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第5話 聞き込み開始
書庫の奥の筆写室に顔を出してみると、嬉しいことに、目的のジェフティだけでなく、チェティも来ていた。
以前は完璧すぎる兄が苦手で何かと距離をとっていたチェティだが、最近は苦手意識も消えたらしく、一緒に行動しているのを見るのも珍しくなくなった。
「お、何だよチェティ。こんなところで会えるとは思わなかったぞ」
「昨日は実家に泊まってて、出かけようとした時に兄上のところに神殿から事件の報せが来たんだ。それで、気になって」
ということは、誰かがジェフティの家に伝令役を走らせたのだろう。おそらく、大神官の指示だ。神殿内で起きる厄介な問題は、他の誰でもなく、信頼の厚い筆頭書記の彼に、真っ先にお声がかかるのだ。
「移民が関わっているという話でしたよね。これから、件の依頼人のところへも、話を聞きに行くつもりなんでしょう?」
と、ジェフティ。
「ああ、そのつもりだ」
「それなら、うちの弟も一緒に行かせてやってください。下流の州から押し出されてきた移民を、この州の耕作地にどう繋ぎ止めるかの案が思い浮かばなくて困っているらしいので。実際に移民の話を聞いてみたほうが、要望しているものが分かるでしょうから」
「なるほど」
ということは、昨日、チェティは新しい政策の件を兄にも一応は相談したのだ。そして、彼自身が予測していたように、兄の協力は得られなかった、というわけだ。
ネフェルカプタハの察したような顔に気づいて、チェティは、苦笑いしながら小さく首を振った。
「こういうのは、自分の頭で考えないと駄目らしいよ」
「そう、私が案を出して仮に巧くいったとしても、それは君の成長には繋がらないからね。で、それはそれとして、神殿の事件のほうだ。ネフェルカプタハ様、神官が一人、亡くなったそうですね?」
「おっと、そうだった。パヘムっていう奴なんだが――」
ネフェルカプタハは、事件のあらましをもう一度、彼の口から繰り返した。
昨日、パヘムから聞いた内容と、彼の死体のところで見つけた興味な手がかりについても。
聞き終えたジェフティは、ネフェルカプタハの差し出した毛糸のような切れ端をじっと見つめていたあと、しばらく考え込んでいた。
「――なるほど。その移民たちは、羊を連れて来ていたのですよね」
「ああ。らしい。って、まさか、その毛糸、そいつらに関係が?」
「いえ。おそらく逆です」
「”逆”?」
「移民たちのところで話を聞いて、羊の種類を確認してみてください。その後、その断片を街の織物屋で鑑定してもらうといいでしょう。私の予想が正しければ、面白い結果が返ってくるはずです」
ジェフティは、何故かもったいぶった言い回しで思わせぶりなことを言う。先入観を持たせないためなのか、二人に調べさせることで自分が間違っていなかったことを確かめたいのか、あるいは、その両方なのか。
「聞き込みをしていただいている間、私のほうは、神像の消失事件について、祠堂に触れた可能性のある容疑者を特定しておきましょう。」
「容疑者って、…依頼主の移民と、神殿の壁の修復をしてた絵師だけじゃねぇのか」
「まだ居ますよ。パヘムから聞き取りされた内容からするに、理髪店で目を離していた時間に店内に居た者、祠堂が小神殿に置かれている間に出入りした者…他にも、不審な目撃情報があれば全て洗います。」
「なるほど、祠堂に触れた可能性のある奴を全員、ってことか」
「そう。ですから、まずは最も疑わしい移民たちへの聞き取りから、お願いいたします。大神官様には、私からその旨をお伝えしておきましょう」
「……。」
普段ならジェフティも、あまり余計な首を突っ込むなと諫める側なのに、今回はいやに協力的だ。それが妙に引っかかる。
(神殿内で人が死んで、とっとと幕引きをしたい…ってことなのか? いや、違うな。さっき羊毛を見せた時に、何か気づいているふうだった。ジェフティさんなら最短距離で犯人にたどり着けるはずなのに、わざわざ俺たちにやらせるのは…。)
ネフェルカプタハは、隣の相棒のほうを、ちらと見やった。
弟の仕事のためか。
それとも、たただ犯人を見つけるだけでは解決しない、自分たちでなければ巧く行かない要素があることに気づいているのか――。
そう、ただ問題を解決するだけでは、取りこぼされる人々がいるのだ。
ただ関わっただけ、すれ違っただけ。そういった人々の問題にも、お節介にも片っ端から首を突っ込んでは、本筋と異なるところで”人助け”をしたがるのが、チェティの性質、持って回った役回りなのだった。
兎も角、今回は大っぴらに動けるのだ。まずは、指示された移民のところへ行ってみるしかない。
「カプタハ、移民の居る場所は分かるの」
「ああ、パヘムは北の岩窟墓に住んでるっつってた。なら、場所の見当はつく」
「岩窟墓? 墓に住んでるんだ」
「家が無ぇからな。連中は川の下流、北の方からやって来てるんだし、最初に辿り着いた住めそうな場所に住み着いてるんだろうよ」
「なるほど。」
メンフィスの街の周囲には、大昔の王たちの立派な墓と、その周囲を取り巻く無数の、貴族と庶民たちの墓がある。岩を積み上げて作った人工の丘を墓にしているものも、地面を縦に掘り込んで作られた墓もあれば、岩壁に横穴を掘り込んで作られた墓もあるのだ。
北西の方角には、大昔に盗掘されて空っぽになっているような岩窟墓が、幾つかはあった記憶がある。ぽっかりと暗い口を崖に開けて、地元民が暑い日に涼みに入ったり、にわか雨の時に雨宿りに使ったりしていたはずだ。
「で、お前は、自分の仕事のほうはいいのかよ」
「執政官殿に言いつけられた役目のほうが優先だからね。政策案を考えるために移民の視察に行く、ってことにしておけば仕事の一部にはなるから」
「ふーん…そういうもんなのか。役人の仕事っての、案外、融通が利くんだな」
「融通が利くようになったんだよ。というより、融通を利かせて普通じゃないことをやらないと、認めて貰えないんだ。今は」
チェティは、そう言って悲しそうに笑う。
「座って、ただみんなと同じ仕事をしているだけじゃあ足りない、って言われたからね。まあ、今まで楽に仕事をしてたのがバレただけなんだけど。」
「あー…お前、仕事が簡単で退屈、とか余裕かましてたもんなあ。まあ、いいんじゃねえか。そういうことなら」
「良くないよ。お陰でこっちはイッパイイッパイなんだからさ。だけど、一つ良いことが聞けたよ。移民には家がないんだよね。…ってことは、家を建ててあげれば、州の耕作地に定着させられるかもしれないな」
「ああ、それを政策案にするってことか」
「うん。実際に会いに行けば、もっと何か思いつくかも」
昨日の追い詰められたような顔とは違い、今日のチェティは、ずいぶんと朗らかな表情になっている。
多分、この調査は仕事に煮詰まっている彼にとっての、いい気晴らしにもなることなのだ。
ネフェルカプタハは、思わずにやりとした。
(ジェフティさん、冷たそうに見えて何だかんだ弟には甘いんだよなぁ。…ま、そういうことなら、遠慮なく、こいつの知恵を使わせてもらうとすっか。)
どうせ、言い訳の下手なチェティのかわりに、今日一日使える口実を代わりに考えてやるくらいはしたのだろう。
相変わらず、遠回しで分かりづらい気遣いの仕方なのだ。もっとも、ジェフティ本人にとっては、それが普通のつもりなのかもしれないが。
二人は並んで、神殿の北口を抜けて街の郊外へ向かって歩いていく。目的地は、パヘムが昨日訪れたはずの、移民たちの住んでいる古い墓地だ。
「ところで、消えた神像って、どのくらいの大きさ? 神殿にある神像って見たことがないけど、材質は、石だよね。」
チェティが尋ねる。
神像のある至聖所は神の私室のような場所で、普段は高位神官しか立ち入りできないことになっているから、神官ですら、実際に目にしたことある者は限られている。
「あー、神殿に据え置きのほうは石なんだが、持ち出すやつは木製で軽い。この街で作られた品だ。」
「見た目は? 金装飾なんかは使われてるの」
「いや。彩色されてはいるが、金は使われていないな。」
「それじゃ、どうして盗んだりしたんだろうね。高く売れる品…ってわけでもなさそうだし」
そう、まさに、そこが問題なのだった。――盗むにしろ、隠すにしろ、理由がさっぱりわからない。
「嫌がらせか、もしかしたら、何かご利益が欲しくてやったのかと思ってたんだ。小神像を持ち出す時は、本体の神像から力の一部を移して持ち運ぶ。そのために神官が祈祷して、神精を移したり、戻したりする手続きがある。力の宿ってる像なら、ありがたがる奴はいるかもしれないな」
「それだと、犯人は信者ってことになるね」
「だな。もし、理由がそれなら、だが」
「ふうん…。てことは、売り飛ばしたり、装飾品を剥いだりしそうにはないな。外見は? 普通のネフェルテム神なの」
「ああ。取り立てて、珍しいところはないな。頭の上に睡蓮の花を咲かせて羽根を持ってる、立像だ」
神の姿は決まっていて、神殿の壁面にも描かれているから誰でも知っている。
冥界神であるプタハの像は決して日の当たる場所には描かれないが、ネフェルテム神の姿なら、小神殿の、川に面した目立つ場所にも大きく描かれていて、街の外から来る人々にもよく見える。
「なら、見た人にはすぐ分かるんじゃないかな。神像が行方不明っていう噂は、もう、街に広まっているだろうし。」
彼は、ちらと通りのほうを見やった。
今日は、やけに兵士の数が多く見える。普段は大神殿の敷地内と、外周壁の辺りだけを警備している大神殿づきの衛兵たちが、街中に目を光らせて巡回しているせいだ。時々、立ち止まって州兵たちとも会話しているところからして、神像が無くなった話を共有しているのかもしれない。
「これだけ警戒しているんだ。もう街から持ち出されてる、とかじゃなければ、持ち出すのも難しいだろうね。きっとすぐに見つかるよ」
「楽観的だな。なら、俺たちは何もしなくてもいいってことじゃないか」
「違うよ、像だけ見つかったとしても、全て解決にはならないだろ? ぼくらは、誰がどうして像を持ち出したのかを調べなきゃならないんだよ。それと…」
チェティは、少し声の調子を落とした。
「…神官の不慮の死が、その件と繋がっているのかどうかも突き止めないと。」
「ああ、――そうか。確かに」
もし神像を持ち出した誰かが、パヘムの死にも関わっていたのなら、たとえ神像が無事に見つかったとしても解決にはならないのだ。
「ったく…、何でこんな面倒なことになっちまったんだ」
ネフェルカプタハは、ぼやきながら、北西の郊外に向かって足を動かし続けていた。
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