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僕は数分ほど呼吸が落ち着くのを待った。窓の外をちらっと見ると、天真爛漫に雪玉を固めて雪原と化した校庭に投げつけるまりが見えた。中学生には見えなかった。勿論いい意味で、と頭の中で付け足す。見れば見るほど、この分校に共に通っていた時のマリにしか見えなくなっていた。
僕は首を横に振った。まりと会えたことで、マリが亡くなったと言う事実を知って、吹っ切れることができたじゃあないか。
ーーしかし、もうこの地にも戻ることはあるまい。もうその必要は失われたのだ。僕は帰ろうとして、外に出たまりを呼ぼうと立ち上がった。
その瞬間、外から引き戸がガラッと開いて、顔を真っ赤にしたまりが教室に入ってきた。「おじさん、ちょっと来て!」
僕が窓際に向かうと、まりは口元に指を近づけて静かに、のジェスチャーをした。そしてその人差し指を窓の外に向けた。
「見て」
「ーーあっ!」
指の先を追うと、そこには白兎がいた。僕は先ほどの兎だろうか、と思った。雪の上にちょこんと佇んでいて、雪と同化していて見にくかった。
まりは「可愛い」とスマートフォンのカメラを向けて、何枚も撮っていた。画面に映る白兎はキラキラとした大量の星の加工を付けられていた。
「うさぎなんて、本当にいるんだ。動物公園でしか見たことないや」
「昔はしょっちゅういたもんだけど、今じゃこの辺にも少ないんだろうな」
「へー……あ、逃げた!」
「はは、臆病な動物だからね。仕方ないさ」
「もうっ、何も食べるわけじゃないのに!」
僕はハッとまりを見た。わざとらしく頬を膨らませて、怒ってもいないのに怒っているその顔が、マリそのものであった。まりは僕の視線に気がつき、髪を触って「何か付いてますか?」と言った。
「いや、なんでもない」
「僕は、またここに来ていいのだろうか」
「なにそれ。田舎過ぎて来たくないってこと?」まりは笑って語尾を伸ばした。どうやら、拒まれてはいないようである。
「おばあちゃんもね、うさぎさん。好きだったみたいですよ」
まりはそう言い、ダウンジャケットのポケットからスマートフォンを取り出して、ケースについているキーホルダーを見せてくれた。
今にも取れそうなほど紐は擦り切れ、白い糸で硬く編み込まれたであろう白兎も、今では灰色であった。
「それは……」
「お母さんがくれたの。マリおばあちゃんが小さい頃、良く見てたんだって。手芸が好きで作ってくれたんだってさ」
まりは紐が千切れないよう、注意深くストラップを外して僕に手渡してくれた。
「これ、おじさんにあげるよ」
「そんな大切なもの……受け取れない」
まりは首を横に振り、ニコッと微笑んでストラップの紐を輪にして僕の小指に通してきた。そして「遠くでも、元気でね」とストラップに向かって手を振った。マリの思い出の中に、少しでも僕と見た白兎がいてくれた。
僕はそのストラップを優しく両手のひらで包み、顔を上げた。ふと窓の外を見ると、校庭の端の方に逃げていった白兎がこちらを見ているのが目に入った。
「……ありがとう」と僕が呟く。
「どういたしましてっ」
まりがそう言うと同時に、白兎は跳ねて森に消えて姿を消し、二度と姿を見せることは無かった。(了)
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