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「お昼食べた?」
「んーと……どうだったかな?」
カタカタという機械的な音はスピードを落とすこともなく、一定のリズムを刻んでいたが、数秒後にいきなり無音になった。男が女のパソコンを閉じたようだ。
「出掛けてくる」
男はそう言い捨てると、足早に玄関へ向かった。俺を置いて。
「あ」
思い出したように声がして、ふたたび男が現れる。
「食べないでよ?」
男は俺を指差す。
内心どきりとした。
──おいおい、俺も連れていけよ。
俺は必死に前足で柵を掻いたが、そんな抵抗も虚しく扉は閉められ、部屋から男の気配が消えた。
終始恨めしそうに男を睨んでいた女の瞳が、恨めしさを保ったまま俺に向く。遠い昔、キツネに睨まれたであろう先祖の記憶が駆け巡る。俺はシューシューと鳴きながら、背中の針を相手に向けた。すると、どういうことだろうか。女は怯むどころか、こちらに近付いてきた。
「シューッ! シューッ!」
甲高い鳴き声を上げ、体を上下に揺らす。
こんなところで喰われたくない。というか、もっと柔らかそうなものを人間は好んで食べるはずだ。
──なんで俺みたいなやつを食べようとするんだ? やっぱりお前魔女だな?
所持している針という針を女に向け、いよいよ戦闘態勢に入った。
しかし、次の瞬間。
女の頬を水の筋が伝う。
正直、驚いてしまった。
たしかに部屋は物が散乱していて綺麗とは言いがたいが、砂埃が舞っているような劣悪な環境ではない。
だったら、何から守るための涙なのか?
そう思っているうちに俺の中の警戒心は次第に薄れ、逆立っていた針は徐々に垂れ下がっていく。すべての針が下を向いてからは、しゃがみ込んだまま涙を流す女をキャリー越しにただただ見つめていた。
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