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引換券がない!
正月七日、わたしは車でデパートへ向かっていた。
後部座席には、息子が乗っていた。
デパートの脇の道を左折すると、立体駐車場の入り口があった。
わたしは発券機の横へ車を止めた。
発券機に、こんな貼り紙があった。
駐車券を紛失した場合、一万円お支払いいただきます。
「高っ!」わたしは叫んだ。
「ぼったくりでしょう!」息子も叫んだ。
わたしは駐車料金表の看板を見た。
基本料金、三十分ごと二千円。
駐車料金サービス、ご利用金額五千円以上、一時間無料。
一万円以上、二時間無料。
十万円以上、終日無料。
「このデパート、駐車料金高くない?」息子がいった。
ブブッ。
後ろの車がクラクションを鳴らした。
わたしはしぶしぶパワーウィンドウを開け、手を伸ばして、発券機から駐車券を抜き取った。
わたしたちがデパートへきたのは、息子の新しいメガネを受け取るためだった。
息子は小学生の頃からメガネっ子だった。
中学生になり、顔の骨格も大人になった。
フレームとレンズの距離の関係で、メガネの度数が合わなくなった。
年末にこのデパートのメガネ店で、息子のメガネを新調した。
年末年始ということもあり、できあがるまで二週間くらいかかるという話だった。
年末のときは、電車できたから、駐車料金のことには気がつかなかった。
昨晩、メガネができあがったと連絡があった。
わたしたちは早速、デパートへメガネを受け取りにきた。
発券機から駐車券を抜き取ると、わたしは車を発進させた。
古びた打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた駐車場だった。
「父さん、ここの駐車場、傾いてるよ」息子はいった。
ところどころ、駐車スペースが傾いていた。
坂道の途中に車が並べられていた。
「昭和のデパートの駐車場って、こんな感じなんだよ」わたしはいった。
「なんか、ダンジョンみたいだね」息子はいった。
「そうだな」わたしはいった。
あたりは黒ずんだコンクリートの壁に囲まれ、薄暗かった。地上に現れたダンジョンのようだった。
このデパートは、このあたりでは老舗のデパートだった。
建物自体が古かった。
立体駐車場も、今時のショッピングモールのように洗練されたものではなかった。
一階は満車だった。
二階に空車があった。
わたしは二階の大きな柱のすぐ横の駐車スペースに車を止めた。
二人は車を出た。
柱に、相合傘の落書きがあった。
傘の右側に大翔、左側に陽葵。
どちらも読めなかった。
「これ、なんて読むの?」わたしは息子に聞いた。
「父さんは別に読めなくてもいいじゃん」息子はいった。
それもそうだな。
二人は立体駐車場の二階から一階へ降りて、デパートの建物へ向かった。
メガネ店はデパートの五階にあった。
老舗のデパートにふさわしい佇まいの老舗のメガネ店だった。
店にはおじいさんに近いおじさんの店員が二人いた。
二人とも、メガネを買ったときの店員ではなかった。
おじさんの一人は、別の客の話を聞いていた。
わたしはもう一人のおじさんへ話しかけた。
おじさんは白髪で、目付きが鋭かった。
「メガネを受け取りにきたのですが」
「かしこまりました。引換券はお持ちですか?」
わたしはカバンをまさぐった。
「あれ?」
「どうしたの?」息子はいった。
わたしはさらにカバンをまさぐった。
財布の中にも、ポケットの中にも引換券はなかった。
「引換券がないの?」息子はいった。
わたしはカバンやポケットをまさぐりながら店員にいった。
「引換券がないとだめですか?」
「引換券がなければ、商品をお渡しするわけにはまいりませんな」
「免許証ならあるんですが」
「お客様、免許証は、当店でメガネをお買い上げになったという証拠にはなりません」
「年末にメガネを買ったときに、確か名前と携帯の電話番号を書いていったのですが、それと照合してもらえませんか?」
「うーむ、仕方ありませんな。では、免許証をお預かりいたします」
店員はしぶしぶ奥へ引っ込み、購入時の記録を持ってきて、免許証と比較した。
「確かに、名前は一致します。しかし、やはり商品をお渡しするわけにはまいりませんな。同姓同名ということも考えられますので」
「携帯はどうですか? かけてみてください」
「仕方ありませんな」
店員は店の電話で、購入記録にある番号へかけた
わたしの携帯が鳴った。
「ほら! その購入記録にある番号、わたしの携帯の番号ですよ」わたしはいった。
「確かに、いや、しかし、商品をお渡しするわけにはまいりませんな」
「なぜですか!」
「その携帯が、本当にお客様の携帯なのか、当方ではわかりかねますので。拾ったものかもしれない」
「なんてこと!」
「父さん、出直そうよ」息子が耳打ちした。
店員は鋭い目付きでわたしにいった。
「失礼ながら、お客様、当店でメガネをお買い上げになったという話は、本当でございますか?」
「父さん、出直そうよ。父さんが引換券を忘れたのが悪いんだから」息子が耳打ちした。
「や、やむをえません。出直しますので、駐車料金の方は無料にしてもらえませんか?」わたしはいった。
「当店では、お客様が商品お受け取りのためご来店された場合は、当時のお買い上げ金額にあわせて、駐車料金は無料になります」
「よかった! 確かメガネは二万円台だったから、二時間無料になりますよね?」
「本来ならそうなります。しかしながら、お客様の場合は、商品をお受け取りになっておりません。本日五千円以上お買い上げがない場合は、駐車料金は三十分ごと二千円になります」
「なんてこと!」
「規則ですので」
「あの、店員さん、わたしのことを疑っていませんか? わたしが人様のメガネを騙しとって、売りさばこうとしているとでも思っていませんか? わたしがそんな人間に見えますか?」
「とんでもございません。あくまで規則ですので」店員は鋭い目付きでいった。
「父さん、あの店員さん、父さんのことを完全に疑っているよ。出直そうよ」息子は耳打ちした。
「それじゃあ、みすみす二千円をどぶに捨てるようなものじゃないか」わたしは耳打ちした。
「今ならまだ三十分たっていないから、被害は二千円で済むよ。このままだと、三十分過ぎて、駐車料金が四千円になってしまうよ」
「うーむ……」
わたしたちはやむなく車へ戻った。
「あった!」わたしは叫んだ。
「ええ?!」息子も叫んだ。
車の助手席に、引換券があった。
そういえば、引換券をカバンから取り出して、駐車券と一緒にポケットへしまった気がする。
そのとき、引換券だけ落としてしまったのだ。
「おっちょこちょいだなあ」
わたしたちはメガネ店へ戻った。
引換券をおじさんへ渡した。
「ちっ」
「え? 舌打ち?」
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