epilogue

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「りーつっ」 「…史緒」 白杖を横に置き、先にテーブルに着いていた。ドリンクを口にしていないのを確認した上で、背後から抱きついた。 「…ほぼ一ヶ月ぶりなのに、しかめ面?」 「お前がいきなり飛びついてくるからだ」 眉をひそめたまま、肩に回した俺の腕を邪険にふりほどいた。 律はこの四月に入社したばかりで案の定忙しくなって、ほとんど会えていなかった。 客先にしょっちゅう行くわけではない開発系の部署だから、ネクタイなしで夏用のジャケットを着ている。俺は律の向かいの席に座ると、上着もネクタイもとっぱらい、ついでにワイシャツの袖も思いきりたくし上げる。 「今日は残業なしか?」 先々週は、どうしてもデータをまとめないと、とか言って約束をドタキャンされたのだった。 「やっと落ち着いてきたところだ」 「根詰めすぎるなよ」 律は院を卒業してからの就職だから、社会人ということに関しては俺の方がずっと先輩だ。ここぞとばかりに上から目線。律は、はいはいと聞き流す。 あいかわらずだ。職場ではさっそく「クールビューティー」なんていう二つ名を頂戴したらしい。「ビューティー」には多少はらはらするものの、先輩や同僚とうまくやれているようで安心する。その会社には体が不自由な人も数名在籍していて、他の社員と変わりなく仕事をこなしている。それが律が入社を希望した理由のひとつだ。彼らとは仕事の仕方やプライベートの面で情報交換をしているようだ。 律の専門は応用知覚工学という分野で、勤め先は「ものすごく平たく言えば、人間の感覚を拡張するためのプログラムや道具を開発する会社」だと説明された。具体的には、VRやロボットの開発。大学生の頃から、となりでそれぞれのレポートを書いたり試験勉強をしたことは何度もあったが、未だに俺は律のやっていることがよくわからない。 「まだ下っ端だからね。やることは尽きない」 言いながら、誇らしげな顔をする。充実しているのだろう。俺もうれしくなる。
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