第9話 容疑者たち②

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第9話 容疑者たち②

 二つ目の部屋の敷居をくぐると、腕組みをした大柄な男が不機嫌そうに、入ってきた二人をじろりと睨みつけた。髭も髪も真っ白だが、雰囲気は老人というほど弱々しくはない。むしろ、精気の充実した壮年期のままだ。  「神官はわかるが、役人とは何事だ。」  「えーと…お気になさらずに。ぼくは、ただの私用ですから」  「私用もくそもあるか。若造どもが、こっちは仕事があるってえのに、こんなところで待たせやがって」 この男は神殿の内壁を塗り直していた職人だということだったが、見たところ、体は頑強そうで、指はごつごつとして太い。絵師というより石工のようにも見える。そして、職人気質な雰囲気が否応なく伝わって来た。  「そりゃあ悪かったな。けど、日当は支払うから損はさせないぜ」  「そういう問題じゃない。仕事もしていないのに日当が貰えるか。しかも、予定の期日で仕事が終わらんだろうが。まったく、これだからお坊ちゃんは困るんだよ」  「お坊ちゃん、ってか。そんな呼び方されたのは、初めてだな」  「大神官の息子だろ? あんた。ならお坊ちゃんだ。顔くらいは知ってるよ。だが、それとこれとは話が別だ。(わし)は真面目に仕事をこなしとっただけなのに、何で神像が無くなっただの、神官が死んだので疑われなきゃならんのだ。」  「いや、つか、それを聞きに来たんだがなあ。よっこらせっと」 ネフェルカプタハは、向かいに腰を下ろす。  無作法な呼び方をされても、失礼な口の聞き方をされても、ネフェルカプタハは全く動じない。  というより、彼自身、普段から気負った所のない性格なのだ。役割を演じている時以外は、自分の立場や肩書のことなど忘れている。忘れすぎていることに、側にいるチェティのほうが心配になることのほうが多い。  「――ネブケド、まずあんたに聞きたいことは、パヘムが小神殿の至聖所に戻ってきた時、あんたが仕事中だったかどうか、ってことなんだが。」  「ちょうど、仕事を始めるところだった。準備をしておったさ。いつもどおりにな」 男は、不機嫌な声で答える。  「で? そのあと、奴は祠堂をすぐに開けたのか」  「いいや。置いて、すぐにどっか行っちまったよ。ちょうど入れ替わりに、儂が至聖所に入った。普段は立会の神官がいるんだが、その祠堂を運んでた奴が兼任することになってたんだろう。他には神官は居なかった」  「参拝者の方は、どうだった? その時間に、小神殿の中に他に誰がいたんだ  「さあな。もう遅い時間で、お祈りに来てる信者は一人か二人くらいしかいなかったな。儂は裏口から入れてもらったから、表側の、礼拝用の部屋は見ていない。」  「あんたが仕事してる間に、パヘムは戻ってきたんだよな? 祠堂を開けた時、あんた、側にいたんじゃないのか。開けてすぐ、中身が無いって騒いでたのか?」  「……。」 奇妙な沈黙だ。  「おい、どうなんだよ」  「儂は、その場面は見ていない」  「は?」  「祠堂を開けるのに、手続きがあるとか言われて部屋から追い出された。悲鳴みたいなもんが聞こえて大騒ぎになったのは、その後だ」  「いや…待て待て。ちょっと待てよ、んん?」 ネフェルカプタハは、額に指を当てた。   「パヘムは確か、戻ってきて、祠堂を至聖所に置いて一度外に出た――と、言ってたぞ。用を足しに言ったっつってたな。それは、合ってるのか?」  「一度出ていったたのは、確かだ。だが、用を足しにかどうかは知らん。排泄のことなら、でかいほうだろうな」  「そんなに時間がかかってたのか?」  「ああ。儂が、祠堂の――いや…」 男は、何か言いかけて口を閉ざした。  「正直に言えよ。その間に、祠堂に触ったんだろ」 と、畳みかけるようにネフェルカプタハ。  「ふ…ふん、何を証拠に」  「証拠もくそもあるか。祠堂に、塗りたての色がついてたぜ。壁のと同じ色だ。あんたが、仕事道具を他の誰かに弄らせたんじゃなきゃ、あの色は、あんた自身があそこに塗りつけたもんだろ」  「……。」  「どうなんだ、ネブケド。神域の修復に雇われてるっていうんなら、あんたは大神殿に信用された熟練の職人なんだろう。だが、嘘偽りのある言動を取るなら、あんたはもう信用ならねえ。神域の壁画の塗り直しは、別の職人に頼まなきゃならん」 男の目に、かっと炎のような色が湧き上がるのが見えた。  「ふざけるな。仕事を取り上げようってえのか。儂は書記学校にも通って、碑文の意味だって理解してる。呪文も、文字への色の載せ方も、正しく把握しとるんだ。儂以上の仕事が出来る奴なんざ、この街にだって――」  「必要なのは、職人として腕だけじゃねぇんだよ。」 ネフェルカプタハのほうも、負けては居ない。相手から目をそらさずに、淡々とした口調で言い返す。  「俺が問題にしてるのは、誠実さ(マアト)なんだよ。至聖所でやったことなんだろ? 神の御前だぞ。俺にどう誤魔化そうが、ネフェルテム神は当然、ご覧になっていたはずだ。それでもまだ、しらを切るつもりなのか?」  「…くっ」 さっきまで威勢の良かったネブケドの火が、一瞬にして鎮火していく。  流石、と言うべきか。どんな相手でも怖気づきもせず、口で言いくるめるのは彼の得意技だ。  諦めたらしいネブケドは、口元を歪めながら、歯切れ悪く白状しはじめた。  「…そうさ。祠堂には触った。背後が剥げてたんだ。裏口から入ってくる時、派手にぶつけたからな。その部分が剥げて、気に触ったんだ。あの祠堂も、うちの工房で塗りつけたやつなんだ。それを色剥げになんて…我慢がならんかった。それで、あの神官が出ていった隙に、こっそり塗り直した」  「ぶつけた、って、まだ酔っ払ってたのか?」  「酔っていたかはしらん。疲れてはいるようだった。神官ってのは、どいつもこいつも生っ白くて体力が無ぇのが問題だ」 絵師の男は、腕組みをしながらじろりとネフェルカプタハを睨む。  「確かに、儂は勝手に祠堂を塗り直した。だが、それだけだ。こいつは神に誓って事実だ。確かに、何も言わずにやったのは悪かったが、ネフェルテム神のためにもなる」  「はあ…。いや、仕事熱心なのは分かるがなあ。外が剥げるほどぶつけて、中身は無事だったのかよ、そん時さあ」  「知らん。中身は見ていないと言っただろう」  「てか、パヘムの奴はその状況でも、中身を確かめもせずに外に出て行ったのか? そんなに漏れそうだったのかよ」  「いや」  「いや?」  「見ていたはずだ。一度中を開けて、ああ、とか何か呟いて、外に出ていったからな」  「……。」 ネフェルカプタハは、ぽかんとして、男を見つめた。  それからチェティのほうを振り返る。相棒のほうも、同じ顔だ。  「え、中身を見てた? ――中身を? 本当に?」  「今更、嘘などつくものか。それは確かだ」  「それじゃ、その時には、神像はまだ在ったんだ――」 チェティは落ち着かない様子で、腕組みをしながら辺りをうろうろと歩き回った。  「ぶつけて、破損した? 破損させて、一時的に紛失したことにしようとした? ――いや、違うな。無くなったなんてことにしたら、そのほうが騒ぎが大きくなる。それに、…そうだ。カプタハ、像が無くなった報せを受けたあと、パヘムと話をしてるんだよね? 何か、誤魔化してる感じはあった?」   「あったかどうかで言えば、何か隠してる感じはあったな。けど、像が無くなったことは本当っぽかった。奴自身、うろたえまくってたしな」  「ってことは――無くなったこと自体は、予想外だったのか」 二人は、視線を見交わした。  「あの、ネブケドさん。もう一度、時系列を教えて欲しいんです」 今度は、チェティが尋ねる。  「あなたが仕事を始めようと至聖所に入ったのが先。パヘムが祠堂を背負って戻ってきたのが後。そうですよね?」  「ああ。間違いない」  「で、パヘムはまず祠堂を開けて、中身を確かめてから外へ出ていった。その後は、それなりに長い時間、不在だったんですよね」  「ああ、そうだ。で、仕事を始めてしばらくしたら、奴が戻ってきて、神像を元に戻す手続きがあるから外に出ろと言われて、文句言っても始まらんから、一度、仕事道具を片付けて外に出た。で、そのあとしばらくして騒ぎが起きたんだ。騒ぎの後は、もう小神殿に入るなと言われたから大人しく帰ったさ」  「その指示は、俺が出したんだ。てか、あん時、あんた、まだ近くにいたのかよ…。くそ、話が聞けてりゃなあ」 もし話を聞けていれば、パヘムの嘘にも気づけたかもしれない。  ただ、あの時点では、隠しごとが一つではなかったとは、気づけなかったかもしれないのだが。  「どう思う、チェティ」  「隠し事の一つは、神像の破損だろうね」 と、チェティ。  「木製だったんだろ? 被り物が取れたとかなら、くっつければ隠せるよね」  「あー、確かに。ネフェルテム神は、頭に水連の花、乗っけてるからなあ。そこは後付けで作るし、取れやすい」  「で、そのための道具か何かを取りに行ってたんだと思うよ。それで戻ってきたら、直す予定だった神像が無くなってたんだ。」  「いや、けど、祠堂は閉じられてたはずだし…」  「ネブケドさん、あなたはパヘムと入れ替わりで至聖所から出たんでしょう? 外に出てから、騒ぎが起きるまで、どのくらい時間があったんですか」  「時間なあ。さて…わしが、聖牛の社まで行って、牛を眺めて戻ってくるくらいの時間は、たっぷりあったな」  「それって…」 小神殿の裏口から聖牛のところまで、距離はそれほど無いとはいえ、「すぐ」とは言えないほどの間が開いている。  その間、パヘムは神像が無くなったことに気づいていなかったのだ。だとすれば、聖域の中で一体、一人で何をしていた?  神像が消えた場所も時間帯もはっきりしたのに、何かまだ、視界には、靄のようなものがかかっている。  絵師の男も無関係なら、次の男に事情を尋ねるしかない。  「話は、それだけか」  「ああ。もう帰っていい。祠堂の修復については、今回は不問にしてやるが、次からは誰かに許可取ってからにしてくれよな。仕事熱心なのは分かるが、頼んだ以外の仕事をされちゃ、困るんだ。あんただって、余計な疑いはかけられたくねぇだろ」  「…ちっ。確かにな。」 ネブケドは、頑強な体を揺すりながら立ち上がると、相変わらずの不機嫌そうな表情のまま、のそりと部屋を出ていった。  後に残った二人は、やれやれという顔になった。  「パヘムめ…。調べれば調べるほど、ろくでもない事実しか出て来ねーじゃねーか。どうなってんだ」  「君以上の不良神官だね。いや、不良っていうか、悪気なく失敗するっていうか…エムハトみたいな」  「エムハトのほうがまだ、マシだったぞ。あいつなら、どんな失敗したって隠そうなんてせずに、わんわん泣きながらバカ正直に謝る。その点では、信頼できる」  「…そうか。確かにね。」  「大事なところで嘘や誤摩化しはあり得ねえ。ましてや、神像の破損なんてのは」 ネフェルカプタハは、珍しく本気で憤っているようにも見えた。  「おら、次いくぞ、次。こんな仕事、とっとと終わらせようぜ」  「そうだね」 隣の部屋には、身元の分かっている最後の容疑者、船乗りのティホルが待っているはずだ。  小神殿が閉まる前にお祈りに来た信者。騒ぎが起きた時に小神殿から逃げるように出ていく所を目撃された人物。  最後のこの人物が、神像の行方に繋がる何かを知っていれば、いいのだが。
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