55- 秋のはじまり

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 夕方、最後の講義が終わってから一緒にご飯を食べようと、滝川さんと駅前で待ち合わせた。  最近では6時を過ぎるともうかなり外は暗い上に、風が冷たくて肌寒い。Tシャツの上に羽織ったカーディガンの袖を指先まで伸ばしながら、改札の近くで待っていた滝川さんに小走りで近寄った。  滝川さんは、大学から講義が終わってそのまま来たのか、片方の肩に通学用の黒いリュックをかけて、スマホを見ながら壁に寄りかかって立っていた。 「ーーお待たせしました」  声に気づいて振り向いた滝川さんが、あたしの姿を見て少し驚いた顔をする。 「…美容院、行ったんだ」  そうなのだ。結局、美容院には行き、髪の長さは変えていないが、カラーリングと簡単なヘアセットをしてもらっていた。明るいグレージュに染めたまま色落ちしていた髪は、今は暗めのピンクベージュ色になり、今流行っているというくびれパーマ風に巻いている。 「どう、ですか?」  付き合ってから初めての美容院だったので、ちょっとした新しい自分を見てもらうのは、何だか気恥ずかしい。  滝川さんは、浴衣を見た時よりも反応が薄い上に、あの時にもらった「可愛い」の感想もなく、ただジィッと瞬きもせずに凝視してくる。  流石にその反応に不安を覚えて、恐る恐る顔を覗き込みながら、 「…暎臣、さん?」  と、名前を呼ぶ。  すると、滝川さんはハッと我に返って瞬きをした。 「ーーや、ごめん。…一目惚れってこんな感じなのかな」  言いながら動揺を隠すように片手で口元を押さえるから、今度はあたしがぽかんとする番だ。 「…浴衣でも、そんな、驚いたりしなかったのに」 「浴衣は、浴衣マジックもあるでしょ。ーー今のは、つかさだけの魅力にやられたから」  言いながら、ゆっくりと右手をあたしの髪に近付けてくる。触られる、と思ってその手の動きを待っていると、胸元の髪に触れると思った手のひらは、そのままあたしの頬に触れてきた。  むに、と頬を柔らかく摘まれ、そのまま髪を触ることなく離れていった。  何となく髪に触れてくれると期待していただけに、肩透かしをくらったような気持ち。 「いこ。混み出す前に」 「あ、うん」  <…あれ?>  昼過ぎに、あんなに甘いLINEを送ってくれたから何か調子に乗ってしまっただろうか。  歩き出した滝川さんの隣に追いつくと、ふと視線を感じて顔を上げる。滝川さんがそれに気づいて顔を近付け、囁いてきた。 「――可愛すぎて、今触ったら止まらなくなりそうだから、あとでね」  一目惚れとか、想像以上の反応をもらえただけで大満足だったのに、追い討ちでまたそんな言葉をもらって、あたしはいい加減慣れてきたはずの滝川さんの反応に、堪えきれずにまた赤面してしまった。 「…うん」  滝川さんが好きな髪型でいたいから、そう思ったのはあたしだけど、そうすることでちゃんと喜んでくれるのがこんなに嬉しい。  髪型も、メイクも、ファッションも、好きだからこだわりは持ちたいけど、できれば滝川さんの好みに近付きたいし、自分の好みが滝川さんと近いとすごく嬉しい。  好きな人のためにする努力で、好きな人が喜んでくれる幸せを、滝川さんと付き合って初めて知った。
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