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「私が好きなのは、敦史くんだけだよ」
「橙子!」
いきなり抱き締められた。続いて、顔を近づけてくる。
「だめ」
そう言って、鞄から小瓶を彼の目の前に出す。
「あっ。ごめん」
敦史は苦笑し、その小瓶の中の緑色の液体を少し口に含んでから向こう側に吐き出すと、今度はミントの匂いの口を寄せてきた。
重なる唇を感じながら、橙子は、将来の夢を思い浮べ、幸せに包まれていた。
曇り空の帰り道は、だいぶ薄暗くなってきていた。
「やあ。橙子ちゃん」
敦史と並んで歩いていた橙子は、コンビニの脇で不意に呼ばれた。
目を向けると、コンビニの駐車場の車から、一人のひょろっとした青年が、笑顔で降りてきた。家庭教師の先生だった。
「あっ、飯田先生」
橙子も笑顔になって、ペコッと頭を下げる。
笑顔のまま歩み寄った飯田は、敦史には目を向けずに、
「今日も頑張ろうな」
「はい」
「橙子ちゃんなら、M高、絶対行けるから」
「そうですかね……」
「うん」
飯田は、大丈夫、というように力強く頷くと、「こちらは?」というふうに、チラッと敦史に視線を送った。
「あ、友だちの、進藤敦史くんです」
敦史は、無表情のまま小さく頭を下げる。
「あ、そう。友だちの……」
飯田はそう言って、もう一度敦史をチラッと見ただけで、
「じゃ、コンビニに寄ってから行くんで。また後で」
爽やかな笑顔を橙子に向け、店に入っていった。
「いい感じの先生でしょう?」
並んで歩き出しながら、橙子が言う。
黙ったままの敦史に、さっきの東屋でのやり取りを思い出し、余計なことを言ってしまったと、取り繕うように、
「でも、M高受験までだから」
「俺は、なんか好きじゃない」
敦史はポロッと言った。
少しの沈黙があった後で、
「カイロ、買って大正解だったな」
ニコッと笑って、橙子を見た。
淀みかけた空気を払ってくれたことにホッとしながら、
「そうね。温かいね!」
腰に手を当て、カイロを押し付ける。隣の敦史も真似をしながら、
「タバコ、絶対止めるから」
ワルの恰好をしていても、橙子に向ける笑顔は、いつも温もりがジンワリと伝わってくるようだ。
幸せな気分の中、二人は帰路に就いた。
ただ、次の週から、二人は、東屋で現地解散することにした。
狭い田舎街だ。一緒にいるところを見られでもすれば、噂は一気に広がり、秘密どころではなくなるから。
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