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59- 本音とすれ違い
「――つかさちゃん?」
講義と講義の合間の休み時間、大学のカフェで一人でノートパソコンに向かっていたら、横から声を掛けられた。
自信なさげな声色の主は、美織の彼氏の桐谷さんだった。
「わーびっくりした。久しく会ってなかったけど、めちゃめちゃ大人っぽくなったね」
「えっ、そうですか?」
あたしだと確信して、桐谷さんはあははと笑いながらあたしの向かいの席に座ってきた。家族以外に褒められることは滅多にないので、少し照れて後ろ頭を撫でた。
桐谷さんの方は、美織や滝川さんの話の通り、夏までは明るかった髪を真っ黒に染めて、なんだか別人みたいだ。それでも、トレードマークの黒縁のボストン眼鏡はそのままだから、桐谷さんだとすぐに分かる。
「そうかーこんな可愛くなってたらそりゃオミも惚気るわなー」
「そんないい感じですか、あたし」
「うん。女の子って半年でこんなに変わるもんなんだね」
眩し気に見つめられて、あたしは目をぱちぱちさせた。
「桐谷さんは、就活頑張ってるって美織から聞いてます」
「うん。めっちゃ焦って色々やってるけどまだ全然成果出てないねー。美織にも最近ずっと我慢してもらってばっかりでさ。――今日、美織と一緒じゃないの?」
と聞かれて、美織のことを聞くために話し掛けられたのか、と気付いた。
「あ、えーと、次の講義で一緒です。今は何してるんだか…休みのはずですけど」
もしかしたらサークルか何か別の用事があるのかもしれない。暇だったら、たいていLINEが来るはずだから。
スマホでLINEが来ているか確認するついでに時間表示を見る。次の講義まであと30分くらいあった。
「美織に何か用事ですか?呼びましょうか?」
「あーいや、大丈夫。いや、どうしようかな」
珍しくうだうだと悩んでいるので、あたしはキョトンと首を傾げた。
「…。美織とちょっと喧嘩してて。既読スルーされてるから直接会って話したいんだよね」
また喧嘩しているのか。
しかも既読スルーなんて。この間あれだけ桐谷さんの就活が忙しくて寂しいって言っていたのに、既読をスルーするとは。
<美織らしいっちゃらしいけど…>
勝気な性格が邪魔して、本心は違うのに素直になれないといったところか。
「昨日ね、久しぶりにデートの約束してたんだけど説明会でドタキャンしちゃってさ。しょうがないって口では言ってたけど、本心は違うだろうなーと思って」
と、桐谷さんはしょんぼりした顔で、自分のスマホをいじりながら呟く。就活でも忙しいのに、彼女にまで拗ねられて、なんだか可哀そうだ。桐谷さんだって、好きで美織との約束をキャンセルしているわけでもないのに。それは美織も十分わかっているだろうけど。
あたしはスマホを何気なく触る振りをして、こっそりと美織に「カフェにいるけど来ない?」とLINEを送った。「送りますね」と宣言したら、今の桐谷さんだったら何かと理由を付けて逃げられそうだったから。
「昨日の説明会は、結局どうだったんですか?第一志望の会社って、まだ先なんですよね」
美織から聞いている事情を思い出しながら、桐谷さんに問いかける。
「うん、一応エントリーはしてみたけどね。でもまだ一次面接だしなー。本命じゃないと思うとどうやって熱意伝えようか悩む」
美織が言っていた通り、本当に試行錯誤しているという感じなんだろうなと思った。桐谷さんのように、機転が利いて、コミュニケーション力があって、誰からも好かれそうなイケメンでも、会社からは「ご縁がありませんでした」と切り捨てられる可能性はある。じゃあ採用されるためには何が必要なんだろうと思う。
「自己分析は順調な感じなんですか?」
美織が来るまで引き留めるつもりで話題を出したが、後学の為にも話を聞きたくて、パソコンを閉じて桐谷さんに向き直った。
「順調がどういう感じかもまだ分からん感じかなぁ。やってやり過ぎる事はないんだろうし。自己PRも、やっぱり突出したネタがないとそこまで惹かれないかもしれないしなぁ」
「突出したネタ…」
「グループ面接だとさ、自分がいくらゼミ頑張ったって言っても、その隣の奴が何とか賞獲ったとか、全国一位になったとかアピールされたら、そっちの方が魅力的に見えるもんな」
「…目に見える実績ってやつですね」
「そうそう。だからそういうのに負けない売りを自分の中で見つけないとなー」
桐谷さんの、この状況で腐るのではなく、じゃあ現状でどうするかと建設的に考えられるところは素敵だと思う。
「桐谷さんのそういう、逆境のなかでも前向きなところ、あたしは実績を単にアピールされるより、よっぽど一緒に働きたいと思えますけどね」
素直に思った事を伝えると、今度は桐谷さんがキョトンとして、少し照れたように笑った。
「つかさちゃん、めっちゃ嬉しいこと言うじゃん。ありがと」
「全然です。ほんとのこと言っただけなので」
「あらやだ、惚れちゃいそ」
「美織が聞いたら殴られますよ」
「冗談冗談。――でもほんと、目に見える実績は積んどいていいかもねって話よ。オミもインターンだの企業と共同研究だのしてるしな。あれは就活の為というよりは自分がやりたくてやってるだけだろうけど」
<目に見える実績…>
確かに、あった方が将来の役には立つだろう。特に、あたしのように学部の延長線上の業界を目指しているわけではないなら。
留学、という選択肢が頭の片隅にチラリ、と覗く。
滝川さんに話したように、外資系のメーカーを目指すなら、きっと役に立つ経験のはず。就活で役立つ以上に、自分の自信にもなる気がする。
後で学生センターに寄って行こう、と思っていると、桐谷さんの背後に、不機嫌そうな顔をした美織が立ったのに気付いた。
「――なんでいるの?」
開口一番からとげとげしく、あたしは背筋がヒヤッとしてしまった。
「み、美織。桐谷さんの話聞こうよ」
と、慌てて美織に声を掛けると、マスカラもアイラインもばっちりの目でじろりと睨まれた。
「つかさ、嘘吐いた?」
「嘘吐いてないじゃん。いるなんて言ってないし」
とはいえ、就活の話で引き留めたのはあたしだけど。
美織とあたしの間に挟まれた桐谷さんは、若干ハラハラしていたようだけど、小さく咳払いをして立ち上がった。
「美織、今日は何もないから。次の講義終わるまで待ってるから、どっか行こ」
と、逃がさぬとばかりに美織の手を握る。それがなんだか男前で、内心でドキドキした。
「なんでよ…別にいいよ。色々やることいっぱいあるんでしょ」
「やることはあるけど、美織とすれ違ったままなのは嫌なの。集中できないし」
ストレートに気持ちを伝えられ、強がっていた美織も俯いて黙り込んでしまう。そんな美織がいつもより女子っぽくて可愛くて、口元が緩む。
そんな顔を今の美織に気付かれるわけにもいかず、あたしは慌ててパソコンをカバンにしまって立ち上がった。
「あ、あたし学生センターに寄ってくね。あとで講義室でね」
手を繋いだまま俯いて沈黙している二人に言うと、そそくさとその場を立ち去ったのだった。
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