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「まりって、名前なのかい?」
「うん。平仮名で、まり。わかりやすいでしょ」
「当たり前だけど、他人の空似だったようだよ」と僕は笑った。僕の知っているマリは、片仮名でマリである。似て非なる名前である。
「ところで、ここで暮らしているの?」僕の問いに、まりは首を横に振った。
「普段は宮古ーー。あ、海のほうに住んでいるんだけど、中学校の春休みで親戚の家に来てるの」
まりは、長期休みで預けられた時は、ここに来て本を読んでいることを教えてくれた。「それでね、たまに地元のお爺さんに怒鳴られて、追い出されるの。超怖いんだよ」
それでさっき逃げ出したんだと僕が言うと、そうそうとまりは笑った。
「一つ、質問いいかな」
「なんですかー?」とまりはスマートフォンの電波を探しているようで、腕を上げながら聞いてきた。
「君のお祖母さんも、まりって名前じゃないかな。片仮名で、マリ」
まりは再びこちらを勢いよく振り向いて、口を開けて驚いた。
「そ、そうだけど……なんで分かるの?」
「あまりにもそっくりだったんだ。声とか、表情とか。だから、そうじゃないかなとね」と僕は笑った。この子と話していて、僕は半ば確信を持って言った。
「君のお祖母さんと同級生だったんだ。六年間、ここで一緒に勉強したり、遊んだりしたんだよ」
「へええ、お祖母ちゃんと、ここで……」
まりはそんなことあるんだ、と呟いた。かつての同級生が、お祖母ちゃんと言われる歳になったのか。かたや僕は独身を守り抜いている。
まりは「お母さんにも、お祖母ちゃんに似てるって言われるんだよね」と笑って続けた。
「どおりでーーお祖母さんに似て、美人さんだと思ったよ」
「そんな。でももう、私赤ちゃんの頃には亡くなってるからなぁ」
「亡くなって、え?」
「うん、癌だったんだって。だから、直接見たことなくて分からないや」
僕はその言葉を聞いて、膝から崩れ落ちそうになるのを堪えた。しかし、どう頑張っても二の句が継げない。
子どもの手前、年甲斐もなく泣くわけにはいかない。しかし、視界は意志とは裏腹に歪み始め、ついには声まで漏れていた。もっと、もっと早く行動していればと、自分を責めた。今となっては取り返しのつかないことである。
「あ、もしかして……」
まりは心配そうにこちらを覗き込んできた。急に泣き出すおじさんなんて、客観視したら怖すぎるよなと自分でも思う。そう、ぼくは知らなかった。そんな声すらも出なかった。
「すまない。情けないところを、すまない……」
まりは僕の隣にきて、ポケットティッシュを差し出してくれた。それを使って涙を拭い、無理やり声を絞り出した。
僕が泣き止むまで、まりは教室から校庭にでて一人にしてくれた。中学生に気を使わせるだなんて、僕は大人として失格だ、と思った。
マリには子供がいて、孫まで生まれて、そして、マリは死んだ。その事実が僕の中にぽっかりとした穴を開けたような感覚を植え付けた。どこかで、マリとまた会える。そんな淡い期待を四十年背負ってきた僕が馬鹿だった。
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