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そうして、急に引っ越しが決まった。
母ちゃんは妊娠中なのだから、無理はさせられない。引っ越しの準備は、ほとんど意地になりながら一人で進めている。
母ちゃんの遠慮がちな「ありがとう」に、「別に」なんて素っ気なく呟くことしか出来ない。素直じゃないオレを、自分でも許せないのに制御出来ないでいる。
「なんだかなぁ~……」
「ほれ、とりあえず飲め」
ヒョイと手渡されたのは、オレの好きなジュースだ。「ありがと」と素直にお礼を言って受け取った。
「で? いつから林田なの?」
「うん。……高校入ってからにしよって、母ちゃんと決めた」
今は中二になったばかり。始業式が終わってすぐのタイミングで名前が変わるのも嫌だ。
どうせなら、中学卒業までは今のままでいたい。
「そっか。……まぁ、オレはアオ呼びしかしないからあんまり気にしてないけどな」
そう言ってニッカリと笑ってくれたのは、時田優。小学校時代からの友達だ。親友だなんてこっぱずかしくて面と向かって言ったことはないけど、お互い同じ気持ちだと信じている。
しょっちゅうお互いの家を行き来してきた仲で、あの狭い家にも何度も遊びに来てくれた。小さかった頃に二人で壁をほじくって出来た小さな穴のことは、結局母ちゃんに言えず終いになっていることを、今ふと思い出してこっそり頭を抱えてしまう。
「で? 父ちゃんになる人はいい人そうって言ってたけど、仲良く出来そう?」
「うん……まぁ、仲良くしなきゃとは思ってる」
「ふん?」
「思ってる……んだけどなぁ。……なんかなぁ……『お父さん』とは呼べなさそうで困ってる。なんか……今更父ちゃんだぞ、とか言われてもなぁって。……変な気分」
「そっか。……まぁ、そりゃそうだよな。知らん人だもんな」
「…………呼んだ方がさ、母ちゃんも喜ぶって分かってるけどさ。……知らん人なんだよな。……いい人なんだろうなって、思うけどさ」
「難しいよな」
しみじみ呟かれた言葉に、すとんと頷く。優の前でなら素直になれるのにな、と溜め息が出てしまった。
「……新しい家は? どんなだった? こないだ見に行くって言ったけど」
「……あぁ、うん。一軒家だったよ。二階建てで。オレの部屋もちゃんとあった。……弟と一緒の部屋だけど」
「そっか。弟と一緒か」
「うん。……あ、でも、それはいいんだ。弟ってさ、……ずっと欲しかったから、ちょっと嬉しいんだ。弟はもう一生出来ないと思ってたから」
「そっか。そんならいいけど」
うん、と優に頷いて見せて、出してもらったジュースを一口。
「……。……子供って大変だな。早く大人になりたい」
「……大人も大変だろ」
「……そりゃそうかもだけど。……少なくとも、親が再婚するからって名前変わらなくて済むだろ? ……波多野蒼だったら違和感ないけど、林田蒼って、なんか違和感あるよ」
ずっと名乗ってきた名前を呟く。
十四年間、波多野を名乗ってきた。好きとか嫌いとかじゃなくて、それはただ、AとかBとかとおんなじ記号みたいな意味合いだったけれど。
名乗れなくなると思ったら、名残惜しい。
何より、父ちゃんとの繋がりが消えてしまうような淋しさがあった。
「…………ばあちゃんとも、……会えなくなったりしたら、やだなぁ……」
「アオはおばあちゃん子だもんな」
「…………うん」
「否定しない」と、口の中で呟いて、ジュースをもう一口。
母方の祖母は既に亡くて、母方の祖父は怒りっぽいから苦手。父方の祖父母は健在で、オレがよく懐いているからと、母ちゃんも一緒にちょくちょく家を訪れていたけれど。
再婚となったら、やはり顔は出しにくくなるのだろうか。
「……やっぱ……早く大人になりたい……」
「……うん」
俯いたオレの頭に、パフッと優の手のひらが乗せられる。慰めるようにポフポフ優しく叩いた手のひらがそっと離れた後で、スナック菓子の袋が差し出された。
「まぁ、食え」
「……ありがと」
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