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寒い。考えなしに飛び出すんじゃなかった。もう十二月なのに、パジャマだけで外に出るなんてさすがにバカだった。
家の近くの公園のブランコに座る。冷たい鎖で更に手が凍えた気がするけど、帰るに帰れない。
こんな時間だから優の家に行く訳にもいかないし、ばあちゃん家だって電車が動いてないから行けない。そもそも財布も持っていない。
家に帰るしかないことも分かってはいるし、正直寒すぎて帰りたい。
だけど、飛び出してきたのにすぐに帰るのも格好悪い。
グズグズと時間を持て余していたら、ざしゅざしゅと砂を踏む音が聞こえてきて、もそもそと顔を上げた。
「良かった、近くにいてくれて」
ホッとした顔の尚登さんが、笑って近づいてくる。手にはオレのダウンコートを持っていた。
「ほら、とりあえず着て。こんな寒いのによくパジャマで飛び出したね」
「…………ありがと」
もにょもにょお礼を言って受け取ったものの、寒さで体が固まってしまって、上手く袖を通せない。
それに気付いたらしい尚登さんは、オレからダウンコートを取り上げて、とりあえずファサリと肩にかけたあと、オレの前にしゃがみこんでコートの前を閉めてくれた。
「ごめんな、蒼くん。……色々、ホントにごめん」
「…………べつに」
「無理にお父さんにして欲しいなんて思ってない。一番親しい大人だって思っててくれたら十分。偉そうに言うつもりもないし、大人として蒼くんのこと全力でサポートする。……だから、お母さんに……美代さんには心配かけないであげて」
「…………分かってる。……ホントはちゃんと、分かってる。……お父さんて呼んだ方が、母さんが喜ぶことも分かってる。……ご飯も……食べないと母さんも尚登さんも悲しむって分かってる。……けど、今は無理。なんか、すぐお腹いっぱいになる。嘘じゃないよ。食べたくないとかじゃない。でもなんか、どうしても無理なんだ」
「うん。ごめんな。ずっと、気を遣わせてごめん」
「……オレも、いきなり出てってごめんなさい。……そんでさ……靴、変だよ」
「へ?」
キョトンとした顔をする尚登さんが面白くて、凍えきった唇でゆっくり笑った。
「左右で柄が違うし……そもそも左右が逆じゃない?」
「あ? ……あ~。だからこういうとこが締まんないんだよなぁ、オレ」
ぼやいた尚登さんが、「かっこわりぃ」とぼやく。
「ダウンは持ってきてくれたのに……」
「これは美代さんがね。渡してくれたから。オレは追っかけることしか思いつかなかった。……お母さんて凄いな」
「…………尚登さんだって、もうすぐお父さんでしょ」
「うん。……気持ちとしては、もうずっと前からお父さんだけどね」
「……そっか」
「そうだね」と呟いて、ぎこちない動きで立ち上がる。
「帰ろ。寒いし」
「だな~。あ、そうだ。お腹空いたんだったら、インスタントのコーンスープがあるから。帰ったら作るよ。温まるから」
「うん。ありがと」
「オレも飲も」
寒い寒いと身を寄せ合って帰ったら、久々の母ちゃんのげんこつが待っていた。
母ちゃんは、怒ると口より手が先に出るタイプだ。尚登さんと暮らし始めてから、初めてのげんこつだった。母ちゃんもなんだかんだ、尚登さんの前では猫を被っていたってことなんじゃないだろうか。
「今はお母さん、追っかけられないんだからね!」
「……ごめんなさい」
「追っかけようとしてたけどね」
「尚くん!」
「ちょっ、みっ……お母さん……」
「ぁっ……ちが、その」
混ぜっ返した尚登さんに眉を跳ね上げた母ちゃんが、だけど尚登さんの窘める声に眉を落とした。
「…………あのさ。いいよ。『美代さん』と『尚くん』で」
「……蒼?」
「無理に『お父さん』『お母さん』呼びじゃなくていいよ。……弟が生まれてからにしたら?」
「……蒼……」
「分かってるから。ちゃんと。お父さんなんだって。……でも、今すぐには呼べないだけだから」
「……うん」
しょんぼりとホッとしたが半々くらいの顔で笑った母ちゃんに、笑い返して靴を脱ぎ捨てる。
「あっ、こら、靴は揃えなさいって、」
「――尚登さん、コーンスープ飲も」
「……そうだな、寒いもんな」
母ちゃんのお説教を最後まで聞きたくない振りに見せかけて、尚登さんの腕をくいくい引く。おかしな靴の履き方をしていた尚登さんは、脱ぎづらそうに靴を脱いで、元あった場所に戻した。
尚登さんが母ちゃんの袖をそっと引いて、三人でリビングに入る。
「……美代さん、なんで暖房切ったままなの。リビング寒くない?」
「ぇ? あ? ……だって、ずっと玄関にいたから……」
「も~。寒いから、暖かくして待っててって言ったのに」
「ごめんなさい」
しゅんとうなだれた母ちゃんをソファに座らせて、尚登さんがキッチンに入る。
「……蒼……」
「いいからもう。自分でちゃんと分かってるから、色々」
「違うの。……陣痛きたかも」
「へぇぇっ?! ちょっ?! ちょ、ちょ、……尚登さん! コーンスープ食べてる場合じゃないかも!!」
「えぇ? どしたの~?」
「母ちゃん! 生まれるって!!」
「なぁぁっ?! 待って待って待って。何? 何すればいいの?!」
「わっかんないよ! オレに聞かないで!」
「あ~、もう、うるさい! タクシー呼んで! あと、荷物! 部屋から取ってきて!」
ヒュンッと風の早さで二階に上がった尚登さんを見送って、母ちゃんの側でオロオロすることしか出来ない。
そんなオレの袖をクンッと引っ張った母ちゃんが、ムスゥッとした顔でオレを睨みつけている。
「ぇっ? ぇ、何? どしたの? 痛い?」
「……母ちゃんて呼ばないでって、前に言ったのに……!」
「今それ怒る?!」
「も~……ぁいたたたた」
怒りながら痛がっている母ちゃんのそばに荷物を持って戻ってきた尚登さんが、スマホでタクシーを呼んでいる。
「……オレ、外みてくる!」
二人に告げて、脱ぎかけだったダウンコートに袖を通しながら玄関を出た。
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