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たたんたたん
先頭車両で最後尾。たった一両編成のワンマン列車というものに、俺はいま揺られている。三十年の人生の中で、初めての経験だ。
乗客は俺と雪乃の他、ボックスシートに悠々と脚を伸ばして寝こける男のみ。
暖気で曇った窓に、雪乃は子供っぽい落書きをしている。彼女が指を滑らす度に、結露が涙のようにガラスを伝い、曇った景色を露わにした。
枯れた野山が、雪乃の落書きと一緒に流れていく。枯れ枝の先まで凍てついて真っ白だ。外はさぞ寒かろう。
俺は今、恋人の生まれ育った田舎へと、一歩一歩近づいている。
「驚いたよ。本当に山の中なんだな」
「やっと信じてくれた?」
今日この景色を目にするまで、雪乃が語る生まれ故郷の話を、俺は笑って聞いてきた。人を惹きつける話しのできる雪乃だから、面白おかしく誇張しているんだろうと思っていたんだ。
最寄りのコンビニまで車で二十分。ファストフード店までは車で一時間。一家に一台自家用車……ではなく、高校を卒業したら一人に一台 車がないと、生活が困難とは事実らしい。
第一、この電車……いや列車も、電化されていないというのだから驚きだ。俺は鉄道に詳しくないから、日本全国どこだろうと電車が運行しているものだと疑っていなかった。
線路を舐める車輪がもたらす振動と、規則正しく刻まれるリズム。時折り挟まれる警笛音が、持ち合わせのないはずのノスタルジーを呼び起こす。
ボックス席から聞こえるいびきも納得の、ゆったりした時間が客車内に流れていた。
「こんな雪景色は、中学のスキー合宿以来だよ」
「それって本当の雪国でしょ? ここは一応、関東圏に入ってますー」
何と張り合っているんだか、雪乃がむくれてしまった。
ここはちょっと、気の紛れる話でもして、ご機嫌を取っておこう。これから雪乃の実家にご挨拶に伺うんだから、仲が良いところをしっかりアピールして、最初の印象は良くしなければ。
何か面白い話はないかと目を閉じると、ふいに目蓋の裏を椿の花弁が舞った。
「そうだ。こんな雪の中だった」
「何? 突然」
「なあ、俺さ。雪女に会ったことあるんだ」
「えっ、嘘だあ。いつもそうやって、からかうんだから」
「本当だよ。まあ聞けって……」
車窓を流れる雪景色を眺めながら、今まで親にだって内緒にしてきた不思議な体験を、雪乃に語り聞かせることにした。
いや、彼女だから聞いて欲しかったんだ。
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