第7話 職人街の噂

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第7話 職人街の噂

 目的地の織物屋は、メンフィスの街の西側、職人街の一角にある。「織機通り」という名前の通りで、そこでは、いつも機織りの音が響いている。   手近な店を覗いてみると、二人の女性が床に四本の杭を打ち込んだ水平機織り機を挟んで腰を下ろし、慣れた手付きで亜麻布を織り上げているのが見えた。縦糸は一本ずつ交互に端の棒に通されていて、棒が上下に動かされるたびに、その間を、横糸を結びつけた平らな櫛が往復してゆく。パタン、シュッシュッ、パタン。  その傍らには、水にさらして繊維を分解した亜麻から取り出した繊維を撚り合わせた糸が、糸巻きに巻きつけられて山のように積み上げられている。  糸はすべて無地だ。この国の織物は、染料を使って糸を染め付けることはしない。白い色は川べりに多い蚊を寄せ付けないし、何より、清潔さがひと目で分かる。ひんぱんに洗濯する布に色をつけても意味はない、というのが、大多数の意見だった。  だが今回は、亜麻布に用はない。探しているのは、毛織物の知識のありそうな職人だ。  「すいません、この辺りで羊毛の織物に詳しい人はいませんか?」 チェティが声をかけると、立ったまま糸を撚っていた男が手を止めて、汗を拭いながら視線を上げた。  「羊毛だって? この暑いのに、毛織物でも欲しいのかい」  「違います。事情があって、手持ちの織物について鑑定をしてほしいんです」  「鑑定…って。神官連れて、お役人が?」 男は、興味を引かれたようだった。  「もしかして、神殿で祟り殺された神官の件と関係あんのかい」  「祟り殺された…? 何でまた、そんな話に」  「違うのかい。ネフェルテム神の神像が消えて、持ち出してた神官がその神殿で冷たくなって発見されたんだろう。神像を無事にお戻しできなかった神罰で冥界に呼ばれたんだって、噂になってたぜ」  「……。」 チェティは、険しい顔つきになった。  「違いますよ。それとこれとは、話が別です。ご存知ないなら、別の人に聞きますから」  「あー、すまんすまん。気を悪くせんでくれ。毛織物の店なら、ほれ。斜め向かいだよ」 男が指さしたのは、羊や山羊の皮を積み上げた店だった。どうやら、毛の方を織物に加工するだけでなく、皮の方も加工するための材料として売りに出しているらしい。  「ありがとうございます。」 一応、礼を言ってから、そちらの店の入り口に立った。  「すいません。毛織物について教えていただきたいことがあるんですが」 声をかけると、店の奥から、目をしょぼしょぼさせた中年の男が出てきた。  「ん? 何だい、お役人さんがどうしたんです」  「見ていただきたいものが、あるんです。カプタハ、出して」  「おう。これだ」 ネフェルカプタハが、断片のような赤い切れ端を取り出して、男の手の上に乗せた。  「こいつが、どういう織物で、どっから来たかの手がかりが無いかと思ってな。」  「こんな切れ端で…いや。ほう、これは」  「え、何か分かるんですか」 絡まり合う毛糸を太陽の光にかざして、男は、面白そうな顔つきになっていた。  「こいつは、東の異国人の良く着てるやつですな。羊毛の種類が違うんですぐ分かる。この羊は角が小さいんですよ。下流の方じゃけっこう飼われてるんですが、ここいらにはまだ、あんまり入ってきていないですな」  「種類が、違う――?」  「そう、角が…ちょっとお待ちを」 店の奥に引っ込んでいった男は、しばらくして、くるりと巻いた角を掴んで戻ってきた。  「こういう角をした羊です」  「あー、船着き場で何度か見たことがあるな。やけに角が小さいと思ってた。種類違うのか、あれ」  「そう。こっちのほうが織物向きの毛が取れるんです。で、織り目も細かく出来る。ほら、この切れっ端は薄くて目が細かいでしょう。こいつは東の国境の先に住んでる連中が着てるような品ですな」  「国境の先…異国人…。」 チェティとネフェルカプタハは、顔を見合わせた。  ということは、パヘムが最後に会ったのが異国人だったか、異国の毛織物をどこかに隠し持っていたか。  どちらも考えにくいが、少なくとも、一つの手がかりは見つかった。ジェフティが確かめたかったのも、きっと、このことに違いない。  「ありがとう、助かったよ」   「で、神官さんがこれを持ってきたってことは、例の、祟りで死んだ神官さんの件ですかい?」 毛織物職人の男も、やっぱり、同じことを口にする。  「また、その噂…。何で”祟り”なんて話になったんだ」  「いやあ、だって、死人が出たんでしょう。大神殿の兵士たちが、必死で街なか捜索してますからねえ。虱潰しですよ、このへんまで、何か知ってる者はいないかって聞き込みにきてましたからね」  「……。」 チェティは何かに気づいたような顔をしながら、黙っている。  「神像を持ち出した奴はきっと今頃、怯えてますよ。次に祟り殺されるのは自分だって分かってるんですからね。」  「あーまあ、ネフェルテム神は戦女神の息子だし、ちょいと苛烈なところもある御方だが…出来心で小神像をかどわかしたくらいで、流石に、二人も殺すことは無いんじゃねえか? いや、俺の仕えてるお方じゃないから、そのへんの加減は分からねえけどさ」  「でも、そういう噂が流れてる、ってことですよね」 と、チェティ。  「神像の行方を知ってる人がどうすればいいか、噂で何か、言われてましたか?」  「うーん、特に噂では聞いていないが、とにかく早く神像を戻すしか無いんじゃないかね。目立つところにでも置いといて、誰かに戻してもらう、とか」  「…なるほど。誰でも思いつきそうなことですね。お話を聞かせてくれて、ありがとうございます。では」 男に礼を言って、チェティは、そそくさとその場を離れた。  好奇心の目が痛い。自分たちが聞き込みに来たことも、すぐに噂として広まってしまうに違いない。  チェティは、通りを離れると、足早に大神殿のほうに向かって歩き出した。  「おい、どうしたんだ、チェティ。そんなに急いで」   「兄上のところへ報告に行く。…ここでは、何も話さないほうがいいかも。人が見ているから」  「人?」  「噂が広まってる。いや、多分これは、んだと思う」 チェティの後を追いながら、ネフェルカプタハは、街中をうろうろしている兵士のほうに視線をやった。朝と同じだ。相変わらず、普段より兵士が多く、そして警備が厳しい。  それとともに、通りを行き交う人々がひそひそと会話している姿も目に留まった。  神像、祟り――という単語が、切れ切れに耳に届いた。  (なるほど。噂、か) ネフェルカプタハにも、何となく、チェティの言わんとしていることが分かってきた。  死体が見つかったのは今朝だというのに、噂の広まり方が、あまりにも早すぎる。大神殿の兵士たちが、故意に広めたのでもない限り、こんな風に、皆が知るところにはならなかっただろう。  こんな指示を出す人物がいるとしたら、可能性があるのは、一人しかない。
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