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「今年の夏」
「ん?」
「もし、いっしょに暮らす許可をもらえたら…そのあとまた、新潟の海に行ってみるか?」
「…行く」
間をおいて、
「行きたい」
きっぱりとした声で答えた。その瞬間に、決定事項になる。
あの青いスニーカーは、一年を待たずにふたりとも同じタイミングであっさりとサイズアウトしてしまった。もちろんふたりとも、今もそれを大事に持っている。それからは、卒業や就職のタイミングで靴を贈り合うのが定番のやりとりになった。
「あの民宿、まだやってるかな」
「やってるんじゃね? きっと」
海に行ったら、昼間はいっぱいはしゃいで遊ぶ。魚料理をたらふく食う。そして夜は、あのときみたいに満点の星空の下、砂浜に出るつもりだ。そこで渡したいものがある。いつもみたいなふざけた調子じゃなくて、きちんと真面目に。
今度はスニーカーじゃない。高校生のときはまだ子どもだからと買うのをためらった物だ。
「律ー」
シャワーを済ませて戻って来た律に、照れくさいからわざと顔を見ないで、天井をながめながら呼びかけた。
「なんだ?」
「左の薬指のサイズ、いくつ?」
はじめて会ったとき、まだ十六だった。わけもわからずにふれた手。俺の体を、心をそっとたどり、あるいは大胆につかむ、指。
「測ったことないな」
濡れ髪を窓のそばで拭いている。俺の言葉の意味になにも気づかない、頭がいいくせにときどき鈍感な律。
その指に約束のしるしを贈ると決めた。
律が好きだ。
その思いで胸がいっぱいになる。はね起きて飛んでいって、抱きしめた。
「史緒? シャワーを浴びて服を着ろ」
いきおいでよろけそうになって、もちこたえる。
「海、絶対に行こうな」
「べたべたするな、暑いだろう…!」
「花火とかも、やったりしような」
「なんだ急に。離せ!」
逃げようとするから、もっと力を込める。ほとんどやみくもに。
驚くかな。喜んでくれるかな。どんな顔をするだろうか。海はどんな色で律と俺に映るだろう。
来年も再来年も、その次もずっと。いっしょにいたいって。パレットの色を、これからもたくさん増やそうなって。
律とはじめて見た海で、もう一度伝える。何度でも、律が眉間に指を当ててうるさいってあきれるまで、言ってやる。
終わり
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