epilogue

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律は起き上がって、壁伝いに廊下に出る。律の背中の線、すげえ好き。それからきゅっと締まった尻も。長い付き合いでいいとこも悪いとこも、きれいなとこも汚いとこも互いに熟知している。それなのにこんな視線を送るなんて、どうかしているのかもしれない。俺はやれやれ、と思いながら髪をかき上げる。 律はすぐにかばんを抱えて戻って来た。ベッドに腰かけてそれを開いた。なにか取り出して、また俺のとなりに寝そべる。 「お守り袋か?」 どこかの土産だろうか。その小さな袋から、折りたたんだ紙を取り出す。 「いつも持ってた」 「…あ」 いきおいで渡したきり、忘れていた。 「受験のときも、はじめて学会で発表したときも…目のことで嫌な思いをしたときも、史緒とのことを両親にうちあけたときも。いつも」 知らなかった。 今の今まで、正直なところすっかり忘れていた。けれどそのおうとつに指がふれた瞬間、なにもかも思い出した。 話し言葉で説明することだって不得意だったのに、点字の手紙などなにを書けばいいかわからなかった。それでも、キョージュに教えてもらいながら一文字ずつ打った。律にひっついて東京にはじめて行ったあの日。 ちなみにキョージュは、院で律の指導教官だった。文化祭やなんかでときどき俺も会って話した。あいかわらず面白いおじさんだった。 「史緒の声で言って」 「え?」 照れくさいから手紙にしたんだけど。渡してしまえばこっちの手元には残らず、忘れられるから。 「聞きたい」 「…なんで」 「言い逃げなんて無責任だ」 頑固だ。 「…しょーがねえなあ…」 律の手を取って、いっしょに指でたどる。六つの点の上で、ふたりの指が絡む。 俺は大学のサークルで点字を学んだけれど、律や他の視覚障害者のようにすらすら読めるところまではいっていない。だからひと文字ずつ、ゆっくりと読む。十年を経て、紙に記したでっぱりはずいぶんとすり減っていた。 そこに乗せた俺の気持ちは短すぎるくらい短い。伝えたいことは、たくさんあったはずなのに。
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