55- 秋のはじまり

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 次のコマの講義を取っている鷺原さんや栞と別れ、学生センターに用事があるという美織についていった。結局女子が4人もいると、近況報告もただの雑談に終始して終わる。  美織の用事は、サークルでのイベント開催に関する申請届を提出することで、受付した窓口からはまだ名前を呼ばれない。やや混雑した待合スペースの椅子に2人で並んで座り、しばし待つことになった。 「美織、桐谷さん就活スタートしたんでしょ。最近黒髪に染めたの見かけたってオミ先輩言ってたよ」 「あーそう。早速エントリーしまくって説明会めぐりしてる。あと自己分析とか業界研究とか?一人でもやらなきゃいけないこといっぱいあるらしくて、最近全然会ってないんだよね」 「そうなんだ…」  せっかく彼氏と一歩仲が深まったばかりなのに、会えなくて寂しいのはつらい。  でも、それ以上に一年後には自分たちの身にも降りかかる課題なだけに、美織の話をゴクリと喉を鳴らして聞いた。 「早く決まんないかなー。大体内定が出だすのって春とかなんでしょ。業界によっては早いとこもあるみたいだけど、そういうとこ行くかなー…」 「来年の春って、めっちゃ先やん」 「そうでしょ!?まあ受験じゃないし、やった分だけ成果が出るってわけでもないから、遊べる日もあるけど落ち着かないよね」 「落ち着かないね…。でも桐谷さん、場をまとめるの上手いし、お喋り上手だし、そういう人すぐ決まりそうだけどな」 「そうかな?3年の夏休みも、なんなら大学入ってずっと遊んでた人だよ?オミ先輩が今年から就活なら速攻決まるだろうけどね。今、オミ先輩何してるの?院試とかまだ先でしょ」 「あ、うん。オミ先輩は秋冬は落ち着いてるみたい。一番忙しいのはゼミって言ってた」 「いーなぁ。秋も冬もいっぱい遊べるのか」 「いっぱいかどうかは分からないけど…。じゃあ、どこか行く時は美織も行く?」 「行かないよ。2人で行きなよ。このラブラブバカップルめ」  あたしからは一言も惚気たり自慢するようなことを言ったことはないのに、夏が終わった頃から、美織を始め鷺原さん達にまでいつの間にか「バカップル」呼ばわりされるようになっていた。  それもこれも全部、滝川さんがあたしがいない場所でも、要所要所で色んな惚気発言をしているからなのだけど。なんなら、桐谷さんから美織経由で、滝川さんの発言を聞かされてぶったまげることも稀にある。  そのこと自体は胸が苦しすぎるくらいに嬉しくてキュンキュンするけど、それを教えてくれた美織に言うと更にバカップル扱いされるので、どうにか心の中で転げまわるだけに留めている。  おおよそ、惚気なんて口にしそうにないキャラで生きてきた人なだけに、そのギャップを周囲が新鮮で面白がっているのかもしれない。 「でもさ、桐谷さんが内定もらえれば、そこから同棲でしょ?楽しいことしか待ってないじゃん」  気を取り直して美織を励ますと、少し落ち込んだ顔がゆっくりと浮上して来るのが分かった。 「うん…それを励みに待つ。応援する」 「うん。ーーあ、そうだ、バイトとかしたら?同棲資金作るの」  美織は今も実家暮らしで、特段バイトをしているわけではないがお金に困っている感じはない。でも、同棲となれば、さすがに大金が必要になる。あたしの思いつきのアイデアに、美織が「それいい!」と手を握ってきた。 「そのバイトなら頑張れる!えー早速バイト探そ」  ウキウキしながらスマホを取り出した美織を微笑ましく見ている側から、「会田さん」と受付から声がかかった。慌てて返事をして立ち上がり、窓口の方へ歩いて行くのを見送り、あたしもスマホを開いた。  さっき栞に教えてもらった美容院のサイトを開く。大学からも近く、本当に今日の帰りに行けそうな感じだったので、予約サイトを見てみた。平日ということもあって、予約枠は比較的空いている。  <…念の為、一旦、念の為ね>  何に言い訳をしているのか自分でも分からない。でも、こんなことを滝川さんに聞くのが正解なのかどうかが、まだ少し分からないから。 『暎臣さんは、ロング派?ショート派?ボブ派?』  人によっては「どうでもいい」と思われそうなLINEを送る。今は授業中かと思ったが、既読はすぐについた。  何と返ってくるかとドキドキしていると、 『切るの?』  と、短い返事が返ってきた。 『秋だし、気分変えようかなって思って。でも悩んでます』  そこから、既読はすぐについたものの、なかなか返信が返ってこない。  滝川さんもどれがいいか悩んでくれているのかもしれない。あるいは、他愛のない話題だし、授業中だから後で返信しようと思っているか。  これはすぐに返ってこないかなと思い、美容院はまた今度にしようかなと思っていると、不意に返信が来た。 『できれば、切らないでほしい』  <お、滝川さんはロング派だったか>  ちゃんと返信を返してくれたのと、そして今の髪型を気に入ってくれていることがわかったのとで、思わず口元が緩む。「了解です」と返信を打とうとしていると、続けて何かが送られてくる。 『全部見てみたいけど、もう少しロングのつかさを見てたい。一回切ったらしばらく見れないでしょ』 『つかさの髪、触ってると気持ちいいし』 『多分、ショートもボブも似合うけどね』 『想像してたらニヤついて授業集中できなくなってきた』  などと、独り言のようなLINEがポンポンと送られてくる。 「………」  何と言って返信したらいいか分からず、固まっていると、また一つトーク画面に吹き出しが増えた。 『切りたかった?』  その質問に、改めて自分はどう思っているのか考えてみる。  <…どうしても切りたかったわけじゃなくて> 『暎臣さんが好きな髪型でいたいなって思っただけです』  と、返信を送った。  送ってしまってからスマホを握りしめて、思わず自分に苦笑してしまう。  <こういうところがバカップルなんだろうか…>  美織は色々と桐谷さんとのあれこれを教えてくれるけど、あたしは恥ずかしくてこんなこと送ってるなんて言えない。  少しだけ滝川さんの反応を待つのに緊張する。  なんて返ってくるだろう、と思っていると、しばらくしてから、ぽん、と新しい吹き出し。  目に飛び込んできた文章に、あたしは唸ってその場に蹲ることしかできなくなるのだった。  ーー『今日、もうずっと髪にキスするから逃げないでね』。
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