どっかいっちゃった

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「どうした、ミウ?」 「……シュウちゃん、助けて……お願い、助けて」 「ちょっと待て、ミウ、一体どうしたん――」 「シュウちゃん、助けて……」  二歳年下の、幼馴染のミウ。  家が近所で、お互いの親が仲良かった事もあり、僕らは物心つく前から兄妹みたいに育った。本当に小さな頃は、どちらかの家で四六時中一緒にいたし、ミウが中学に上がるまでは、ほぼ毎日一緒に登下校していた。  ミウが中学に上がってしばらくして、何が切っ掛けだったか覚えてないのだけれど、それまで毎日会っていたのが、急に顔を合わせることが少なくなった。  僕が受験で忙しかったせいもあるし、それぞれの友達関係も出来上がって、一緒にいる必要性を失ってしまったんだろう。もちろん、会えば幼馴染の気安さで話したりもしていたけど、積極的に会いに行くことはなくなっていた。  僕が高校に進学すると、疎遠と言ってもいいくらい会わなくなった。風の噂で、中学二年生になったミウに彼氏ができたと聞いても、ふうん、良かったな、くらいの感覚だったと思う。その当時は。  大学生になり、高校二年のミウに久し振りに会った時、僕はちょっと困惑した。  久し振りにお互いの家族一同で、夏にウチの庭でバーベキューをした時だ。  およそ二年振りくらいに会ったミウは、僕の知っているミウではなかった。  キレイになっていた。とても。  初めてミウを異性として――つまり、女として意識して見るようになった。  でもだからと言って、幼馴染みの関係が変わるわけではなく、 「久し振りだな、元気だったか?」 「シュウちゃんは?」  という他愛もない会話に、一方的に僕の方がちょっとドキドキする程度で、そこから先は何も昔と変わらない会話を続けただけだった。  そして、そのバーベキューの日からまた、ミウと会う機会はなくなった。  次に会ったのは、それから六年後。ミウの結婚式の時だった。  僕は新婦側の親族席に、両親とともに座っていた。  ミウは職場のひとつ歳上の先輩と結婚した。とても優しそうな相手だった。  幸せに包まれた会場で、ミウはとても華やいだ雰囲気で、僕の目には六年前に会った時よりもキレイに映っていた。  多分これから、ミウは、幸福に溢れた家庭を築いていくのだろう。 ウエディングドレスを纏ったミウをぼんやり眺めながら、そんな風に思っていた。  だから、それから三年後、ミウから助けを求める電話がかかって来るなんて想像すらしていなかった。 「大丈夫か? 少しは落ち着いたか?」  助手席に座ったミウは、体をギュウっと縮めて、少し震えてはいたが、微かにコクリと頷いた。 「寒い?」  二月に入ったばかりの深夜、ちらほら雪も舞っている。予報では朝方にかけて、更に冷え込むらしい。 「……ちょっと」  着の身着のまま家を飛び出して、小一時間くらい僕の到着を外で待っていたのだ。ダウンジャケットを着せて、暖房も強めてはいるが、芯まで冷えた体の体温はそうすぐには戻らないだろう。  それだけではない。  ミウは何かに怯えているかのように、ずっと唇を震わせている。精神的に弱っていて、心も冷たくなっているのだ。 いろいろ想像はしているけれど、まだミウ本人から詳しい話は聞いていない。もうちょっと落ち着くまで、こちらから訊き出すのは気が引ける。 「とにかく、一旦僕の家に行こう。少し体を休めなきゃ」 「え?……でもシュウちゃん、奥さんは? シュウちゃんも二年前に結婚したって聞いたわ」 「ああ……でも、半年前に離婚したよ。今は独りだ」 「そうなの……?」 「ああ。だから、気にしなくていいよ」  僕はできるだけ気を遣わせないように、優しい笑みをミウに向けた。 「しまった!」 「どうしたの、シュウちゃん?」 「ガス欠だ、ちくしょう!」  あまりに慌てて飛び出して来たので、ガソリンの残量がないのをすっかり忘れてしまっていた。最悪のミスだ。  しかも、雪はさらに激しく振り出した。  片側一車線ずつの峠を越える国道の途中で、深夜だからすれ違う車もない。僕は仕方なく、道路わきの少しスペースがある部分に車を乗り入れ停車した。 「ごめん。仕事行く時に給油すればいいやってそのまま帰って来たんだった……」  この状況では致命的なミスだ。暖房も効かなくなってくる。  ふとミウの方を見ると、クスクスと笑っていた。 「シュウちゃんらしいわ」 「……何だよ、それ」 「シュウちゃんってさ、何にでもしっかりしてそうで、でも絶対どこか抜けてるの。ちっちゃい頃からそうだったもん」 「そんなことないだろ」 「そんなことあるよ。小学生の頃だってさ、朝、私を迎えに来てくれたのはいいけど、ランドセル忘れた、とか言ってたことあったでしょ」 「それは……一回だけだったろ?」 「ううん、何回かあったよ。その度に私と一緒に取りに行ったもん、ランドセル」  ミウは楽しそうに笑っている。  子供の頃の記憶を辿りながら、ミウは少し元気を取り戻して来たようだった。 「――寒いだろ? 大丈夫か?」  停まってから、急激に車内の温度が下がってくる。足元の方から寒さが這い上がってくるようだった。 「ちょっと寒い。けど、大丈夫よ」  強がるような仕草で、ミウは言った。 「とにかくどっか連絡して、助けに来てもらおう」  と言って携帯を取り出したが、圏外になっている。 「ウソだろ。繋がらないとかあるのか、今時」 「……分かんないけど」 「雪のせいかよ」  雪は更に激しくなっていた。フロントガラスがもう白で覆われている。 「……まずいな、これは」  考えたくないが、遭難したみたいな状況になってしまった。  動かなくなった車の中で二人きり。冷気が忍び寄ってくる。 「とにかく、朝までの辛抱だ。朝になれば、車も通るだろうし」 「大丈夫よ」  ミウは僕の方を見てにっこり笑った。 「シュウちゃん一緒だから大丈夫」 「ミウ……」  僕は思わず、ミウをゆっくり抱き寄せた。 「……これで少しは寒さをしのげるかな」 「うん。――シュウちゃん、温かいよ」  ミウは僕の胸の中で、フウと息を吐いた。 「ねえ、シュウちゃん、覚えてる?」 「何?」 「中学生の頃の話。――シュウちゃんが中三で、私が一年生の、冬休みが始まるちょっと前」  僕は顔に出さなかったけど、ドキッとした。 「……何かあったっけ?」  ミウは僕の胸に顔を埋めたまま言った。 「私、告白したのよ、シュウちゃんに」  心臓がバクバク鳴っている。聞こえないだろうか? 「本当に覚えていない?」  覚えてる。 「いや、覚えてないなぁ……」 「学校の帰りに、私が公園に誘ったの。ほら、家の近所の滑り台とブランコしかない小さな公園、あったでしょ。団地の裏手の」 「ああ、ほとんど人気のない公園な。それは覚えてるよ」 「その日、特に寒くて、夕方には雪もちらついてて、シュウちゃんは嫌がったけど、私が強引に手を引っ張って連れてったのよ」 「そうだったっけ?」 「うん」  覚えていないフリをしてるけど、今でも鮮明に覚えている。あの時は、いつもはワガママを言わないミウが珍しく強引に僕を公園に誘ったんだ。  クリスマスが近い、とても寒い日の夕方で、雪も降り出したのでお互いに手袋をしていたけど、ミウから手を引かれた時、手袋越しだけど、ミウの手の温もりが伝わってくるような気がしたのを、はっきり覚えていた。  とぼけている僕に気付いていない様に、ミウが続ける。 「ブランコに二人並んで座って、でも勇気が出なくて黙ってたら、シュウちゃんが、寒いよ、早く帰ろうよ、って言うから、私、心の準備も何も整ってなかったのに慌てて、シュウちゃんのこと好きなの、って言っちゃったのよ」  そう。何の前振りもなく、ミウは僕に告白した。顔から耳まで真っ赤にして。 「そしたらシュウちゃん、いきなり立ち上がって、マジかよ、うわぁ、とか言って」 「――俺、そんな事言ってたの?」 「そうよ。そして……どっかいっちゃった」  ミウは胸の中で、スン、と鼻を鳴らした。 「私、一人ブランコに残されて、すごく悲しかったんだから」 「ごめん……」  ――あの時僕は、まるで異性として見ていない、妹みたいな存在のミウから、初めて女の子の気配を感じて、うろたえてしまったのだ。中学一年生だろうが、妹みたいな存在だろうが、幼馴染みだろうが、ちゃんと女の子としての目線で、僕を男の子として見ていたのだと、思い知らされた。  気恥ずかしくて、照れくさくて、まだまだガキンチョだった僕は、どう対応していいのか分かるはずもなく、そんなワケの分からない行動を取ってしまったのだろう。  今思うと、なかなか最悪な反応だったと思う。その時はそれしかできなかったとしても。 「そんなだったんだ。ほんと、ごめん」 「あの時は呆気に取られて、悲しいのもあったけど、びっくりしちゃって、私、いっぱい泣いちゃったのよ」 「だから……ごめんって」  なんだかミウは、中学生だった頃のミウに戻ったみたいに、幼げなか細い声で言う。 「あれから、シュウちゃんと顔を合わせるのも気まずくなって、会えなくなったんだよね」 「ああ……」  僕もだった。  あれから、どうやってミウに接していいのか分からなくなって、顔を合わせても、ギクシャクするようになってしまった。 あの時はまだ、ミウを異性として見ることができなくて、でも、ミウはしっかり女の子だったと知ってしまって、自分の中でどう折り合いをつければいいのか、子供だった僕には上手な消化の仕方が分からなかったのだと思う。 今となってみれば、もっと上手な接し方も思いつくのだけれど、あの頃の僕にはできなかったのだ。 「ミウ、ごめんな。あの頃、俺はまだ子供で、ちゃんとミウの事、考えてあげることができなかったんだ」 「うん……そうだよね。私もそうだ。――私もまだ子供で、シュウちゃんがどんな風に思ってるのか、想像することができなかったんだ」  そうやって、幼い頃から続いていた僕たちの関係は変化していったのだ。二人でいるのが当たり前だった日常が当たり前じゃなくなり、確実にお互いの距離が離れていった。  僕が知っていた子供のミウは、どこかへ行ってしまったのだ。  多分それを、成長と言うのだろうけど。 「そろそろ、聞いてもいいかな?」 「何、シュウちゃん?」 「どうして、助けての連絡をしてきたんだ? 何があったんだよ」  まだ僕の腕の中にいるミウは、ピクッと体を強張らせた。  訊かない方が良かったのだろうか? だけど、何も聞かないままだったら、これから先どうしていいものか、皆目見当がつかない。  こうやって僕を頼って来たミウを、愛おしいミウを、僕は本気で守りたいと思っていた。 「結婚してから一年くらいは、何事もなく、穏やかな生活を送れていたの」  ミウはか細いながらも丁寧な口調で話し出した。 「一年過ぎたくらいから、夫が急に私の浮気を疑い出して――」 「浮気? ミウが?」 「ううん。私はそんなことしてない。けど、どうしてか疑いだして、それから束縛が酷くなってって、仕事中でも職場から頻繁に連絡してくるし、ただ買い物に出ただけでも怒られたりしだして……」 「それから?」 「だんだんそれがエスカレートしだして、ちょっとしたことでも暴力を振るわれるようになった。――例えば、ゴミ出しに行っても、戻ってくるのが遅かっただとか、女の子の友達と電話してるだけでも、男だろうとか、そんな事で」  僕は首を振った。 「それは辛かっただろう」 「家に籠って大人しくしてれば優しかったんだけど、どのタイミングで怒り出すのか分からなくて……」 「両親に相談して実家に戻るとか、できなかったのか?」 「怖かったの。一度、父が事故で入院してたことがあったんだけど、見舞いに行きたいって言っただけで、噓をつくな!って気が狂ったように暴れ出して。――離婚とかも考えたけど、 とてもそんな事、言い出せなかった」  ミウは静かに泣いていた。弱々しく嗚咽を漏らす。まるで泣いているのがバレたら叱られてしまうと思っている子供みたいな泣き方だ。  僕はゆっくりとミウの背中をさする。寒すぎて、指の感覚がなくなりそうだったけど、それでも微かにミウの体温を感じることはできた。 「そして、今日」  ミウは震える声で先を続けた。 「夫が仕事から帰って来て、食事を終えてから二人で映画を観てたのね。その途中で夫がうたた寝しちゃったから、その間に私シャワー浴びてたの。浴室から出たら、夫が物凄い形相で立ってて、オレが寝てる間にどこに行くつもりだったんだって、いきなり殴られて……」  ミウの背中が震えだす。 「違うって言っても全然聞いてくれなくて、押し倒されて、首を絞められそうになって、私、殺されると思って必死に逃げ出したんだ」  そこまで言うと、ミウは声を隠すこともなく大泣きしだした。溜まっていた悲しみと恐怖の感情が一気に溢れ出したみたいだった。  僕は何と言っていいか分からなくて、黙ってミウを抱き締めていた。 「――思いついたのが、シュウちゃんだったの」 「え?」 「誰か私を助けてくれる人って考えて、一番最初に思いついたのがシュウちゃんだったの」  涙が落ち着いた頃に、ミウはそう言った。 「シュウちゃんだったら、私を見捨てたりしない。きっと助けてくれるって、何でかそう思ったんだ。だから、ずっと連絡してなかったんだけど、電話したの」 「そうか……」 「いきなりで、すごい迷惑だったかもだけどね」  口調がやっと、昔のミウみたいに戻って来て、僕は少しホッとした。 「迷惑? そんなことあるかよ。俺を思い出してくれて嬉しかったよ」 「本当に?」 「ああ。昔から、ミウを助けるのは、オレの役目だ」  何か、胸に熱いものが込み上げてくる。――そうだ。これは決意だ。  僕はミウをこの世の何者からも守るという、強い決意。 「ありがとう、シュウちゃん」  ミウは、やっと顔を上げた。  透き通るような、透明感のある白い頬が、薄いピンク色に染まっていた。傷ひとつない、まるで天使の羽衣のような白い肌と、桜色の頬。 さっきまで泣いていたせいか、瞳は潤んでいる。 僕はどうしようもなくなって、冷え切った掌で、ミウの頬に触れた。 「……冷たいよ、シュウちゃん」 「ごめん。……でも、ミウに触れたかったんだ」  ミウは冷たいと言いながら、嫌がる素振りは見せなかった。  一瞬だけ見つめあって、僕たちは唇を重ね合わせた。 「あの時――」 「ん?」 「あの時、どっかいっちゃったシュウちゃんが、やっと戻って来てくれたね」  ミウはそう言った。 「ああ、そうだな。――ずいぶん、時間かかったけど」 「そうだね」  二人して、クスクス笑った。 「私はもう充分、満足だよ」 「え?」 「こうやってシュウちゃんに助けてもらえて、あの頃からの願いも叶ったし、もう充分、私は幸せだ」 「ミウ?」 「……なんだか、眠くなってきちゃったの」  再び、ミウは僕の胸に顔を埋めた。 「寒いのも、もう感じなくなってきちゃった」 「ミウ、大丈夫か?」  僕の胸の中でミウはコクコクと頷く。 「うん、大丈夫よ。今、こうしていられるだけで、私、幸せだもん。――でもね、なんだかとても眠くなったの」 「ミウ……」  さっきまで強張って小刻みに震えていたはずのミウの体が、スッと力が抜けていくのを感じる。 「ミウ、眠っちゃダメだ」 「うん。……でもね、とても眠いの。シュウちゃんの腕に抱かれてると、温かくて、安心で、やっとゆっくり眠れるような気がするの」  僕はミウの体を強く抱きしめる。 「お願いだから、ミウ、眠っちゃダメだ」  声が少し震えてくる。僕でさえ、寒さで意識がボンヤリしてくるくらいだ。 「シュウちゃんが迎えに来てくれて、もう充分、嬉しかったから、少しだけ眠らせて」  そう言うと、ミウはふぅぅぅぅぅと息を吐いて、動かなくなった。 「ミウ。ミウ」  そう言う僕の声も弱々しく、ともすれば意識が落ちてしまいそうになる。  やっと……やっと二人になれたのに。  やっと……お互いの気持ちが、通じ合えたと思ったのに……。  ミウ、僕は……ずっと君のことを……。 「ああ……間違いないのか、コイツで」  峠を走る国道を大きく外れた林の中で動かなくなった車の運転席を覗き込みながら、県警刑事、千葉が言った。  地元署の刑事はしっかりと頷きながら、 「間違いありません。緊急手配中だった奥野シュウイチロウです」 「死因は?」 「詳しいことはまだ分かりませんが、木に衝突した際の外傷もあるものの、おそらくは低体温症――いわゆる凍死ではないかと思われます」 「夜中に降った雪で滑って林に突っ込んで気絶して、そのまま凍っちまったって感じか」 「おそらくは」  千葉は運転席を覗き込んでた顔を上げて、ひと息つく。 「発見者は?」 「走行中のトラックの運転手が気づいて通報してくれたらしいです」 「同乗者がいた形跡はないのか?」 「ありません。一人で逃亡中だったと思われます」 「そうか。――後は鑑識に任せて、詳しい話は車の中で聞こうか」  二人は近くに停車していた車の中に戻った。  後部座席に座って、すっかり冷めた缶コーヒーを啜りながら、千葉は尋ねる。 「オレはまだ詳しく聞いてねえんだ。経緯を聞かせてくれ」  助手席の地元署の刑事は、手帳を覗き込みながら、あらましを話し始めた。 「被害者は田辺ミウ。二十六歳。午後十一時頃に自宅に押し入って来た奥野シュウイチロウに首を絞められ死亡しています。奥野は、仕事から帰宅してきた田辺ミウの旦那を玄関前で襲撃し、気絶させて鍵を奪い、自宅に押し入り、犯行に及んだそうです。  田辺ミウはおそらく、旦那の帰りを待っていて、リビングのソファで眠り込んでいたのでしょう。激しく抵抗した様子も見られませんでした」 「そうか。動機らしきものは何か分かってるのか?」 「旦那の話だと、奥野シュウイチロウはもともと、田辺ミウと幼馴染みだったそうです。ですが、奥野が大学一年、田辺ミウが高校二年の時に奥野が一方的に好意を抱き、告白され、田辺ミウが断った後に、半ばストーカーのようになっていたらしいです。  直接的な被害はなかったものの、それから何年もの期間、事あるごとに田辺ミウの前に姿を現すようになっていました。高校や大学にも、進学の際の引っ越し先に急に訪れることもあったそうです。  就職した後もそれは続き、挙句、招待されてもいない結婚式の会場にも姿を現したことから、うちの署に相談し、生活安全部の署員が奥野シュウイチロウに口頭で注意を促しています。まあ、この時点ではそれ以上のことはできなかったんでしょう。  その時、奥野シュウイチロウは、中学生の時に田辺ミウに告白されたと言っていたようですが、田辺ミウはそういう事実はないと否定していたようです」 「ああ? どういうことだそりゃ?」 「……多分、奥野の妄想でしょうね」 「妄想で告白されたシチュエーションを作ってんのか。都合のいい想像力だな」 「そうですね。――それからしばらくは奥野は姿を現さなくなりましたが、三か月ほど前から、また自宅付近で姿を見かけるようになったそうです」 「何か切っ掛けがあったのか?」 「奥野は二年前に、職場の上司の勧めで結婚しています。ですが、すぐに別居状態になり、程なく離婚。――離婚が成立したのが半年前との事です」 「なるほどな。それが切っ掛けで蘇っちまったのか。しかも歪んだ方へ向かっちまった」  ふう、と千葉はため息をついた。 「好きになって、遠くから眺めてるだけじゃ飽き足らず、自分のものにしたいと思った結末がこれだったわけか。――最悪だな」  未だ遺体が乗ったままの車の方を眺めてみる。陽は昇っているが、うっすらと屋根に雪が残っていた。 「そして、罪を償う間もなく、勝手にどっかいっちゃった、てか。最悪だよ」
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