56- 彼氏の両親

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 11月の3日は、それから割とすぐにやってきた。  ――丸の内のホテルだから。  寄り道をしていく、と滝川さんに前日に伝えて現地集合にしてもらうことにしたら、その返信で送られてきた待ち合わせ場所は、丸の内の一等地に立つ超高級ホテルだった。  寄り道というのは、もちろん滝川さんのご両親への手土産を買うことで、ご挨拶代わりに神戸ブランドの焼き菓子をと思っていたのだけど、もっと高いいいものにした方が良かったかもしれない。  高級ホテルには、美織達とアフタヌーンティーで1度行ったことがあるくらいで、ほとんど滞在した経験がない。  瑛臣さんと一緒に来ればよかった…と緊張でどうにかなりそうになりながら、百貨店で買った焼き菓子の紙袋を片手に、ホテルのシックでモダンなロビーで立ち尽くした。  <美織…あたし早まったかもしれない>  昨日、大学で美織とお昼を一緒に食べた時に、さらっと「オミ先輩の両親とご飯を食べる」と言うことは伝えていた。  さらっと誘われたので、さらっと報告しただけだったが、美織の驚きようと言ったらなかった。  ーーつかさ、あんたそれ…っあんた!  美織のあの動揺の仕方はなかなか珍しい。美織があんなに動揺するのだから、あたしももっと動揺すべきだったのかもしれない。  でも、あまりに滝川さんがさらりとしていたから。  あたしの両親に会った時も、とても落ち着いていたし、自然体だったから、あたしもそのままでいいのだと思っていたけれど。  よく考えたら、こんないいホテルでお食事会なんて、普通じゃない。しかも、初めて会う彼氏の両親と。  <手土産は持ってきて正解だった>  息子との家族団欒の時間に一緒にいさせてもらうお礼と、ご挨拶にと思って買ったけど、もしかしたらそれ以上に色んな意味を込めて渡すことになるかもしれない。  エントランスからレセプション、ラウンジを行きかう人たちの半分は海外の人で、その他の日本人は心なしか皆エグゼクティブに見える。  思わず背筋が伸びる思いで、静かに深呼吸をした。  ふと、エントランスの方から黒い薄手のコートを着た背の高い男の人が中に入ってくるのが目に入った。  立ち姿が美しく、颯爽と歩いてくる。見知った佇まいだなと思っていると、案の定滝川さんだった。  エグゼクティブしか集まれない場所にも見劣りしない、むしろ華のある存在感。  滝川さんは、明るく染めた髪をワックスで後ろに流していて、いつもより少しフォーマルな格好をしていた。思わず見とれていると、あたしの視線に気付いて軽く手を挙げて近付いてきてくれた。 「やっぱり早く来て正解だった」  目の前に立ち、いつもの優しい笑顔を向けてくれて、緊張がゆっくりほぐれていくのが分かる。 「ギリギリは焦るから」  ご両親との待ち合わせはレストランに6時だったけど、今はまだ5時45分くらい。トイレにももう行ってきたけど、自分の出で立ちが気になってソワソワしてくる。 「全然大丈夫だよ。可愛い」  と、フリルのついたスタンドカラーの白シャツの襟を軽く触られる。さりげなく褒められて、あたしはもう一度自分の格好を見直した。  シャツの下は、白いツイードのマーメイドスカート。その上にライトベージュのノーカラーの薄手のコートを羽織っていた。  滝川さんがいつも綺麗めな服装なので、あたしも自然とそれに合わせるように綺麗めな服が多くなってきたけど、今日はその中でも一番ドレッシーな服を選んだと思う。 「なんか、見るたび大人っぽくなってくな。さっき見つけた時ドキッとした」  ただでさえこんな緊張する場面で、滝川さんはいつも通りの褒め言葉をくれる。ここにいてもいいんだと、教えて安心させてくれるような言葉選びを、自然とやってのけるのだ。 「…暎臣さんに、似合うようになりたくて」  あたしの頑張るモチベーションの原点は、いつだってそこだ。  憧れていた人に、ただ少しでも近付きたくて、隣にいることが自然になりたくて、外見も中身も磨き続けている。周りに認めてもらいたい以上に、自分が自信を持って隣にいるために。  あたしの言葉に、目の前に立つクールな美形が、少し俯いて口元を手のひらで抑えた。 「…嬉しい」  素の、ただ正直な気持ちを吐露した声色に、どうしようもなく胸が締め付けられる。  この人の嬉しそうな顔を見るためなら、あたしは一生なんでも頑張れる気がする。
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