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「何も言わずに受け取ってくれ」
大西は俺に、紙袋を差し出した。冬の夕暮れ。吹きすさぶ風が冷たい。場所は交差点手前の歩道である。会社を出て、駅に向かおうとしたところを大西から呼び止められたのだ。どうやら待ち伏せしていたらしい。
「ええ?」
紙袋の中には500ミリのペットボトルが一本。中には透明な液体がほぼいっぱいに入っている。
「何も言わないのは無理だ。大西、なんだこれは」
大西は、困り切った表情を浮かべた。げっそりとほほの肉は落ち、眼球が転げ出そうなほどに目の周りもくぼんでいる。大学卒業後就職もしなかった自称『冒険家』の大西は、ちょっと前に日本のキャンプ場で遭難しかけたと噂になっていた。
まだ具合が悪いんだろうか。大西はもぐもぐと口を動かした。うまく第一声がでないらしい。だいぶやばいぞこれは。この液体は確実にやばい。
「む、む、無理だよな。でもな、だまされたと思ってこれを冷凍庫の製氷皿にあけろ。一晩おいてみてくれ。お前は、好きな女の子のことを思い浮かべながら寝ていればいい。」
「好きな女の子? 残念ながら社畜の分際でね。愛だの恋だの浮かれてる暇がないんだ」
「別にリアルな女の子でなくてもいいんだ。お前、好きなアイドルグループがいただろう。その中の一人を思い浮かべながら寝ろ。いいことが起きる」
これは危険だ。俺はペットボトルを大西に戻そうとした。しかし大西は信じられないような力を出してペットボトルを俺の手提げかばんにねじ込んで、全力疾走で走りだした。
「おい、大西! 」
『冒険家』大西は、走るのが早い。あっという間に横断歩道を渡り切った。タイミング悪く信号は赤になってしまった。
大西は横断歩道の向こうから叫んだ。
「その水は絶対に捨てるなよ。祟るからな。でも、必ず製氷皿にあけて冷凍しろ。そのままじゃだめだからな。好きな女のことを思い浮かべるんだぞ。絶対だぞ」
叫ぶだけ叫ぶと、大西は人ごみの中に駆け込んでいった。
「おい。いいかげんにしろよ」
俺はペットボトルをその場に投げ捨てようかと思った。しかし『祟る』という大西の言葉と、周囲の人目が気になって、結局家まで持って帰ってしまった。
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