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初めて先生に声をかけてもらったあの日以来、なんとなく足が向いて、社会科準備室をしょっちゅう訪ねるようになった。
勿論、授業はサボったりしてない。昼休みに、通学途中で買った菓子パンを持って準備室を訪ねては、先生と二人で食事をしているだけだ。
「……君、本当に教室で困ったことはないんですね?」
今日も今日とて、あんぱん一つを抱えて準備室を訪ねたら、先生が心配そうに眉を寄せてそう言うから、キョトンと首を傾げるしかない。
「ないよ?」
「……だったら、なぜここに? 教室に居辛い訳ではないんでしょう?」
心底理解できない、と言いたげな先生の問いに、う~ん、と首を傾げる。
「……何だろ。……先生のこと、嫌いじゃないし……なんか……ここ好きなんだよねぇ」
「……そうですか。……だけど、友達との付き合いだって大切にしないと」
「大丈夫だって。その辺はちゃんとバランス取ってる」
「ならいいですが。……それにしても」
納得したようなしてないような複雑な顔をした先生が、今度はちょっと怒ったみたいな顔に変わる。
やっぱり、カタイ、なんて言ったやつは、全然分かってない。先生は、むしろ表情豊かなくらいだと思う。
「またパン一つですか?」
「……あぁ、うん。……美味しいよ? あんぱん」
「そうではなく。……昨日も一昨日も、パン一つだったでしょう。……成長期にそれでは、栄養バランスが……」
先生はブツブツ何か呟いた後、ふぅ~っと長い溜め息を吐いた。
「他の生徒には内緒ですよ」
「へ?」
「どれでも良いから、好きなおかずを取りなさい」
「ぇと……」
「ほら」
お弁当箱を差し出されて、点になった目で見つめることしか出来ないオレに、先生は押しつけるみたいに更にオレの方へ弁当箱を差し出してくる。
彩りが綺麗なお弁当だった。
「アレルギーはなかったはずでしょう。食べたいものがあれば、取りなさい」
「ぁ……ぇ、と……あり、がと?」
焦げのない綺麗に巻かれた卵焼きもらって、ポイッと口に放り込む。
(…………美味しい……)
もぐもぐと出汁の利いた玉子焼を味わってから、
「……アレルギーとか……覚えてるんだ……」
「教師として当然です」
「なんか……先生って、意外とアツイんだね」
「……意外、ですか?」
「意外だよ~。先生、みんなからおじいちゃんて呼ばれてるの知ってる?」
「おじっ……?!」
ショック過ぎて声が出ないらしい先生が、胸を押さえながら絞り出すように呟く。
「……まだ三十六なんですが……」
「ぇっ? そうなの? 母ちゃんより三つ下なんだ」
「母ちゃん……」
「先生ってさ、走ってるとこ見たことないしさ。いっつも静かだしさ。おじいちゃんみたいって、みんな言ってるよ」
「……知らない方が良かったです」
しょんぼりうなだれる先生が、可愛すぎて面白い。
「あっはははは! 先生めっちゃ面白いんだね」
めっちゃ可愛い。
笑いすぎで目尻に滲んだ涙を拭いながら呟いたら、ほんのちょっぴり不満そうな顔をした先生が、眼鏡をカチャリと直す。
「可愛いというのは、君のような人に使う形容詞ですよ」
「えぇ~? オレは可愛くないよ~」
「そうですか? 小さくて可愛らしいと思いますよ」
「小さくては余計だよぉ。……父ちゃんは背が高かったらしいのにさぁ。全然伸びないんだよなぁ、背」
「……父ちゃん」
「二歳の時に死んじゃったから、全然覚えてないんだけどさ。母ちゃんも別に背低くないのに、オレ、全然背伸びなくて」
「──たくさん食べなさい」
オレの言葉を遮るみたいにして、先生はまた弁当箱を突き出してくる。
「えぇ……?」
「卵焼きだけじゃなくて、他のおかずも食べなさい」
「……先生のなくなっちゃうじゃん」
「いいから、食べなさい」
「……ありがと。でも、ホントにパン一個で足りてるよ?」
重ねて断っても、先生はゆっくりと首を横に振った。
「それでもです。食べることは生きることです」
「……食べることは、生きること……」
「心と体が健やかでないと、背は伸びません。健やかな心と体を作るには、栄養がとても大事です。生きるために食べることと、健やかに生きてゆくために食べることは、意味が違います」
「……健やかに生きる」
「君の食事の仕方では、生命を維持しているだけにすぎません。……お家で、ちゃんと食事は摂れていますか?」
先生の真っ直ぐな目を見ていられなくて、そっと視線を下に向ける。心配してくれていることが分かるから、なんとなく後ろめたい。
「……食べてるよ?」
「……それなら良いですが」
「……でも、いつも母ちゃんは悲しい顔してる。もっと食べなさいって」
「……なぜ、食べないのですか?」
「…………美味しいよ? だけど……分かんなくなる。食べる意味とか……、……」
「……」
生きてる意味が、分からない。なんてことは、さすがに言えなかったのに。先生は一段と淋しそうで悲しそうな顔に変わってしまった。
その顔を見ていたくなくて、ぎゅっと目を閉じる。
「――ここんとこ、ずっとそう。もっと食べなさい、ちゃんと食べなさいって、母ちゃんは悲しい顔する。……その顔見ると、もう、食べたくなくなる……」
「そうですか。……今は、どうですか?」
「え?」
「卵焼き、もう一つ余っていますが、もう一つ食べたいとは思いませんか?」
自信作なんですよ。
先生が胸を張って笑うから。思わず笑ってしまった。
「……ふっ……そだね。食べたいかも」
「では、どうぞ」
「先生のぶん、なくなっちゃうよ?」
「またいくらでも作れますから」
「……じゃあ、……遠慮なく?」
「はい、どうぞ」
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