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「つかさ、松重さんが呼んでる。化粧品売り場」
人の流れが落ち着いた9時ごろ、レジ周りの商品を整えたり手提げのビニールを補充したりしていると、同じバイトの篠宮稜平が声を掛けてきた。
稜平はあたしと同じ大学の3年生で、半年前にあたしがここに来た時に指導でついていてくれた先輩だ。以来、あたしが独り立ちして指導を離れても、そのよしみでずっと仲良くしてくれている。金色に近い茶髪の短髪に、左耳ピアス、つり目がちですっきりした顔は、黙っていると少し怖そうに見えるけど、中身は真逆でとても優しく、親切で面倒見がいい。
「え、なんだろ。稜平さん、レジ頼めますか」
レジは3つあるが、ひと気がない今の時間帯はメインレジのあたししかいない。通りすがりに声を掛けた風の稜平は、片手に折りたたんだ台車、もう片方の脇に小さい段ボールを抱えている。言ってからその出で立ちを見たあたしは、思わずプッと吹き出してしまった。
「おま…笑ってんじゃねえ」
「ごめ、すみません。全然頼める風じゃなかったのが可笑しくて」
「もー今日奢ってやんないぞ」
「嘘です、嘘嘘」
稜平とは、夜のバイトでよく一緒になるので、最近はバイト終わりにご飯を食べに行くことが増えた。最初は他にもメンバーがいたけれど、人数が多いとお開きが遅くなりがちだからと、いつの間にか2人きりで行くようになった。2人で行っても結局、皆と行く時と同じような時間に帰ることになるのは、なんとなく稜平には突っ込めないでいる。
きっかけが何であれ、稜平と2人きりでいられるから。
<今日も行くのか。行くんだよね>
バイト前にそんな話をしたわけではないけれど、今「今日」と言っていたので、多分行くのだと思う。誘ったり誘われたりの言葉もなくなり、当たり前のように2人で帰る流れが出来つつあるのが、内心でとても嬉しい。
思わず口が別の意味でニヤけかけて、慌てて近くの店内放送用のマイクをオンにして代わりのレジを呼ぶ。他の売場にいた手隙のバイト社員の女の子がレジに寄ってきてくれたので、その子と交代して化粧品売り場の方へと向かった。
あたしを呼んだ社員の松重さんは、化粧品カウンターの中で、販促用の小さいシールをペタペタと商品のパッケージに貼り付けていた。いつも思うけど、白衣の胸元にある「松重」のネームプレートの横に、シュナウザーの顔をしたキャラクターのボールペンを挟んでいるのが可愛い。
「松重さん、来ました」
「あー冴木ちゃんごめんね。今暇?」
「暇でした」
「ねえ、今日暇だよねえ。お客さん少ない」
「今週のクーポン微妙でしたもんね」
「やっぱそれだよね。目玉なかったもんね珍しく」
あたしを呼んだものの、特に指示もされずに世間話のような話が続くので、松重さんと同じようにシールを1枚ずつ、脇に積み上げたアイクリームの箱に貼っていく。かなりの量があるので、この作業を手伝ってということなのだろう。あたしは普段レジに入ることが多いけど、レジに入らなければ主な担当売場は化粧品なので、メーカー販売員がいない夕方以降は、化粧品売り場にいて、社員に頼まれた雑用をやることが多い。
「冴木ちゃん、今日は来てたの。例の人」
例の人とは、さっき水を買っていったあの彼のことだ。
松重さんは、この店舗にあたしが働き始めた頃に異動してきて、まだ社会人3年目とあってか、少し年の離れたお姉さんみたいな印象だ。実際、そんな感じで親しく話しかけてくれるので、うっかりなんでも話してしまう。
「ああ、来てました。今日も同じ水を買っていきました」
手の作業は止めずに、コソコソと報告する。
「そうなんだー、今日はあたしは見れなかったなー。残念」
少し前から松重さんもこっそりとその彼に注目するようになり、いつの間にか2人でファンクラブみたいなノリで彼について話すようになった。松重さん曰く、その彼は「国宝級と言っても過言ではない美形」と評されている。
「松重さん、結構見逃してますよね。あたしバイト入ったら結構な確率で会えますよ」
「えぇそうなの?じゃあもう向こうも冴木ちゃんのこと認識してるかもね。同じレジの子って」
「えっ」
思わず作業の手を止めて動揺した。それは困る。彼の中であたしはドラッグストアの風景の中の一つだと思っているから、今まで普通に店員として接していたし、営業スマイルも自然とできていたのに。認識されてしまったら、もう今までのように隠れファンとして見惚れることは許されない気がする。
「――『冴木』って、名札もついてるしねー」
「えぇ…それは困る…」
「いいじゃん、あの顔に『冴木さん』て呼ばれたくない?あたし松重さんって呼ばれたい」
「松重さん」
シールを持ったままうっとりした顔をする松重さんに、不意に男の人の声が掛かった。びっくりして2人で振り向くと、手が開いたらしい稜平が呆れ顔で傍に立っていた。
「びっくりしたぁ~~…」
「何がですか。何話盛り上がってるんですか、店長に呼ばれてんじゃないんですか」
「あっ、そうだった。つい話盛り上がっちゃった。ってことで冴木ちゃん、これあと全部宜しくね」
慌てて事務所の方へ小走りに走って行く松重さんの背中を見て、あたしはポカンとした。2人で作業をするのではなかったのか。
「松重さん、相当つかさのこと気に入ってるよな。事務所でもずっと喋ってんじゃん、2人で」
それはウマが合うと言うのもあるけれど、主には「共通の趣味」があるからだというのは、稜平には黙っておく。
「楽しい人だよね。松重さん」
「何話してたんだよ、さっきも」
と言いながら、稜平が貼りかけのシールを何となく手に取って見ている。稜平の担当は隣の飲料売場なので、暇があればこうして様子を見に来たり、手伝いに来てくれたりする。稜平にとっては、仲のいいバイトの後輩の面倒を見る一環なのかも知れないけれど、それでも気にかけてくれるのは嬉しい。
<優しいんだよなぁ稜平さん…>
まさか、ただのバイトの後輩が密かに恋心を抱いているなどとは、思ってもいないだろうけど。
ふわふわとした気持ちのまま、稜平の手元を見つめた。
「共通の…趣味の話?」
「趣味?なんの?」
「それは秘密ですー。稜平さん、これ手伝ってくれるの?」
男性客について盛り上がっているなどとはとても言えず、どうにか話題を変えたくて咄嗟に目の前の作業を提案する。シール貼りは、2人でやれば閉店時間までには終わりそうだったが、一人でやるとかなり手早くやらないといけない量のように見えた。
「しょうがない。残業させるのは可哀そうだから手伝う」
「やった。ありがと、稜平さん」
笑顔でお礼を言うと、なんだか複雑そうな顔で頭をポンポンと叩かれた。「甘え上手め」と、褒めているのか怒っているのか分からないテンションの呟きと一緒に。
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