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「帰って来ようとは、思わなかったの?」
「うん」
「どうして?せっかく無実だって分かったのに」
「俺、元々、評判が最悪だったから。一度あんな噂が立ったら、いくら無実ってなっても、こんな狭い田舎だからね……」
「……」
確かにそんなものだろうと、橙子も思った。
実際、無実と分かってからも、「日頃の行いが悪いから疑われるんだ」などという声を聞いていた。
「君にも迷惑がかかる」
「そんなこと、私は気にしないよ」
「俺がツラいから。君までアレコレ言われるの、まのあたりにするのは」
「……」
「近くにいても会えないぐらいなら、いっそこのまま離れていた方がマシだ、そう思ってね」
「……そうだったんだ」
「だから、これを機に、10年間、真面目に働いて、それからにしようと思ってたんだ」
敦史はそう言うと、少し満足げな顔で缶コーヒーを飲み、山並みに目をやった。
そんな彼の横顔に、
「じゃあ、今も横浜で働いてるの?」
敦史は首を振り、
「7年前に、親父が死んでから、藤沢の建築現場に住み込みで働いてる」
「えっ?お父さん、亡くなったの?」
「うん。元々病弱だったから……」
「そうだったんだ……ごめんね、何も知らなくて」
「仕方ないさ。それより、この後、ちょっとそこまで付き合ってくれないか?」
そう言って敦史と行ったのは、彼の父親の墓参りだった。
父が亡くなってから、彼岸と命日には、こっそり墓参りには来ていたのだが、10年後の約束の日の今日は、もしも橙子と会えたら一緒に行くつもりだったのだと、敦史は言った。
その帰り道。
「もう少し、藤沢の現場で頑張ってみようと思う」
敦史が、寺からの参道を下りながら言った。
「……もう少し?」
「うん。そしたら、橙子、二人の夢を叶えないか?」
「えっ?」
「みかん山の喫茶店」
「……!」
「本当は、今日オープンのはずだったんだけど……」
敦史はそう言って、バツが悪そうに笑う。その顔に、傾きかけた秋の日差しが注ぐ。
彼の横顔を眩しそうに見る橙子に、彼は笑顔を向け、
「10年後の、2024年11月20日!」
と言い切ってみせた。
「それまでに、頑張ってお金を貯めるから」
「私も、頑張って貯めるよ」
「一緒に頑張ろうな」
逞しく映る敦史の笑顔に、橙子も大きく頷く。
参道を下りながら望む山並みに、希望を感じていた。
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