干城に近いような肌色で長い黒髪の女性が倒れていた。
「てか、痴女!!」
思わず叫ぶ。
だってそのお方、この猛吹雪の中何故か青いパレオの水着だった。
意味が分からない。
夏にやれ。
海で着ろ。
でも彼女は倒れ伏したままピクリとも動いていない。
死……?
「と、とにかく! 助けなくちゃ!」
もろもろツッコみたいところを無視して私は彼女を洞窟の中に引っ張り込んだ。
水着の女性は体全体が血が凍ってしまっているかのように冷たかった。
「こ、こういう時ってどうすればいいんだっけ? 心臓マッサージ? 人工呼吸?? ど、どうすれば」
あたふたしていると、カッと目を見開いた水着の女性が起き上がった。
「あら、ここは……」
「…………いきてた」
ひゅるるるひゅおおおお~~と洞窟内に外からの冷たい風が吹き込んでくる。
水着の女性はきょろきょろと洞窟内を見回すと、困ったように私を見た。
「そうですか、私を助けたのは女性ですか……困りました」
明らかにがっかりした様子で肩を落とす水着の女。
助けられておいて何だこの痴女の反応は。
寒くないのかこの痴女は。
「えっとあなたは……」
恐る恐る痴女に声掛けを実施する私。
まだコミュニケーションを諦めるわけにはいかない。
もしかしたらこの痴女と数日この洞窟で吹雪が止むのを待つ羽目になるかもしれないのだ。
痴女は、パレオの裾を持ち上げてどこぞの王妃のように頭を下げ、名刺を差し出してきた。
「申し遅れました。ワタクシ雪女の雪子と申します。以後お見知りおきを」
「ああ、これはどうもご丁寧に。雪女の雪子さんですね……雪女、……ゆき、女ぁ?」
何だこの痴女、頭のおかしいカッコをしているだけでなく本当におかしいのか?
多分関わってはいけない人種だ。
やだ、早く下山したい助けて神様……。
名刺を投げ出すのだけは踏みとどまってポケットに入れ、雪子さんから視線を反らそうとした私は気づく。
ポタ、ポタタタ……
「あの、雪子さん?」
「はい? ふー、熱いですねぇ、ここ」
ぱたぱたと、まるで洞窟の中が常夏かのように手のひらで仰ぐ雪子さん。
その掌が動くたびに水滴が跳ね、彼女の足元には水たまりができていた。
さらに。
「なんか、大きさが、その、小さくなってない?」
「ああ、お構いなく、熱で体を構成する雪が解けて体積が減っているだけで大したことはありません」
たいそうなことだと思うのだけど。
にこりとどこぞのご令嬢のように微笑む雪子さんに、私は確信した。
この痴女マジの雪女だ。
「え、えっと、じゃあ……私あなたと結婚すれば助かったりする??」
雪女の伝説だと彼女と結ばれる相手はほとんど無事に山を降りれたり、生き残っていた……と思う(偏見)。
私にもワンチャンあるだろうか。
残念ながら雪子さんは首を横に振った。
「いや、結婚できませんよ。あなた女性じゃないですか。世間では同性愛が認められていて、私も古い伝統には疑問を持ちこのような格好をしているのですが……」
そのパレオ水着は古い伝統への抵抗だったのか……雪女が馬鹿なのか、雪子さんが特別なのか。
「あなたとの結婚は無理です。私普通に男性に惹かれるタイプの雪女なので」
「はは、ですよね~。古い価値観に縛られるのはダメよね……ごめん、忘れて……」
くっ、現実は物語のようにうまくはいかないってことだ。
ピチョンピチョン……。
「でもそうですね、道に迷った私を助けたあなたの功績は大きいです。あのまま吹雪の中倒れていたら春には溶けてなくなっていたと思うので」
「いま、今まさに溶けてますが? ちょっと聞いてる??」
ピチョン、パチョン、ポタ、ポタタ……。
のほほんと縮んでいく雪子さんに危機感はない。
え、消えない? この雪女さん 溶けてなくならない??
「そうですね、ではワタクシのできる範囲であなたのお願いを叶えて差し上げましょう! 何がよろしいですか?」
「え、えっと……そんな小さな体になって何ができるの?」
ああ、もう膝の下くらいの子犬のような大きさに……。
「あら、いろいろありますよ? 例えば吹雪を――」
じゅっ。
パシャーン!!
……雪子さんは完全に水たまりになったが、私は目を見開いた。
……え、今なんて? 重要なこと言ってたわよね??
「雪子さん? 雪子さーん?? どっち? 吹雪を起こすの? 止めるの? どっち!?」
しゃがんで水たまりに叫ぶが、返事はなかった。
翌日。
昨日の吹雪が嘘のような快晴。
どうにか下山した私は、新たな白化粧をした山に振り返り最敬礼した。
「あなたのことは忘れないよ雪子さん……」
例え寒さと不安の中で見た夢だとしても。
一陣の冷たい風が吹き、声が聞こえた気がした。
≪昨日は失敗しました。次は焚火、消させていただきますがよろしいでしょうか?≫
……よろしくないが?
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