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いつの間に夏になっていたんだろう、なんて。学校の渡り廊下でぼんやり空を見上げる。
ばあちゃんを見送ってしばらく経ったのに、オレは抜け殻みたいにずっとボーッとしていた。結黄のお世話も、したい気持ちはあるのに体が追いつかなくて、あんなに頑張って勝ち取ったお迎えも、母ちゃんに変わってもらっている。
ただただ気持ちが塞いでいた。
暑い日差しにほんの少し目眩を覚え始めた頃、
「君は、……確か林田くんですね。もう授業が始まりますよ」
呼びかけられてゆっくりと振り向いたら、社会科担当の高井先生がこちらを心配そうに見つめていた。
とっさに返事が出来ずに黙っていたら、更に眉を寄せた高井先生が、こちらへ一歩踏み出してくる。
「どうしました?」
「……いや、名前……」
「林田くんではなかったですか?」
「合ってる、けど……名前、ちゃんと覚えてんだね」
「生徒の顔と名前は覚えるようにしています」
「……そうなんだ」
いかにも生真面目な返答に、沈黙が生まれる。
「……教室で、何か困ったことでも?」
「ぇ?」
「……少し、表情がいつもと違って見えたので」
何かありましたか。
丁寧過ぎる問いかけが、おかしくて。ふ、と唇が緩んだんだと思ったのに。
実際には、涙腺が緩んだらしい。
急に溢れた涙を誤魔化すことも隠すことも出来ないまま、ただ涙がパタパタと頬を伝うのを感じていることしか出来ない。
「?!」
自分を見ていてくれた人は、確かにここにもいたんだと。そんな風に思える安心感のようなものに満たされて零れた涙を見て、先生が驚きに目を見張っている。
『高井先生ってさぁ。なんかおじいちゃんみたいだよねぇ。すっごい丁寧に喋るしさぁ。表情もずっと真面目だよね。笑ったりするのかな?』
『ホントそれ! 高井じゃなくて、カタイだよね~』
『やだ~』
クラスの女子がそんな風に話していたけれど。
その驚いた表情は、なんというか意外なほどに可愛いと思えるのが不思議だ。ふふっ、と思わず声がこぼれたら、先生は軽く目を見張った後で眼鏡を直す仕草をした。カチャリ、と鼻あての鳴る音が届く。
「……忙しい人ですね」
「……?」
「泣いたり笑ったり」
「だって……先生もビックリするんだなって」
「私をなんだと思ってるんです」
「だって、カタイって有名だもん」
やれやれと言いたげな表情で溜め息を吐く先生も、初めて見た。
(……全然カタくないじゃん)
こんなに短い時間で色んな顔するんじゃん、なんて。隠しきれなかった笑い声がまた漏れたら、
「……元気が出たなら良かった。教室へ戻りましょう」
先生は呆れた顔を隠して、いかにも先生らしい口調でそう言った。
***
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