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第6話 墓所に住む人々
いつしか街は背後に遠ざかり、水に覆われた耕作地も途切れていた。行く手には、赤茶けて乾いた不毛の土地に、石積みや、四角く区切られた石の区画が点在している。
この辺りは、古くからの墓所なのだ。迂闊に掘り返せば、いつかの時代の誰かの墓にたどり着く。最近使われているところはもう少し先にあるが、そこでも、たまに新しい墓を掘っている時に、古い墓が地下でぶつかってしまうことはある。
二人の向かっている場所は、その墓地のいちばん西側、沙漠の端に崖が切り立っている場所だった。
「人がいるね」
と、チェティ。
羊を放牧しながら出歩いている女性が見える。川べりに住んでいる住民は、こんなところまでは滅多に来ないはずだ。
「多分、あれが移民だな。行ってみようぜ」
ネフェルカプタハは、履物で埃を蹴上げながら女性に向かって歩き出した。
「おーい、そこの人。あんた、この辺りの岩窟墓に住んでる移民か?」
「……?!」
女性は、怯えたような顔になって、誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回した。それから、急ぎ足で崖の方に向かって遠ざかってゆく。
「カプタハ、怖がってるよ。逃げていっちゃう」
「いや、んなこと言われてもさあ。これで逃げるんなら、近づいてから声かけても一緒だろ?」
牧人が怯えているのに気づいて、羊たちがメエメエうるさく声を上げている。
チェティは、羊の毛並みをじっと見つめた。よく見かける種類の羊で、特に変わったところはない。角は横に大きく張り出し、毛はごわっとして硬い。
「兄上は、羊の種類を確認しろって言ってたけど…。あの毛織物の羊かどうかは、見ただけじゃ判らないな」
「おい、チェティ。それより、あれ、あれ。」
「え?」
ネフェルカプタハが、行く手の岩窟墓のほうを指している。
顔を上げると、崖に一列に掘られた古い墓の入り口と、そこに掲げられた色とりどりの毛織物が見て取れた。布を、住居の扉代わりにしているのだ。そして、横穴になった墓の中からは、煮炊きしているらしい煙が細く立ち上っている。
「ああ…。マジで墓ん中に住んでるじゃん…。」
ネフェルカプタハは、頭を抱えている。
「持ち主いねえっつってもさあ…。絶対、元は誰かの墓だったとこだぜ? 困るんだが…。」
「出て言ってもらうしかないね。家を建ててから」
「くそー、しかもここ、墓地の側だぞ。神殿の土地じゃねぇから管理して無かったけどさ。おいチェティ、こういうの、州兵の管理するとこじゃねぇのか」
じろりと睨まれて、チェティは、思わず視線を泳がせた。
「えーっと…そうかも。執政官殿に進言はしておくよ」
「お前の二番目の兄貴にも文句言っといてくれ。万が一、墓荒らしなんかが起きた日にゃ、正式に抗議すっからなって」
「…うん」
冥界神に仕えるだけあって、ネフェルカプタハは墓所の取り扱いに厳しいのだ。いかなる場合でも、死者の尊厳と、墓の神聖さは守られねばならない。それが、彼らの信条でもあった。
「で、それはそれとして、話を聞きに行くぞ」
近づいていく二人の行く手には、さっきの女性が呼んだらしい大柄な男たちが、睨むようにして崖の麓に立っている。どうやら、あまり友好的な雰囲気では無さそうだ。
「おい、ジェデトの街から来た移民って、あんたらのことか」
「…そうだが?」
先頭に立つ、代表者らしい男が刺々しい声で答える。
「神官が、役人なんて連れて来て、わしらを追い出すつもりか」
「え? 追い出す?」
チェティは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「あ、もしかして、墓を不法占拠してるから…ってことですか」
「違うのか」
「違いますよ。ぼくは、下流の州から押し出されてきた移民の人たちには、耕作地に割り当て定着させるように言われてるんです。家が無いのは分かりました。住まいを準備すれば、耕作地のほうに移っていただけますよね?」
「…それは、…やぶさかではない、が。」
想像していた正反対の申し出に、男はうろたえ、仲間たちのほうを振り返って。何やらひそひそと囁き合う。
それから、チェティのほうを振り返って言った。
「見ての通り、わしらは羊飼いなんだ。耕作地よりは牧草地が欲しい」
「そうだ。ここらじゃ草を食わせられるところが少ない」
「それに、よそ者扱いで肩身が狭いんだ。羊が庭先の草を食ったくらいで嫌がるし…。」
彼らは、堰を切ったように口々に要望を述べ立てた。
「畑で勝手に草を食べさせると、たしかに揉め事の原因になりそうですね。州の管理している牧草地のほうに移っていただくほうがいいかもしれません。羊は、何頭くらいいるんですか」
「今ここにいるのが二十。谷の奥のほうに放牧に出してるのが三十だ」
「皆さんの人数は?」
「ここにいるのは、十二人。」
「子供と老人を除いた人数は?」
「ええと…子供は、二人。年寄は…年寄りも、二人だな。あとは成人だ」
「では、残り八人ですね」
チェティは、かばんから取り出した書き物用の裏紙に、さらさらと数を書き留めていく。
「うーん、なるほど。…待遇については、検討してみます」
「それだけか」
「あ、いえ。ぼくは付き添いみたいなもので、どっちかっていうと、こっちの連れの用件のほうが本題です」
と、彼はネフェルカプタハのほうに会話の主導権を譲った。
今度は彼のほうが尋ねる番だ。
「昨日ここに、うちの…じゃない、メンフィス大神殿の神官が来たはずだ。ネフェルテム神の神像を、祠堂に入れて運んできた」
「ああ、センヌウィんとこの親父さんの祈祷のために連れてきたってやつだな」
「センヌウィってのが、亡くなった患者の娘さんか?」
「そうだ。家族はその娘一人で、街から逃げるのに親父さんだけ置いていけないからってんで、わしら皆で小舟に乗せて、ここまで運んだんだよ。けど、神官が来て祈祷したら、安心したんだか、そのまんま死んじまった」
男の口調には、仲間の死を悼む響きとともに、どこか、ほっとしたような雰囲気も感じ取れた。
無理もない。子供と老人も抱え、これからどう生きていけばいいのかも判らない不安の中で、自力で歩けないような症状の仲間を抱えて生活するのは、精神的にも辛いものだったはずだ。
「死んで、すぐに葬式をしたって聞いたんだが。」
「ああ、仲間は全員、ここにいるから、親族を呼び集める手間も無いしな。それに、こんなところで一日だって死体を置いとけないだろう。すぐに蛆が湧いちまうよ」
「確かにな」
西の墓所は、涼しい風の吹く川べりを離れて緑地も近くに無いせいか、実際よりも暑く感じられる。岩陰に入れば、多少ひんやりとはしているものの、死者を一晩寝かておくには躊躇する気候だ。
「どこに埋めたんだ?」
「すぐ、そこだよ」
男は、本当に直ぐ側の、住まいにしている崖の墓穴の並びにある一つの穴を指さした。どうやら、崖に掘り込まれた使われていない墓穴のうち、一番端のものを墓地に使ったらしい。
「ああ…。うん、いや、ここ、今は使われていないが、昔は誰かの墓でな…。元の持ち主も、いたはずなんだが」
「今は空っぽだ、いつかの時代に盗掘されたんだろう。仕方なかったんだ、こっちは穴を掘る道具も持ってないんでなあ。ちょうど、中に穴が掘られてたとこがあったから、そこに寝かせて、皆で砂を運んで」
「うん、うん。あー…後日、改葬させてくれ。正規の共同墓地があるんだ。そっちに収めるのが正しい手続きだから」
「昨日来た神官は、そんなこと言わなかったぞ」
「あいつは、葬儀のやり方くらいは知ってても、実際に取り仕切ったことはないんだよ。葬儀を担当するのは、ネフェルテム神の神官じゃなくて、俺みたいな冥界神プタハの神官。本来はな。まあ、そんなことはどうでもいいんだが…」
ネフェルカプタハは、少し離れたところに立って、さっきからこちらを見つめている若い娘のほうに視線をやった。
二日ほど前、大神殿で迷っていたところをネフェルテム神の小神殿まで案内した、あの娘だ。向こうは顔を覚えていないかもしれないが、ネフェルカプタハのほうは、しっかりと覚えている。
「あんたが、センヌウィか?」
声をかけると、娘は、びくっ、となったあと、小さく、こくりと頷いた。何故か、酷く怯えている。
ネフェルカプタハは、娘のほうに近づいていく。
「昨日、ここへ来たパヘムって神官のことで、ちょいと聞きたいことがあるんだ。」
「は、はい…何でしょうか」
「あんたの親父さんに祈祷して、そのあと、昼飯を一緒に食べたと聞いている。それは、合ってるか?」
「…ええ。お礼が何も出来ないので、うちで飼ってた子羊を一頭潰してもらって、振る舞いました」
「やったのは、俺だ。頼まれて、祈祷の間に準備したんだよ」
近くにいた男が言い添える。
「昼飯は、ここに居る皆一緒に食べたのか」
「いえ…男の人たちだけです。女子供が同席するものじゃないでしょ」
「じゃあその間、あんたは、どこにいた?」
「!」
娘は、不自然なくらい肩を震わせて、青ざめた顔を伏せた。
「…父の、そばです」
(ん…? 何で、そんなに言い淀む)
ネフェルテム神を信奉していないはずの移民にとって、神像は何も価値を持たない品だと思っていた。なのに、まさか、彼女が神像を盗んだ犯人だとでも言うのか?
ネフェルカプタハは、次に何を聞けばいいのか、切り出し方に困って、ちら、とチェティのほうを見やる。
彼は相棒の言いたいことを汲み取って、代わりに、やんわりとした口調で当たり障りのない質問をする。
「それじゃあ、お父さんの異変に気づいたのは、君だったんだね」
「…はい。」
「その時、神官が持ってきた祠堂は、お父さんの側に?」
「ありました」
「祠堂を開けたり、触ったりは?」
「えっ? いえ、…そんなことは。だって、神像って勝手に見てはいけないものでしょ?」
チェティは、首を傾げてネフェルカプタハと視線を交わした。
どうやら、彼女が言い淀んでいたのは、神像のことが原因ではないようだ。
だとしたら、他にどんな後ろめたいことがある?
「――実はな、その祠堂の中にあったはずの神像が、まだ神殿に戻って来てねぇんだ」
と、ネフェルカプタハ。
「でも、あの祠堂は、神官さんが持って帰ったはずでしょう」
「そうなんだ。どっか、途中で空っぽになっちまったらしい。で、パヘムがどこで何をしてたのか、足取りを辿ってる最中なんだよ。あんた、何か気づいたことは無ぇか? 葬式の間に祠堂を開けたとか、ここを出る時にどこかへ寄ると言ってたとか」
「いえ…そんなことは。ね、何も聞いてないですよね」
「ああ。葬式して、ここを出たのは夕方近くなってからだし、まっすぐ帰ったんだと思ってたんだが」
側に居た他の男たちも、同様に頷く。
時間の証言も、本人の言っていたことと一致する。ということは、やはりパヘムは、ここを出たあと、多少の寄り道はあったものの、まっすぐに大神殿まで戻ったのだ。
ネフェルカプタハたちの表情を不安そうに見やって、娘は、恐る恐る尋ねた。
「あの…。どうして、そんなことをわざわざ、尋ねに来たんですか? もしかして、神像はまだ、見つかってないんですか」
「そうなんだ。で、何があったか本人に尋ねようにも、ちと、無理になっちまってな」
「無理? どうしてですか」
「今朝、そのパヘムって神官が、敷地内で死んでるのが見つかったんだよ」
「え?!」
娘は素っ頓狂な声を上げて、口元に手をやった。横で聞いていた男たちも、同様だ。
「死んだ、って。昨日の、葬式してくれた神官さんが?」
「まだ若かったし、元気そうだったぞ。何でまた、そんなことに」
「んー、詳しくは言えねえんだが、普通の死に方じゃなかったのは確かだな。神像が無くなっちまったことと関係があるかもしれねぇんで、急ぎで、あれこれ調べてるんだ。まあ、あんたらは無関係っぽいし、あいつの足取りが分かっただけでも助かるよ。それじゃ、俺たちは、こっから街までパヘムの足取りを追ってみることにするから」
「……。」
何とも言えない、後味の悪い雰囲気が漂っている。
だが、隠したところで、既に噂は広まっているのだ。神像が行方不明になっていることも、神殿内で神官が一人、不審な死に方をしたことも。全て明かした上で、彼らの反応を確かめたかったのだ。
そして、分かったことがある。
尋常ではない焦りっぷりをしていたのは、神官を呼びに来た娘、センヌウィただ一人だった。
神像が行方不明になっていたこと自体は知らなかったが、昼食の最中に父親と祠堂の側にいたことについて聞いた時は、やけに警戒したような顔つきになっていた。そして、神官が死んだと聞いた時は、ほとんど倒れそうな顔色になっていた。
――彼女は何か、仲間たちも知らないことを隠している。
だが、神像の紛失に関係ないことだとすれば、いったい、何を隠しているのだろう?
移民たちの仮住まいを十分離れたところで、チェティが疑問を口にした。
「そもそも、あの人はどうして、ネフェルテム神の神官を呼んだんだろう。薬学の神だから、って言っても、今まで一度も拝みに行ったことのないような神様の神官に、祈祷を頼んだりする?」
「うーん…。どうなんだろうな。街の人に教えられた、とか言ってたから、誰かに勧められたのかもしれない」
「にしても、羊一頭潰して持て成しっていうのは、やりすぎな気がするよ。それって、君くらいの高位神官を呼んでくるときのお礼でしょ? パヘムが要求したわけでもなさそうだし、相場を知らないにしてもさ」
「他に財産が無いから、ってのはあったかもしれねぇが…。まあ、確かに、羊毛だけ寄進とかってのも、アリだろうしな」
そういえば、さっき見た移民たちの連れていた羊は、角がほぼ水平に横に張り出している、古風な羊たちばかりだった。この国で昔から飼われている家畜。何の変哲もない種類だ。
ジェフティは、移民たちの連れている羊の種類を見てこいと言っていたが、取り立てて見るべきものは無かったように思う。
「あの子が何か隠してるのは確かだが、神像の行方には関係なさそうだし、とりあえず今は置いとこうぜ。それより、次は街に戻って、例のパヘムが握ってた切れ端を織物屋で鑑定してもらわないと」
「…うん、そうだね。カプタハ、切れ端はちゃんと持ってる?」
「当たり前だろ。失くしたりするかよ」
ネフェルカプタハは、笑いながら小さな荷物入れを叩いてみせた。頷いたあと、チェティは考え事をするような顔つきになっていった。
会話は、そこで途切れた。
街を目指して歩きながら、チェティは言葉少なで、何か、さっきの娘の言動について、ずっと考え込んでいる様子だった。
やがて、街が目の前まで近づいてきたところで、彼はふと口を開き、意外な言葉を口にした。
「カプタハ、墓所って冥界神の守護下にある施設だよね。もし、あのセンヌウィって人が罪を犯していた場合、州と大神殿、どちらの法廷の管轄になるんだろう?」
「――は?」
ネフェルカプタハは、思わず、隣を歩く相棒の顔を見やった。
「あの娘が、何かやらかしてるっていうのか?」
「…確信は持てないけど、多分。あ、無くなった神像のことでも、神官の不審死でもないよ。他の件だ」
「他、って。他に何か、事件なんてあったっけか?」
「うん…まあ。急ぐ話でもないし、糾弾するつもりもない。ただ、このままにはしておけないと思っただけだ」
妙に歯切れ悪く言って、それきり、チェティは口を閉ざしてしまった。
ちょうど、街の郊外に差し掛かるところだ。街並みの向こうには、大神殿を取り囲む高い壁が、今日も、色鮮やかに燦然と輝いて見えた。
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