14人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ
第8話 容疑者たち①
大神殿の門を潜り、ひとけの無い書庫の側までやって来たところで、チェティはようやく足を止め、一息ついた。
それかから、書庫の奥の筆写室を目指して、再び歩き出した。
「噂を広める指示を出したのは、ジェフティさんか」
「そのはず。確かめてみよう」
筆頭書記のジェフティは、期待したとおり、筆写室の自分の席に座って何かの書類を処理していた。
「失礼します」
チェティが声をかけると、彼は、視線だけを上げた。
「戻ったか。思ったより早かったね。それで? どうだった」
「移民たちの話を聞いてきました。パヘムに祈祷を依頼した娘は、何か別件でうしろめたいことを隠しているようではありましたが、神像の紛失には関係無さそうでした。」
「ほう。それから」
「例の織物については、鑑定してもらって、異国人のよく身に着けているものだと言われました。羊の種類が違うし、織り方も、この国のものではないと。――兄上が期待した答えも同じでしょうか」
「ああ。だろうは予想していたが、確認が取れて良かったよ」
「では、こちらからも一つ、確認させてください。『神官が祟りで死んだ』という噂を流させたのは、兄上ですよね?」
チェティは、じっと兄を見つめた。
「神像を返さなければ、祟りに合うかもしれない。そう犯人に思わせることで、ボロを出すことを期待したのかもしれませんが、さすがに『祟り』は、言いすぎだと思います。」
「ふむ。実際は祟りなどではないのだから、神々の名を汚すことにもなる、…と、言いたいわけだな。」
「はい」
真顔で頷く弟を見て、彼は、困ったように小さく首を振った。
「それは、後から付け足されたものだろうな。こちらで意図的に流した情報は、三点だけだ。『神像が消えた』、『その神像を運んだ神官が不慮の死を遂げた』、それと、『神殿外の第三者が関わっている可能性が高い』…。この三つの情報が人々の口を渡るうちに、いつしか『祟り』という、元々の噂に無かった概念と結びついたのだろうね」
「じゃあ、兄上が流した噂に尾ひれがついた、ってことですか?」
「そうなるな。もっとも、噂とは、流した時点で尾ひれがつくのは既定路線のようなものだ。人々の恐怖心を煽ることを、多少、期待しなかったわけでもない」
「……。」
弟の何か言いたげな表情を見て、ジェフティは、困ったような微笑みを浮かべたる
「チェティ。お前からすれば、こんなやり方は許せないかもしれない。だからこそ私がいるんだ。汚れ役は、私だけでいいからね」
「…いえ。兄上のやり方が、最短で必要な結果を生むことは、よく分かってますから。文句は言いません」
彼は、胸の突っかかりを振り払うようにきっぱりと言って、それきり、この話題を終わらせた。
「それで、次は誰に聞けば良いですか? パヘムが、移民の住む墓地から街までまっすぐ戻って来たことは確かです。だとすれば、神像が無くなったのは、おそらく、その後のはず。」
「そう。理髪店に寄って、身を清めてから小神殿に戻って用を足して、もう一度戻ってきた――その道順のどこか、ということになるね」
ジェフティのほうも、本題の話のほうへと移っていく。
「で、お前たちが出かけている間に、それぞれで聞き込みをさせて、容疑者を集めておいたよ」
「集め…え?」
「ちょうど、ここの隣の法廷の控室に待ってもらっている。私も多忙でね。軽く身元の聞き取りをした程度で、それ以上のことはまだ何も聞いていないんだ。お前で聞き込みをしてくれないか。これが、容疑者の名前の一覧だよ」
「えーと…。」
チェティは、何かを察したような顔になっていた。
「カプタハ、行こうか…。」
「え? おい待て。今すぐにか?」
「夕方のお勤めが始まるまで、時間無いでしょ。」
「終わったら、適当に解放するといい。もし怪しいと思う者が入れば、衛兵に身柄を確保するよう伝えてくれ」
ジェフティは既に、さきほどまで書き物をしていた書類のほうに視線を落としている。
(これは、丸投げだな…。)
二人は顔を見合わせて、どちらからともなく苦笑した。
ジェフティのことだ。おそらく、既に犯人の目星はついているのだろう。
にも関わらず二人に任せるということは、――そういうことなのだ。
大神殿の法廷、いわゆる神前法廷は、主神プタハの神像のある至聖所と背中合わせになるようにして作られている。そこへは、書庫を出れば、すぐ目の前の回廊で繋がっている。
控室というのは、普段、審理を待つ関係者を小分けにして待たせておくために使われる小部屋で、今回は、それぞれの部屋に一人ずつ、集められた容疑者が待っているらしかった。
「で? 一体、誰なんだ。ここにいるのは」
「最初は…理髪店で同席していた神殿の衛兵」
「衛兵? なんで兵士が剃髪してるんだよ、わざわざ神殿の横の店で」
「判らないよ。まず、それを聞くとところからじゃないかな」
控室の前には、兵士が一人、立っている。
「すいません、このウセルハトって兵士のいる部屋はどこですか」
「それでしたら、私の右手の部屋になります。」
「ありがとう」
二人は、揃って小部屋の中に入っていった。
座るための敷物が敷かれているだけの殺風景な部屋で、待合室という以上の意味合いは持たされていない、お世辞にも快適とは言いづらい場所だ。
そんな部屋の中に、兵士は、きちんと背筋を伸ばして胡座をかいて腰を下ろしていた。
ネフェルカプタハの顔を見ると、はっとしたように立ち上がる。
「お疲れ様です。すいません、わざわざ来ていただきまして」
「いや、こっちこそ待たせて済まなかったな。まあ座っててくれ。話を聞かせてもらいたいんだ」
「はい…」
ちら、と兵士の頭を見やる。
髪の毛は短く、肌に近い場所まで青白く見えるほどに剃り込まれ、散髪の際に塗り込まれた脂でつるつるして見える。剃りたてなのは間違いない。
質問は、ネフェルカプタハが始めた。相手が神殿の衛兵なら、そのほうが適任だろう。
「ウセルハト、あんた昨日の夕方に、パヘムと同じ時間帯に理髪店に居たそうだな」
「はい。名前は知りませんでしたが、大きな祠堂を抱えた神官が、汗を拭き拭きやって来たのは覚えています。少し酔ってるようでしたね」
「は? 酔ってた? 何でだよ」
「さあ…。葬儀に出た、と言っていたので、そこで振る舞われたんだとばかり」
「……。」
ネフェルカプタハは、眉を寄せた。
(さて、昼メシの焼肉以外にも、もてなしを受けていたんだな…?)
だとすると、「涼むために理髪店に寄った」というのは体の良い言い訳で、実際は酔い醒ましのためでもあったに違いない。おそらくは、葬儀の前か後にビールを振る舞われて、断りもせずに受け取ったのだ。
(まったく…。あいつめ、全部話して無かったのかよ…。)
彼は、思わず溜め息をつきそうになった。
既に冥界に旅立ってしまった者に対して今更言っても仕方ないのだが、昨日のあの状況で、まだ隠し事をしていたとは。
「で、その時間、他にお客は?」
「いませんでしたね。神官が優先の店なので、私は後回しになって、祠堂を眺めながら待っていました」
「何か、祠堂について気づいたことは? パヘムが漏らしたことでも何でもいい、覚えてることを教えてくれ」
「病人のところへ行ってきたとか、祠堂が重かったとかは話していた気がしますが、それ以上は特に。…私のほうも、葬式について考えることが多くて頭がいっぱいで、あまりよく見ていなかったんです」
「葬式? てことは、剃髪にいったのは、誰か死んだからなのか」
「はい、身内の…というか、最近付き合いはじめた人の身内というか…その。将来、身内になるかもしれなかった人が亡くなったらしいので、弔問に行くために剃ってたんです。それで、夜勤の当番を急遽、休ませてもらいました」
そう言って、兵士は悲しげな顔になった。
葬式に行くためにわざわざ身支度を整えていくとは、その相手とは、よほど真剣な交際なのかもしれない。それに、この兵士自体、おそらく、とても真面目な性格なのだ。誠実そうな人柄は、話していてもよく分かる。
「まだ、一度か二度しか話したことはなかったのですが、良い方でした。体の調子は随分悪そうでしたが、頭のほうは、はっきりされていたのです。まさか、こんなに早く亡くなってしまうなんて。」
「ふうん、そいつはお気の毒に。で、葬儀に出席したのか」
「いえ、それが…出かけた時は既に、葬儀は終わっていました。まあ、私はまだ正式な身内ではないですし、報せが来たのが遅かったのでしょう」
「あのう、夜勤を代わってもらった、って言ってましたよね?」
チェティが、横から口を挟んだ。
「ということは、本当なら、あなたは昨日の夜の夜勤だった、ってことなんですか」
「ええ、はい。そうなんです。それで、夜にあの神官さんが亡くなったそうじゃないですか。直前に当番を変わってもらえる人が居なくて、一人少なかったりしたから、…何だか責任を感じてしまって」
ウセルハトは、そう言ってしょんぼりと俯いた。
昨夜は、夜警がひとり、少なかった――。
それだけで警備に大きな穴が空くとも思えなかったが、もしかしたら、パヘムがこっそり小神殿に入り込むのを誰も見つけられなかった偶然は、その辺りにあるのかもしれない。
だとしたら、奇妙な巡り合わせだ。
「で、その神官は、頭を剃り終わったらすぐに出ていったのか」
「はい。祠堂を担いで、理髪店のすぐ脇の北門の方に。私はそのあと自分の番になって頭を剃ってもらいました。」
「…なるほど。」
兵士から聞き出せそうな情報は、これだけだ。
「チェティ、ちょっと」
ネフェルカプタハが、チェティを呼んで、肩を寄せて囁いた。
「こいつは無関係っぽいよな? どう見ても真面目だし、ていうかこれから葬式に行こうっていう奴が、理髪店で盗みなんてしねぇだろ」
「そうだね。彼は帰してもいいと思う。」
振り返って、ネフェルカプタハは兵士に向かって言った。
「話を聞かせてくれて、ありがとう。助かったよ、もう帰っていい」
「はい。それでは失礼します」
兵士は立ち上がって、軽く頭を下げると、部屋を出ていった。
ネフェルカプタハはやれやれという顔で、チェティの手元の名簿に視線を落とした。
「これで一人目、と。これ全部、話聞いていかなきゃならねぇのかよ」
「一応ね。まあ、神像には無関係だとしても、パヘムの当日の足取りは辿れるんだから、良いじゃないか」
「…まあ、な。」
小さく溜め息をついて、ネフェルカプタハは、次の部屋のほうへと視線をやる。
「で? あと、何人いるんだっけ」
「三人かな。次の部屋に待っているのは、小神殿の壁画の修復をしていた老絵師、ネブケド。で、小神殿で礼拝をしていた船乗りのティホル。あとは……ん? あれ」
「どうしたんだ」
「……。」
しばし一覧を見つめていたチェティだったが、やがて、何かを察したような顔になって紙を丸めた。
「最後の一人は、ここにはいないらしい。」
「どういうことだ」
「まだ、見つかっていないんだよ。――最後の容疑者は、羊毛の毛織物を身に着けた異国人だ。」
彼は、目の前の部屋の扉を見やった。
「行こう。残り二人の話を聞いてみれば、最後の一人がどう関わるのかは、分かるはずだから」
「ああ、…そうだな」
まさか全員が、無関係ということはあり得ない。もしそうなら、ジェフティは、わざわざ身元の分かっている三人をここに留め置いたりはしなかったはずなのだ。
それとも、――実は彼にもまだ事件の全貌は分かっておらず、仮説の部分を埋めるために、自分たちの働きを必要としているのだろうか?
最初のコメントを投稿しよう!