213人が本棚に入れています
本棚に追加
「………お前らぁ」
坂本の、応援合戦で鍛えられた野太い声が低くひびく。
「誓いのキッスを、しろー」
「…え?」
「…えっ?」
顔を上げる。縁側に坂本岡田、親父に母親が雁首をそろえている。
「今なら証人がたくさんいるぞ!」
岡田がめがねのブリッジに指を添えて、つけくわえる。
「ばっ…見てんじゃ、ねーよ!」
律を、守るみたいに抱きしめる。忘れてた。すぐそこには俺の家の座敷があって、家族どころか兄貴の友達までいるんだった。
「そんだけ大声出しゃあ、嫌でも聞こえるだよ」
あきれ顔の親父は腕組みをする。
「こえ!?」
ついさっきの、声を押し殺した秘密のいとなみが脳裏に浮かんでしまう。
「…たぶらかしたわけか」
「はっ!? ちげーよ!」
また、ちゃなこが吠える。
「あんないいお坊ちゃんを…」
家の奥では、ひいばあちゃんが仏壇にむかって拝み出す。わけがわからない。
はじめて見た、コクハクだぜ! 弟の友達がたえかねたように大声を上げる。
「しかたねえ、あちらの親御さんに挨拶しに行くか…」
親父が天を仰ぐ。
「お兄ちゃんにはまだ彼女もいないのに史緒が先に…」
「俺のことはいいんだよ、ったく…」
俺たちのせいで大騒ぎだ。掃き出し窓から明るい光がもれている。
「…史緒」
俺の腕をそっとつかむ。
「ごめんな、うるさくて」
ううん、笑ってと首を振る。壊れものをあつかうように、律のまぶたにそっとキスする。
「左の目にも、して…」
目を閉じるから、もう片方の瞳の上にも唇をつける。見られているかもしれないはずかしさを、いとおしさが簡単に上回る。
「史緒。好きだ」
「俺も好き」
「春からずっと好きだったし…ときどき腹を立てたりもしたけど」
「それはよけいだろ」
「…これからも好きだ」
「…俺も同じ気持ち」
「知ってる」
マフラーの陰にかくれて、こっそり唇を重ねた。
十七歳で、熱にうかされて、いつも律といっしょにいた。
律がいて俺がいた。ただそれだけ。ふたりのさかいめは曖昧で、体のどこかをいつもくっつけあって、すべてのことを共有していた。いつもふたりきりだった。
最初のコメントを投稿しよう!