54- 未来の話

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 滝川さんの宣言通り、あたしはしばらくどころか朝まで離してもらえなかった。  おろしたての浴衣は、気がつけば大変なことになっていたけれど、洗える生地のものだったので、2人でシャワーを浴びた後、洗面台に水を溜めて液体洗剤にしばらく付けておくことにした。  洗面台から部屋に戻ると、滝川さんはベッドで裸のまま、スマホを見ていた。ブラインドからは朝焼けのような色の光が見えていたけれど、この際どうでもよかった。  ベッドに同じように横になり、滝川さんの腕を枕にして胸元に擦り寄ると、枕にした腕が肩を抱いてくれた。 「浴衣、大丈夫そ?」 「うん、付け置き洗いでいけそう」 「ちょっと、いやだいぶ、はしゃぎ過ぎたな。ごめんな」 「はしゃいだのはあたしだよ…」  花火を見たテンションと、浴衣と、ハイボールで、いつもよりかなり大胆に、本能のままの姿を滝川さんに見せてしまった気がする。 「ーーこれで、夏のイベント全部終わったな」  スマホをベッドサイドに置いて、ゴロンと仰向けになりながら滝川さんが呟く。 「そうだね…。夏休みも、あと2週間くらいだし」  終わってしまうのは寂しいが、滝川さんとはこれからも一緒にいられるのだから、これからの季節もきっと楽しいはずだ。  そんなことを思いながら目を閉じていると、滝川さんがふと聞いてきた。 「つかさ、後期の講義どうなってる?」 「ーー後期は、結構1限目からの講義が多いかも。ゼミは2限目だし」  カリキュラムを決めた頃は、まさかこんなに一緒にいてくれる彼氏ができるとは思わず、できるだけ規則正しい生活をするためにと思って、早めの時間帯の講義を意識的に入れたのだった。その方が午後の自由時間が増えるし。  顔を上げて、滝川さんの胸の上に顎を乗せながら、ボソボソと呟く。 「…だから、来月からは半分くらいは家に帰ろうかなって」  深夜までバイトをしていて、これから院試へ向けての勉強も始まる滝川さんの横で、朝早くから起きて活動するのはやはり申し訳ない。テキストも全部をここへ置いておくわけにもいかないし、合理的に考えるとやはり泊まれるのは多くて週3日くらいが妥当なところだと思う。 「…一緒に住めたらいいのに」  それまであたしの髪をなんとなくすいていただけの滝川さんが、ぽつりと言った。  その言葉に、あたしは反応も忘れて、ぼんやりと眠たそうな滝川さんを凝視する。  それはまるで独り言のように無警戒で、言った本人も無意識と言った感じだった。口にしていたことに気づいて、滝川さんは初めてはたとして口を押さえた。  あたしと目が合い、数秒の沈黙。 「暎臣さん」 「…。まだ具体的に考えられてはいないけど」  できれば学生のうちからでもしたいくらい。  思いがけない言葉を聞いて、あたしは思わず体を起こして滝川さんを見た。徐々に訪れてきていた眠気は一気に吹っ飛んだ。 「あたしも一緒に住みたい。…でも、暎臣さん、大学院も行くし忙しいでしょ?」 「ーーうん。今より忙しいと思う。でもつかさが家にいてくれるなら頑張れるし、頑張って帰ってこようと思う」  あたしは、返事も忘れて呆然と滝川さんを見つめた。  <…あたしの、いつも想像の上をいく>  滝川さんは、いつもあたしが思う以上の嬉しいことを考えてくれている。言ってくれる。きっと無理だろうと思っていたことでさえ、滝川さんは実現してくれようとする。  こんなに幸せな気持ちをくれる人に、どれだけの人が出会えるのだろうと思う。本当に奇跡だと思う。 「…あたしも頑張ります。暎臣さんに置いていかれないように」  刻むように、大切にゆっくりと言葉にすると、滝川さんは嬉しそうに微笑んだ。 「ーーつかさが言ってくれたんじゃん。俺のそばにずっといるって」  自分で言った言葉だが、滝川さんの口から聞くと、なんだかプロポーズみたいだなと思って急に恥ずかしくなった。  そんなことを、あたしはあの神戸から帰った夜に言ってしまったのか。  かー、と顔を赤くして黙り込んでいると、滝川さんが楽しそうに見上げてきた。 「つかさは、将来の仕事とか考えてるの?」  2人で住んで、その後の未来をイメージするような質問。そういえば、昨夜美織達と就活の話をしていたことを思い出した。 「将来の…もしなれたらいいなって思える仕事は、見つけたかもしれない」 「へえ、どんな?」 「あのね、化粧品メーカー、の宣伝…。ーーバイトで、ずっと化粧品売り場にいて、販促物とか色々考えるの楽しくて。英語も勉強してるし、外資系メーカーとか、行けたらいいなって」  自分は何が好きか、文学部のみんながいくような業界に興味が持てないと思ってから、ずっと考えてきたこと。答えは、意外にも身近にあった。   自分で見つけた仕事じゃなかったからずっと気づかなかったけど、意識して考えてみたら、とてもワクワクしたのだ。  自分がやりたいと思ったことを、人に話すのはこれが初めてだ。恥ずかしくてドキドキしたけれど、滝川さんは目をキラキラさせて「いいじゃん」と言ってくれた。 「バイトでいつも楽しそうだもんな。行けたらいいな。応援する」  その言葉が嬉しくて、あたしは滝川さんに無言で抱きついた。 「…頑張る」  好きな人がそばにいてくれて、やりたいことを応援してくれる。そのなんと幸せなことか。  告白して、滝川さんと付き合った日のような無敵感をまた感じて、この人と一緒にいたらきっとずっと無敵なんだろうなと思った。
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