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緊急事態!
あぁ、最悪だ。初めてのデートだったのに。……文子は泣きたかった。
福島とのドライブ中に玉突き事故に巻き込まれたと思ったら、その相手が因縁の先輩、アル・全珍だから尚更だった。胸がチリチリ痛んだ。
運転手たちは路肩で警察の到着を待った。
「最悪だ……」
文子の隣でアル・全珍が吐息を漏らした。
「アル先輩のせいですよ。割り込んで急ブレーキ踏むから」
福島の車は止り切れず、アルのスポーツカーに衝突したのだ。
「前の奴が急に止まったんだ」
「私たち、デートだったんです」
抗議するとアルは福島に目をやった。
「あんな男じゃなく、俺と付き合えよ」
「馬鹿なことを言わないでください。先輩には高嶺さんがいるじゃない」
高嶺百合は同級生で、卒業前から彼と交際していた。
「あいつとは3年前に別れた。前に教えたろ? まさか、忘れたのか? ショックだわぁ」
「え、そうだった? どうして?」
「百合にとって俺はアクセサリー見たいものだった。自慢できるから俺を恋人にしたのさ。おまけに、気にいらないと殴る蹴る……。それで別れた」
「あぁ、夜の公園で……」
上京する前、夜桜が不気味だった公園でアルと出会ったのを思い出した。
「確か、怪我をしていたのよね?」
「やっと思い出したか。俺って、その程度なのナ……」
アルがため息をついた。
「そんなことないですよ。先輩は、女性サッカーファンの憧れの的じゃないですか」
「なあ、俺と……」
アルに迫られ、文子は一歩下がった。
「福島さんは6カ月も私の本屋さんに通い続けてくれたのよ」
「それのどこが良いんだ?」
「愛がないとできないでしょ」
「性欲だろう?」
アルの視線が福島を射た。
「彼、誠実な人なのよ」
「あいつの何を知っているんだ。あいつには嫁さんも子供もいるんだぞ」
「噓でしょ?」
そう応じたものの、頭の中が真っ白になった。
「文子が付き合いだしたから調べた」
落ち着いたアルの声。それで文子も冷静になれた。
「ん?……エッ!……私を見張っていたの?」
「時々見ていただけさ」
「言い訳ばかりね。名前も覚えてなかったのに」
「愛の館の占い師に言われたんだ。文子の名前を言ったら嫌われるって。でも、おしまいだな。名前、言っちまった」
アルがふらりと動いた。自分の車の助手席からぬいぐるみを取ると文子に差し出した。
「これって、私があげたもの……」
高校2年の時、愛の館で買った恋愛が成就するという魔法のペンギンのぬいぐるみだった。彼にボロボロにされたと思っていたものだ。
「もらった時は嬉しすぎて、ちょっと乱暴に扱ってしまったけどな」
ぬいぐるみを上げた夜、頭や胸に強い衝撃を感じたのはそのためだったのだ。……文子は、自分が勝手に、アルをDV男に仕立ててしまっていたのに気づいた。
――ファン・ファン・ファン――
近づくパトロールカーのサイレンに、心が揺さぶられた。
(おしまい)
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